結局なにがしたいんだ? raw現像から考えたこと

写真のraw(生のデータ)からの現像だと、いろいろ表現できると言うんだけどさ、、、結局何がしたいんだ?
と、自分に問いかけることになっちゃうんだよね。
現像とは関係なさそうな「自分…なんで生きてるの?」まで飛んでみちゃうみたいな。

昔みたいにフィルムの特性と現像ラボにおまかせの写真じゃなくて、今でもデジタルカメラまかせで出来上がった写真じゃなくて、自分で微調整しながら一枚の写真に仕上げることができるんだぜ、すごいだろ?

ン? すごい? 確かにね。
でもさ、ほとんどの人は毒多のこの一枚がいままでのカメラまかせの写真と何が違うの?と思うだろうなぁ。

ほら、全然違うだろワタシらしさってやつが色濃くでてない?
そんな主張したところで、誰にも通じない。っていうか誰も気にしない。
いやいや、他者が気にしないのはいいさ。
で、ワタシ自身は何を目指して現像しているのか?
そもそもワタシ自身の写真表現なんてあるのか?
なんてね、つい考えてしまってさ。

別に写真に限ったことじゃないよな。
技術の進化でいろいろできることが多くなった。
じゃ、それで何をしようとしているのだろう?
そもそも何かをしようとして生きているのだろうか?
結局そこに逝ってしまうのがワタシの癖なんだよね。

まあ、言いだしたら果てしないから現像の話に戻ろう。

まずは何にしろ「光あれ」なんだよね。
人は色が見えているのは光あってのことなのさ。
光のない深海の魚は目が退化してるんだぜ。
目どころか、色として感じる機関(脳)の働きもないかもね。

つまりさ、光を取り入れることができて、色を見ることができる人は、目で光を取り入れて、脳で光を色に現像できる人なんだよね。
でも、脳はそれを記録することはできない。
いや、できるんだけど記憶ということになる。
あやふやなイメージで残っている。
だからだんだん色褪せて、思い出はセピアやモノクロームになったりしてしまう。
いやいや、今、現に見えている色だって人によって違うかもしれない。
ある人には、世界がバラ色に見えたり、別の人には何もかもが灰色に見えたりする。他者がどうみえているかなんて、確認しようがないしね。
つまり、見えているのは現実の光からの脳の現像が見えているとは限らないし、誰もに同じように見えているなんてわからない。
いろいろな要素が加味される。それが表現っていやつかな。

写真ってのは、記憶を記録してさらにバラ色や灰色なんかの感性も表現もしてしまおう、ってことなんだろうな。

ちょっと、具体的に見ていこう。

rawデータそのものの書き出し

これが光を取り入れただけのrawデータなんだって。
お、おおおお、これが光なのか? 
光ってやつは、けっこう派手じゃないか。
でもさ、現実に見たもの、毒多の記憶や毒多の感性から表現したいのとも全然違う。
もちろん、どう見えるかなんて、やはり人それぞれで、時によっても違う。
まあ恋をして浮かれている人や、派手が好きな人にはこれでいいのだ、と思うかもしれない。
ワタシだって浮かれていて、世界がキラキラみえているときには、これがいい、と思うかもしれない。
でもやはりだめだね、なんだか虚構にみえちゃって虚しいんだよ。
ん?虚構にみえちゃって?だって???
じゃ、現実の色を覚えているのか、と問われるとNoである。
でもさ、自分がこのときに身を委ねた森は虚構じゃなくて自然なんだよ。
だから自然な色を表現したいんだ。
おそらく森という自然にたいする畏敬なんだろうな。
畏敬を表現したい自分がいるんだろう。

それが、今、現像している自分の感性ってことになるんだろうね。
モニターを見ながら少しづつ調整しながら写真の変化を見る。
逝ったり来たり。ほんとバーの上を右往左往する。

少しづつ調整、下のほうのトーンカーブとかは略

で、結局こんなんなっちゃった、笑っておくれ〜
オリジナルの光データに比べて随分色褪せているなぁ、、、笑

現像後

でもね、これが一番今の自分にマッチしている。
実際に朝の森のなかで目に入ったのもこれぐらいの感じと記憶しているし。
今の自分の感性に具体的に触れることができて、嬉しい気持ちになる。
言葉で表現するのもいいけど、視覚で表すのも面白い。

それでも、だから何? かもしれないし、、、
他者にしてみれば、きっと結局何がしたいのか? なんだよね。
生きているなかで、それが何になる? と思われるかも。


でもさ、ワタシが生きているってことは、ワタシオリジナルの生の表現をするってことなんだと思うのさ。
世界中のだれかにとって意味のあるやなしや、ではなく、ワタシが生きていることの意味そのものなんだろう。
だから、よりこだわりたいんだと思うんだよね。

結局なにがしたいんだ?と問われれば、
他者(カメラetc)にまかせず、ワタシ自身が生きていることを表現したいんだ。と答える。

いつも思うけど、写真でも絵画でも音楽でも、そして言葉でも同じだよな。
自分自身を表現し続けることが生きること、そのもの。


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