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エッセイ

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#写真

写真(傾聴)に宿られ、写真自身(傾聴自身)が語る

森の底を歩き突然立ち止まる。
いや、立ち止まらされる。

まさに問題はここから始まる。
立ち止まったのか、立ち止まらされたのか。
アタシの意思なのか、モデルの意思なのか…
それとも他の何かの仕業なのか。

目の前にはモデルが在る。
立ち止まったまま凝視する。
胸が高鳴る。(これはアタシ自身)

そしてフィアインダーを覗く。
背景と光を確認する。
左右と天地のアングルを探る。
露光とシャッタースピー

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写真撮影のごとく人生を歩む@コメントのレスにかえて

前回のnoteで「写真集」をつくる「プロセス」について少し触れたらコメントを頂けた。
そのコメントは大したことないのだけど(爆!!怒られるぞ)、レスを書いているうちに妄想がヘビのごとく暴れ出し長文になってしまった。
ということを考えると、実は深いコメントだったのかもしれないな。
いずれにしろヘビ長のテキストは、すでにコメントのレスとしては成り立たなくなり、こいつ(←毒多蛇)は、自己満テキストに仕立

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結局なにがしたいんだ? raw現像から考えたこと

写真のraw(生のデータ)からの現像だと、いろいろ表現できると言うんだけどさ、、、結局何がしたいんだ?
と、自分に問いかけることになっちゃうんだよね。
現像とは関係なさそうな「自分…なんで生きてるの?」まで飛んでみちゃうみたいな。

昔みたいにフィルムの特性と現像ラボにおまかせの写真じゃなくて、今でもデジタルカメラまかせで出来上がった写真じゃなくて、自分で微調整しながら一枚の写真に仕上げることがで

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写真撮影的に聞いた庵野語録@「プロフェッショナル 庵野秀明」より

随分まえに放映された「プロフェッショナル庵野秀明」という番組録画をたてつづけに、しかも食い入るように3回も観てしまった。
やはり庵野は天才であり、凡才のワタシが感じるところの感覚が彼の発したところとは違うかもしれないが、それでも何かを感じてしまったので、メモ的に残して置きたいと思う。

と、そのまえにワタシの考える天才とは「それをせずにいられない」「それをするためだけに生きている(生きるためにそれ

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ワタシの考える「いい写真」@TBとして

 撮った写真作品で語るべき「写真撮り」が「写真」そのもののことについて語るのはどうかと思うのだけど、ボクの場合は「写真撮り」であると同時に「テキスト芸人」であり、さらには「思索する人」(全部自称、笑)であるのでなんでもありなのです。

 でも、やはり写真について語ることはせずに写真に語らせたいとは思っています。なのにここのとこずっと、「いい写真について」のアレやコレやが脳内を浮遊して考えてしまうの

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まず心が動き、それから写真で表す

まず心が動き、それから写真で表す

「ちょっと、そこに立たれると鳥が寄ってこないのでどいてくれない」
朝、平和公園で背後から言われた。
一瞬うろたえながらも振り向くとバズーカ砲が見え、腐れ鳥屋の発言とわかった。
「何をオノレの都合で人に命令しとんだ、この糞“プーチン”ジジイがぁ」と
心のなかで叫び、無言で睨みつけ抗議し踵を返した。
これでワタシの休日は終わった。
怒り、それは休まる時間を台無しにするには十分だ。
それでも声に出さなか

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「写真作品集」をつくろうと思うんだが…

「写真作品集」をつくろうと思うんだが…

というか、昨年秋頃から作り始めてすでに形になりつつある。
と、その前に、果たして何故「写真集」を作ろうと思ったのだろう?
う〜ん、大前提として写真を撮り続けていることがあるよな。

写真を撮る理由は何度も書いているけど、、、
簡単にいえば、自己の内面を識ることと、他者に伝えること。
それで写真を撮ってはnoteにアップしてきた。
アップすることで客観的に自己を観ることができる。
そして、少なからず

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2021蝶との出会い@全92種

2021蝶との出会い@全92種

大人になり蝶を追いかけるなんて物好き以外の何者でもないのですが、今年も蝶を追いかけて写真をとりました。まあ生活のなかで、なんの得もなく何かしら惹かれるものがあればとてもラッキー、それを追求しだせば人生面白いって感じです。追求するものが何の役にも立たないってほうがいい。何か意味を持ち出すと面倒だからね。
とはいえ写真とセットかな。蝶の写真もすこしでもドラマチックに撮りたいと思っています。まあ、「相手

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写真とは、世界を愛おしく思う感性

とあるnoteで、写真についてのこだわりのコメントがありました。
思索心をくすぐるとても面白いコメントで嬉しくなりました。
テーマとして持ち帰り、写真とは何だろう?を改めて考えています。

写真とは、「この世界の一部」をカメラによって切り取られた画像です。
「この世界の一部」とは、ありとあらゆる存在であり、存在の組み合わせです。
一部ではありますが、一部が世界を映し出したりもします。

全ての存在

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落下する写真家!?  じっと手を見る

落下する写真家!?  じっと手を見る

撮影した写真でお金を貰ったことはない。
というわけじゃないけど、自分を写真家と名乗ったこともないし思ったこともない。
それ以前に写真家という言葉さえ浮かんでこない。
生きることの一部としてのただの写真撮りである。
そんなワタシが始めて唯一「もしかしてオレは写真家かもしれない」と思った瞬間だった。

その日も「いつもの森」へカメラをもって踏み入った。
車を降りたときから、いつもウブな感性に連れられて

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中古なのに23万円もするレンズをポチッてしまった……

たかがカメラのレンズに23万円です、しかも中古。
購入するか否か、半年前からずっと考えていました、、、、

最初にそのレンズの存在を知ったのが5年前です。
新しいカメラとともに販売されました。
カメラ20万円とレンズ40万円であわせて60万円^^;
論外です。あまりの価格に欲しいとさえ思いませんでした。

でも再び写真を本格的に始めようと思っているタイミングでもありました。
なのでなんらかのカメラ

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写真やエッセイで他者に何かを伝えることは出来るのだろうか?……作品が命を得るとき

よく写真で何かを表現をするというけれど、その表現が他者に伝わることなどあるのだろうか?
写真はワタシが被写体に何かを感じた(もしくは被写体を通じての)私の感性とそれを私自身が形にしようとした表現でしかありません。
他者がその写真を観て何かを感じたとしても、その「感じ」はワタシの感じた何かとは別のものでしょう。
だってその人が感じた何かはその人独自のものだもの。
その人独自の経験で、その人独自の感性

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写真を撮ることと「生きる」ことは似ているかもしれない

写真を撮ることと「生きる」ことは似ているかもしれない

なんだか大袈裟な表題になってしまったが、カメラをもち森を歩きながらふと思ったこと。

今年の夏は蝶をたくさん撮ろうと考え、蝶を追いかけた。
季節が移りゆくとともにそんな考えが薄れ、本来の撮影に戻ってきているのを感じている。
森を歩き、感性にひっかかり思わず足を止めてしまった「生」や「光景」を撮りたいという本来に。

ここのとこ普段の生活のなかで、説明する気もおきないほどの細かいストレスが溜まってい

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道具を使うか、道具に使われるか、それとも道具を通して新たな自分を見出すか?

随分まえのこと。
友人たちを森に案内することがあった。
私が車をだし、友人たちをピックアップしながら森へ向かう。
最初の待ち合わせ場所で車に乗り込んだ友人に、
「そういえばカメラをちゃんと持ってきたかな?忘れてていたら取りに帰らなくちゃ」
とカメラバッグのファスナーを開けてカメラを確認しながら言った。
「え、取りに帰るの?」と友人は怪訝な顔をしていた。
もし忘れていても取りに帰ることはなかったとは

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