石和義之

文芸評論とSF評論を中心に書いています。主な著書としては『3・11の未来 日本・SF・…

石和義之

文芸評論とSF評論を中心に書いています。主な著書としては『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)、『しずおかSF 異次元への扉』(財団法人静岡県文化財団)、『北の想像力』(寿郎社)、『海外SFハンドブック』(2015年)、『ハヤカワ文庫SF総解説2000』など。

記事一覧

社会学の身体感覚とその夢

 新書としては破格とも言える600ページを超えるボリュームである。『社会学史』というタイトルを持つ大澤真幸の著書は、タイトル通り、「社会学の歴史を全体として論じ…

石和義之
4日前
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東京再開発の暴力に抗って(『思想としての東京』)

上書きされる東京 磯田光一の『思想としての東京』を読んでいると、フロイトが心的装置を説明するにあたって用いた「マジック・メモ」のイメージが思い浮かんでくる。「マ…

石和義之
12日前
4

確信犯の時代錯誤・磯田光一

聖なる時空の消滅 『殉教の美学』や『思想としての東京』といった著作で知られる磯田光一の原稿を読んでいて、第一に印象づけられることは、一種独特な緊張感である。行楽…

石和義之
2週間前
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1983年のロマンティスト(『写楽殺人事件』)

(※本稿は若干のネタばれがありますので、未読の方はご注意ください)    学問というのは、あるいは、生きることのある局面は、ほとんど探偵小説に近いということなのか…

石和義之
3週間前
4

ポスト・モダンの光景

『ワンパンマン』のバックグラウンド 常識的に言って、「平成」という元号は1989年に始まることになるのだろうが、私の個人的な歴史感覚で言うと、1974年に「昭和…

石和義之
1か月前
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戦中派の仇討ち

 山田風太郎の『太陽黒点』は、傑作との呼び声が高いミステリであるが、ある特定の世代ならではの固有の生存感覚を感じさせて、とても興味深く忘れがたい作品に仕上がって…

石和義之
1か月前
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蝶たちは今・・・・(明治と大正の狭間で)

ミステリ・マインド溢れる好著 ふしぎなタイトルにかねてから気になっていた『蝶たちは今・・・・』(日下圭介)を読んでみた。面白かった。ミステリ・マインドに溢れてい…

石和義之
1か月前
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1983年のゲーム・ミステリー

(※本稿は「ネタばれ」を含みますので、未読の方はご注意ください。)  その界隈では、伝説的作品と称される『幸せな家族――そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫)に興…

石和義之
1か月前
9

BGMは昭和なロックで(大崎善生追悼)

 作家の大崎善生が亡くなった。対象への入り込み方のバランスが非常に素晴らしい、稀有な書き手だった。追悼の意を込めて、ここに3年前に書いた原稿をアップします。 一…

石和義之
1か月前
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アンチ・ボディビルダー(木下古栗)

 アリストテレスは「自然は真空を嫌う」と語ったが、人間もまた、「真空」に恐怖を覚え、そこから逃亡しようとし、「過剰」へと駆り立てられてゆく生き物である。戦後を代…

石和義之
2か月前
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そんな奴はいねーよ(もしかしたらいるかも)

「エグさ」の料理人 木下古栗の『人間界の諸相』は、そのタイトルが示すがごとく、幾人かの登場人物たちの生活をスケッチ風に切り取った短編小説集あるいは連作短編集であ…

石和義之
2か月前
9

燃えるストイシズム(大原富江・「婉という女」)

ストイシズム・男篇 大原富枝の代表作「婉という女」およびその関連作品「正妻」「日陰の姉妹」は、歴史小説であると同時に、弱者の救済装置としてのストイシズムの生態と…

石和義之
3か月前
5

神的な光を人間化する(『もしかして聖人』論)

聖人の誕生 『もしかして聖人』の主人公イアン・ベドロウはいい奴だ……悲しいくらいに。「悲しい」と留保をつけたのは、作品のいたるところで、イアンがのめり込む贖罪の…

石和義之
3か月前
5

青年期との訣別(『パッチワーク・プラネット』論)

 読書界の一部では、熱狂的な支持を得ているアメリカの作家アン・タイラー(山田太一曰く「私にはこのよさが分かるけど、他の人にはどうかな?」じっさい、タイラーの作品…

石和義之
3か月前
8

母恋いの情動(丸谷才一の『エホバの顔を避けて』)

戦中派としてのヨナ 1960年に刊行された丸谷才一の『エホバの顔を避けて』は、1925年生まれの丸谷の世代に共通する世界観を表出した作品であるとひとまずは言える…

石和義之
4か月前
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松浦理英子の風変わりなキャラたち

価値としての奇貨 松浦理英子の小説に、もの悲しくもじんわりとした温もりを感じさせる「奇貨」という作品がある。主人公の語り手「私」は、本田という四十五歳の売れない…

石和義之
4か月前
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社会学の身体感覚とその夢

社会学の身体感覚とその夢

 新書としては破格とも言える600ページを超えるボリュームである。『社会学史』というタイトルを持つ大澤真幸の著書は、タイトル通り、「社会学の歴史を全体として論じた本」を実現すべく書かれ、「『社会学』という学問領域の下に包摂されてきた重要な事項や人物」を網羅し、「バランスを失することなく、すべてを視野に収めた」、テキストの王道を行くテキストとして仕上がっている。「意欲ある人に直接語ることを通じて執筆

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東京再開発の暴力に抗って(『思想としての東京』)

東京再開発の暴力に抗って(『思想としての東京』)

上書きされる東京 磯田光一の『思想としての東京』を読んでいると、フロイトが心的装置を説明するにあたって用いた「マジック・メモ」のイメージが思い浮かんでくる。「マジック・メモ」というのは、今や、昭和の遺物となった感があるが、昭和40年代にはどの家庭にも一台はあった子供のためのお絵かき玩具のようなものであった。

 その形状は、全体としては、泉屋のクッキー・セットの四角い缶で、ふたの部分を透明なセルロ

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確信犯の時代錯誤・磯田光一

確信犯の時代錯誤・磯田光一

聖なる時空の消滅 『殉教の美学』や『思想としての東京』といった著作で知られる磯田光一の原稿を読んでいて、第一に印象づけられることは、一種独特な緊張感である。行楽地にて思い切りリラックスして休息を満喫する、というのどかな気配は微塵もない。むしろそのような安息感を斥けて、自分と周囲との間に摩擦と葛藤を積極的に呼び寄せ、その居心地の悪さを引き受けることに生の手応えを感じているかのようだ。万能感を保証され

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1983年のロマンティスト(『写楽殺人事件』)

1983年のロマンティスト(『写楽殺人事件』)

(※本稿は若干のネタばれがありますので、未読の方はご注意ください)
 
 学問というのは、あるいは、生きることのある局面は、ほとんど探偵小説に近いということなのか。べつに、ことさら奇をてらっているわけでも、誇張を弄んでいるわけでもない。学問の究極的目標でもあり、人生につきものの「発見」という事象が、事態を「探偵小説」と瓜二つのように見えさせるのだ。

 1983年度江戸川乱歩賞受賞作品『写楽殺人事

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ポスト・モダンの光景

ポスト・モダンの光景

『ワンパンマン』のバックグラウンド 常識的に言って、「平成」という元号は1989年に始まることになるのだろうが、私の個人的な歴史感覚で言うと、1974年に「昭和」が終わり1975年からは「平成」へとステージが移行している。75年前後に日本の文化的風景は変わった、というのが正直な体感である。たとえば、吉本隆明と雑誌『試行』を編集していた村上一郎が日本刀による自殺を遂げたのが1975年であった。70年

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戦中派の仇討ち

戦中派の仇討ち

 山田風太郎の『太陽黒点』は、傑作との呼び声が高いミステリであるが、ある特定の世代ならではの固有の生存感覚を感じさせて、とても興味深く忘れがたい作品に仕上がっている。山田風太郎は1922年生れの戦中派であるが、本作を読みながら思い浮かべた名前を、本作とのつながりの濃い順に並べてゆくと、荒地派の鮎川信夫(1920年生れ)と田村隆一(1923年生れ)。松本清張(1909年生れ)。山川方夫(1930年生

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蝶たちは今・・・・(明治と大正の狭間で)

蝶たちは今・・・・(明治と大正の狭間で)

ミステリ・マインド溢れる好著 ふしぎなタイトルにかねてから気になっていた『蝶たちは今・・・・』(日下圭介)を読んでみた。面白かった。ミステリ・マインドに溢れているところがよかった。「ミステリ・マインド」という言葉に一般性があるかどうかわからないが、子供の頃初めてミステリに接して、ハラハラドキドキするあの感じである。私がミステリを読むとき最も重視するものがこれである。綾辻行人作品にも強烈にそれを感じ

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1983年のゲーム・ミステリー

1983年のゲーム・ミステリー

(※本稿は「ネタばれ」を含みますので、未読の方はご注意ください。)

 その界隈では、伝説的作品と称される『幸せな家族――そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫)に興味をそそられ、読んでみた。なるほど確かに面白い。ぐいぐい読ませる力がある。そしてまた、この作品が書かれた80年代の文化的雰囲気のことをまざまざと思い出したりもした。

 まずは書誌的情報を――。
 作者の鈴木悦夫は1944年生まれ。団塊の

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BGMは昭和なロックで(大崎善生追悼)

BGMは昭和なロックで(大崎善生追悼)

 作家の大崎善生が亡くなった。対象への入り込み方のバランスが非常に素晴らしい、稀有な書き手だった。追悼の意を込めて、ここに3年前に書いた原稿をアップします。

一枚の写真 プロ棋士を目指す少年や若者たちがしのぎを削りあう「奨励会」の姿を、現場で接し続けた者ならではの生々しさで描いた大崎善生の『将棋の子』は、「心の片隅に貼りついてしまったシールのように、剝がそうとしてもなかなか剥がすことのできない一

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アンチ・ボディビルダー(木下古栗)

アンチ・ボディビルダー(木下古栗)

 アリストテレスは「自然は真空を嫌う」と語ったが、人間もまた、「真空」に恐怖を覚え、そこから逃亡しようとし、「過剰」へと駆り立てられてゆく生き物である。戦後を代表する作家三島由紀夫は、戦後という時代の空虚を嫌悪し、彼の精神を蝕まずにはおかない空虚を、物語=意味で充填せしめんと、異様な情熱で物語を紡ぎつづけた(時には「天皇」を持ち出して)。

 三島の観念への傾斜という悪癖は、彼のスポーツとの関わり

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そんな奴はいねーよ(もしかしたらいるかも)

そんな奴はいねーよ(もしかしたらいるかも)

「エグさ」の料理人 木下古栗の『人間界の諸相』は、そのタイトルが示すがごとく、幾人かの登場人物たちの生活をスケッチ風に切り取った短編小説集あるいは連作短編集である(最後の第14話で1本の糸のようにすべてが繋がるので、「連作短編集」と呼ぶのが妥当かもしれない)。

 『人間界の諸相』というタイトルから、普通の感性の持ち主であれば、避けようもなく苦しい親子の諍いだの、小波乱に揺れ動きつつも元の鞘に収ま

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燃えるストイシズム(大原富江・「婉という女」)

燃えるストイシズム(大原富江・「婉という女」)

ストイシズム・男篇 大原富枝の代表作「婉という女」およびその関連作品「正妻」「日陰の姉妹」は、歴史小説であると同時に、弱者の救済装置としてのストイシズムの生態と真実を、哀切深く描いた作品だと言える。文芸評論家の福田恆存は、ストイシズムの特異な性格について次のように述べている。

 作品「婉という女」から伝わってくるひりつくような空気感、人間の温もりがいっさい奪い去られた後の残酷な寒々しさは、まさに

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神的な光を人間化する(『もしかして聖人』論)

神的な光を人間化する(『もしかして聖人』論)

聖人の誕生 『もしかして聖人』の主人公イアン・ベドロウはいい奴だ……悲しいくらいに。「悲しい」と留保をつけたのは、作品のいたるところで、イアンがのめり込む贖罪のふるまいに、周囲の多くの人々がたじろぎ、そうしたふるまいによって、イアンが崇高な聖人に変貌しつくしてしまうことを防ぎ止め、愛すべき悲しい人間の領域に繫ぎ止めているがゆえに、あえて「悲しい」という言葉をイアンに差し向けるのである。作者アン・タ

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青年期との訣別(『パッチワーク・プラネット』論)

青年期との訣別(『パッチワーク・プラネット』論)

 読書界の一部では、熱狂的な支持を得ているアメリカの作家アン・タイラー(山田太一曰く「私にはこのよさが分かるけど、他の人にはどうかな?」じっさい、タイラーの作品は、日本では初版が出た後、重版されたことがないのではないか)の小説に『パッチワーク・プラネット(A Patchwork Planet)』という作品がある。不思議なタイトルである。意味がよく呑み込めない。よくわからないのだけれど、語り口の巧み

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母恋いの情動(丸谷才一の『エホバの顔を避けて』)

母恋いの情動(丸谷才一の『エホバの顔を避けて』)

戦中派としてのヨナ 1960年に刊行された丸谷才一の『エホバの顔を避けて』は、1925年生まれの丸谷の世代に共通する世界観を表出した作品であるとひとまずは言える。この世代には三島由紀夫(1925年生まれ)や吉本隆明(1924年生まれ)がいて、彼ら戦中派は押しなべて戦後の日本社会に対してニヒリスティックな視線を向けていた。『エホバの顔を避けて』の終盤で、主人公のヨナは「裏切られた……エホバに」と語る

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松浦理英子の風変わりなキャラたち

松浦理英子の風変わりなキャラたち

価値としての奇貨 松浦理英子の小説に、もの悲しくもじんわりとした温もりを感じさせる「奇貨」という作品がある。主人公の語り手「私」は、本田という四十五歳の売れない私小説作家の男である。同性の友人をほとんど持たず、糖尿病による性的不能から女性との交渉もないこの孤独な中年男は、会社員時代の後輩であったレズビアンの七島美野(三十五歳)と奇妙な同居生活を送っている。本田の2LDKのマンションに「家賃を何割か

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