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⑨97歳の父の、愛に包まれた、爽やかな旅立ち
父、昨日の朝、 4時過ぎに、 #虹を渡りました . 穏やかに、苦しむことなく. その4時間前の真夜中まで ずーっと父の大切な人が手をさすってくださっていました. 私…
60歳になったら、好きなことをする‼️
今、マドリードに来ております。
苦節三年。
主婦が旅しようと思ったら、まあ、後ろ髪引かれることがたくさん。
あちこちひっぱられます。
でもここは、もう。
腹に力いれて、自分の心に正直になりましょう。
結局、カタール航空は、マイルでなかなか取れなくなってしまい、
息子がお金を払ってくれて、
13万円でカタール航空のチケット買って行きました。
行きたいのに、行く前は、
ほんと、やることが色々あ
60歳記念に、自分で本を作ってみた。
もともと商業出版の編集者だったので、
自分で安くどこまで作れるか?
と思い作ってみました。
感想としては、商業出版は、恵まれていると痛感しました。
編集は自分でしましたが、
ブックデザイン→友人
イラスト→姪っ子に頼みました。
普通頼むよりは、安くお願いしました。
が、姪っ子ちゃんには、
文章に関係なく、
森を抜けて、妖精の扉を探す
絵を描いてね、と。
あと、こんな感じで!といくつかの
⑩お坊さんも呼ばない、家族葬の値段
父の母親は、三次の風土記の丘にある、浄楽寺跡地の、浄楽寺の出なのですが、
生前から、「死んだら終わり」と言っていた人なので、私たちは無宗教のお坊様なしの家族葬を選びました.
⑧97歳の父の病室で、見えないものを退治する
父は、もう一週間以上点滴もしてないのです。水も飲んでいません。
もちろん食事もとっていません。
父の終末期を病室で過ごしています。
先日は、
インドの🇮🇳娘の知り合いのインド占星術の先生に見ていただいたり(娘の通訳で)
父がとても驚き、怖い目をして病室の空を見ていて、
きっと、私たちには見えないものが見えているようなので、
「わたしが退治してあげる!えい、やあ!」と、
追い払ったり
映画、『仁義なき戦い』に出てくる、有田さんに助けられて命拾い⑥96歳で愛されている、幸せなおじいさん
父は、これは書くなよ!
というので、大まかにしか書きません。
父は戦争から戻ってきて、大好きな剣道ができなかったため(剣道などは、アメリカから禁止されていたらしいです)
心が荒れていたのだそう。
一応、アメリカの基地で働いていたのですが、
夜はダンスホールへ。
そこで、父の態度が大きかったのか、
地元のヤクザの人たちから、
「外へ出ろ」と。
その時、刃物がきらりと見えたそうです。相手は5人くらいは
⑤96歳で愛されている、幸せなおじいさん👴死の一歩手前からの生還
父の強運伝説の一番は、なんと言っても戦争の時のこと。
それは、戦争が負けたという放送の流れた8月15日.
父は、少年飛行兵に志願して戦争に行った。まだ、18歳だったが、
昭和20年の8月3日には19歳になっていた。
負けていたのにも関わらず、幹部は、父に出撃をしろと命令し、前夜はお風呂に入り、新しい褌を身につけ、遺書も書いたらしい。(髪も切った?とか)
その日、プロペラも回っていたそうだ。
④96歳で愛されている、幸せなお爺さん👴彼女に連れて行ってもらった13カ国の海外旅行
スペイン
ポルトガル
フランス2回
イタリア
オーストリア
ハンガリー
チェコ
ドイツ
.韓国
台湾
ハワイ3回
カナダ
アメリカ
バハマ
幸せなお爺さん👴は、70歳から82歳くらいまでの間に、10回以上海外旅行に、連れて行ってもらっております。
私たち娘より、多いです。
海外だけでなく、日本の名旅館も🇯🇵です。父の彼女さんは、海外旅行が✈️趣味なのです。
③96歳で愛されている、幸せなおじいさん👴退院!
一般病棟に行くことを目標に.見守ってきた私たちですが、なんと、父、退院することに!
けれど、
入院する前は自由に動いていたし、トイレにも自分で行けていたのに、入院中にオムツになり、足も弱くなって、車椅子の生活になりました。
それでも、入院中には、
コロナの隔離病室で、ひとりで旅立ってしまうことだけは、なんとか、阻止したいと願っていたので、退院できただけ、ありがたいと思いました。
そして、96歳