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”黒髪ロング”の脆弱性

お前、好きな髪型ある?w

男は本当に女の子の話を
するのが好きなようだ。

仲のいい男友達といると
気が付いたら女の子の話になる。

Instagramの画像を見て、
可愛いだのタイプじゃないだの、
巨乳だの貧乳だの。

彼氏がいるのか、いないのか。

共通の知り合いがいるのか、など。

今必死に思い返そうとしても
出てこないくらいに中身がない。

俺は黒髪ロングに決まってんだろw

え!マジ!俺も!w

好きな髪型が同じだっただけで、
まるで同一のナショナリズムに
駆られたように距離を縮める男たち。

これを見ていると、
男の共通言語はいつの時代も
」なのかもしれないな…と思う。

女の話をする時間は
明らかに浪費だが、人生で欠かせない
本能的時間でもある。

あなたは異性の
どんな髪型が好きだろうか?



さて、本題に入ろう。

昨今の日本は、スペックが実態以上に
評価される不思議な時代になった
と僕は考えている。

例を挙げるならば、
TOEICや宅建、簿記、秘書検定、
などの資格系が適任だろう。

もう少し踏み込んでいくと、
キャリア選択においての
大企業、ベンチャーもスペックだ。

最終的にどこに行きつくかというと、
お金」が人類史上最も凶悪で
魅惑的なスペックであることは論を俟たない。

まあ、このような「スペック信者」が
最近増えてるということだ。


資格を取っておけば何とかなる。

大企業、ベンチャー、どっちが「良い」か?

お金が欲しい。


特に、大企業かベンチャーかなどと
議論する人はたいていロクな理由もない。

大企業のほうが安定だから捨てられないけど、
楽しいのはベンチャー。。。悩む。

これが多い。

これはありがちな「スペック主義
に陥った人の典型的な反応だ。


僕はスペックに対をなす概念は
コンセプト」だと考えている。


対をなすというより、
相互補完の関係と言おうか。

必要条件か。

コンセプトありきのスペックだし、
スペックあってのコンセプトだと思うのだ。

ここでいうコンセプトとは
スペックよりも長期的で、
スペックよりも抽象的で、
スペックよりも人間的な部分だ。

もっとわかりやすく言い換えるとしたら、
主軸となる人生のテーマ
という感じだろうか?


もっとあなたという人間に関する
核の部分であり、人間味あふれる部分。

生きている理由、生きている目的、
生きている上でこれは、という鉄則。

生きている意味。

あなたにとっての幸せの定義。


そういうもの。

これがコンセプト。


僕はスペックが悪いとは
一言も言っていない。

しかし、コンセプトがない状態で
スペックを優先する意義はあまり感じない。

コンセプトがあると、
スペックに関する価値判断が容易になる。


逆に言えば、
コンセプトがなければ、
スペックは良いとも悪いとも
いえないように思う。


少し現実に即して例えるなら、

場所に縛られない自由な生活がしたい
といって大企業で起業における経験を培う為に、
簿記を必死に勉強する。

こんなことが起きる。

自由で場所に縛られない、という
コンセプトを詰め切っていないために、
今の行動と目標がかみ合っていない。

これにおいて、
今簿記の勉強に費やすことは
かなり遠回りで時間の無駄である
側面が強い。

この意味でこのスペック判断は
悪い」といえるかもしれない。



スペックは極めて脆弱だ。


コンセプトがないスペックは
いとも簡単に崩れ去る。


最初の例に戻ろう。


髪型などというのは
スペックの極端な例だろう。


黒髪ロング、は変動性が高い。

その女性が「飽きた」と言って
茶髪のショートボブにしたら
一気に嫌いになるのか?

ということである。


スペックだけで考えるというのは
これくらいに脆い。


優しくて、思いやりができる女性。

というコンセプトにおいてなら、
黒髪ロングのほうが理にかなっている
というだけで髪型が変わったくらいで
何も問題はないだろう。


その意味でもう一度聞きます。

あなたは異性の

どんな髪型が好きだろうか?

 


あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。