子供号泣『オモチャ捨てるよ!』はダメなのか?
今回のnoteは僕と妻の子育てに対する価値観に触れています。
子供の数だけ、親の数だけ、家庭の数だけ子育ての価値観があると思っています。
ですので、今回の内容に関しては賛同いただける方、また違和感を感じられる方、不快にまで感じる方がおられるかもしれません。
でもこれが、今の藤原家の子育てのやり方、考え方です。
ここから先はそのことを踏まえて進んでいただけたらと思います。
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『うわーーー!!!やめてーーー!!!ごめんなさい!!!ごめんなさい!!!』
『もうしません!!!やめて!!ごめんなさい!!うわーーー!!!』
部屋に響く2人の子供の絶叫。
壁に叩きつけられて床に落ちた新品のオモチャ。
僕が小学4年、弟が小学2年の時の話。
壁に叩きつけられた、オモチャの正体は任天堂のファミリーコンピューター。
当時の子供達の命と言っても過言ではない、その存在。
我が家にファミコンが来たのは、周りの同級生よりも少し遅かったと記憶している。
父親の仕事の関係で社宅住みだった藤原家。
なかなか我が家のテレビにはファミコンがやって来てくれず、学校から帰宅してから、同じ社宅に住むファミコンを持っている誰かの家で遊ばせてもらっていた。
社宅内で年の近い子供たちが多かったために、いつも誰かの家のファミコンに6人7人が群がり、2つしかないコントローラーを奪い合う。
ただでさえ人数も多い上に、トップバッターの持ち主が得意とするゲームをやるとなると、なかなか主人公は死なず、次から次へとステージをクリアしていき、やりたい気持ちを悶々と抑えながら、そのプレイを食い入るように見つめていた。だが冷静さも必要だったのを覚えている。なぜか?自分の手元にコントローラーが回って来た時に、なるだけ長くプレイさせてもらうためにはステージでの敵の出方やトラップを覚えておく必要があったからだ。
でもまぁそこまで集中していても、いざやるとなるとファミコンに慣れ親しんでいない、僕と弟はすぐにゲームオーバーを迎え、至福の時間とはすぐにお別れしなければならなかった。
家でゆっくりファミコンがしたい!自分たちのファミコンが欲しい!
これがこの当時、藤原兄弟が毎日胸に抱いていた願いだった。
当然、父親にチャンスを見つけてはおねだりする事もしていました。
だけど、厳しい父はなかなか首を縦には振ってくれず、明かりの消えた寝室で天井を見上げながら『いつやろなぁ〜』『お兄ちゃん、もしファミコン買ったらゲーム何買うん?』『え?とりあえずスーパーマリオかなぁ?でもそんなん借りたらええか』『僕はな、お兄ちゃん、、、、。』などと暗い部屋で希望に胸を膨らませていた。
そんな我慢の日々が続き、5月5日のこどもの日、弟の誕生日9月19日、僕の誕生日9月20日のプレゼントを合併する事でようやく我が家にもファミコンがやってくることになった!
あの父が首を縦に振ったのだ!
当時の住所は神奈川県川崎市、購入してもらえる日のことをはっきりと覚えている。
僕と弟の気持ちを表すかのような晴天。
いつもは出かける前に子供特有の準備の遅さやグズリで僕か弟が、父の機嫌を損ねたりしていたが、この日ばかりはそれがあってはならないと2人ともが察して速やかに準備を終えていた。
田園都市線、宮崎台駅から家族で電車に乗り、銀座で降りて大きな電気屋さんに向かう。
圧迫感のある都会の電車は嫌いだったが、この日はファミコンを買いに行くのを車内の全員に大声で自慢したい気持ちだ。
頭の中はファミコンのことでいっぱい、期待で胸が張り裂けそうである。
ゲームソフトは2つの候補で迷っていた、どちらもシューティングゲームで、子供のヒーロー高橋名人が叩き出した16連射が話題となった名作スターソルジャーか、スーパーゼビウスガンプの謎。
この2本を決めきれずに目的地の銀座に到着した。
目指すは一直線に電気屋さんなのだが、父と母は『昼、なんか食べてから行こか?』と呑気なことを口にしている。
え?なんか食べるて何!?まだファミコン買いに行かれへんの!?目の前が真っ暗になるような思いがしたが、数寄屋橋の交差点ビルの上に掲げられた不二家の看板がカラフルだったのを妙に覚えている。
ここでグズって父の機嫌を損ねてはならないと、はやる気持ちをグッと抑え込む。弟を見ると、弟も口を真一文字に結んでいたので僕と同じ気持ちであったろうと思う。
いつもの倍の速度で昼ごはんを食べた僕ら。そそくさと電気屋に向かいたい!
だがこんな日に限って父と母はゆっくり食べている、ような気がしてならない。
いや大人になった今ならわかる。父と母の気持ちを思うと、せっかく家族で銀座に出て来てランチ。ゆっくり休日を楽しもう。そんなところだったと思う。
だが、目の前に巨大ニンジンぶら下げられっぱなし競走馬よろしくの僕たち兄弟。
1分が1時間にも感じるような長さだった。
やっとの思いで、電気屋に到着。
ファミコンの写真がプリントされたシルバーの箱を弟と二人で丁寧に持ち上げる、すでにこの時には箱にすら憧れていたように思う。ファミコンが入った箱を抱きしめるように抱えてゲームソフトを選びにいく。
悩んだ挙句、ソフトはスーパーゼビウスガンプの謎にした。
決め手はパッケージ、新発売だったそのゲームソフトの箱はゴールドで、【新発売の上に箱まで金!】そんなところまで自慢できそうな気がしていたからだ。
あまりに嬉しく舞い上がっていたからだろう、帰りの電車の記憶は一切ない。
おそらくは脳内でどういうふうにゲームをやるか?どんな感じか?と想像を掻き立てまくっていたため脳の記憶の部分を全く働かしていなかったんだと思う。
次の記憶は、テレビに繋がれたファミコンにスーパーゼビウスのソフトをセットするところだ。
友達の家では何度もファミコンにソフトを差し込む作業などして来ていたはずなのに、妙に緊張してしまう。
ゆっくりと丁寧に僕たちの新品のファミコンの差し込み口にソフトを初めて差し込む。
手に弟の視線を感じる。
本体左手前にあるエンジ色のつまみをを向こう側に押しスイッチオン。
軽快な電子音と共に画面いっぱいにスーパーゼビウスのロゴ!
『うぉー!!!』
弟と2人、歓喜の声をあげる!
ファミコンが!!ファミコンが!!!!
うちにもファミコンがあるーーーー!!!!
最高の瞬間だった!
今、振り返ってみても皮膚が泡立つ感覚がある。
藤原一裕の人生喜びランキングがあるとしたら、この瞬間はかなり上位だ!
だが、、、、、。
悲劇は僕たち兄弟のすぐ隣りにまで迫っていたのだ。
弟と夢中になるあまり、ファミコンを買ってもらう時の大事な約束が完全に抜け落ちていた。
ファミコン買ってやるけどこれだけは守れ!父親設定の鉄のルール!
【ファミコンは1日1時間まで、絶対に守りなさい】
『絶対に守ります!』そう父に答えていた兄弟。
だが、長きにわたる想いが叶い、初めてファミコンオーナーとなり至福の時間を過ごす兄弟のタイマーは壊れていたのだろう、楽しすぎるその時間は銀座で感じたのと真逆、1時間が1分のように感じられていた。
あっという間にルールを破り、ゆうに1時間を超えていた。
夢中で気づかない2人。
『もう終わりなさいよ』という母の助言も聞こえない。
どれくらい時間オーバーしていたのかはわからない。
そして悲劇は始まった。
集中していたテレビに映るゲーム画面がプツン!と弾けるように切れて綺麗な黄緑色で全体が染まる、軽快だった電子音もビーっという鈍い1音だけになった。
状況が飲み込めない兄弟がテレビから視線を自分たちの斜め上、いつのまにかそばに立っている父に向ける。
父の右手には新品のファミコン。
おもむろに開いた父の口から発せられた怒りを含んだ一言。
『時間守れ言うやろー!!!!!』
怒号と共に、僕たちの命ファミコン様が壁に叩きつけられ、床にガシャリ!と音を立てて落ちる!差し込み口のスーパーゼビウスは弾け飛んでいく!
絶叫!!!
兄弟2人で絶叫!!!
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