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母恋いの情動(丸谷才一の『エホバの顔を避けて』)

戦中派としてのヨナ

 1960年に刊行された丸谷才一の『エホバの顔を避けて』は、1925年生まれの丸谷の世代に共通する世界観を表出した作品であるとひとまずは言える。この世代には三島由紀夫(1925年生まれ)や吉本隆明(1924年生まれ)がいて、彼ら戦中派は押しなべて戦後の日本社会に対してニヒリスティックな視線を向けていた。『エホバの顔を避けて』の終盤で、主人公のヨナは「裏切られた……エホバに」と語るが、この言葉は「裏切られた……大日本帝国に」あるいは「裏切られた……戦後の日本社会に」という戦中派の感慨に重なると言えよう。戦中派の世代は、世界の中にうまく収まるべき席を見いだせないという不幸な意識にとらわれた世代だった。そしてその不幸な意識はヨナに絶えず付きまとうものでもあった。言うまでもなく、ヨナは旧約聖書の登場人物であり、『エホバの顔を避けて』の冒頭には「ヨナ書」の一節が掲げられている。

 エホバの言アミタイの子ヨナに臨めりいはく
 起てかの大なる邑ニネべに往きこれを呼はり責めよそは其悪わが前に来ればなりと しかるにヨナはエホバの面を避けてタルシンへ逃れんと起てヨッパに下り行けるが機しもタルシンへ往く船に遭ければその価値を給へエホバの面を避けて偕にタルシンへ行かんとてその船に乗れり

「ヨナ書」

 丸谷の小説は、ほぼ「ヨナ書」の物語どおりに進行する。ユダヤの神エホバが、イスラエルの敵地であるニネべに赴きその悪徳ぶりを告発せよ、という命令をヨナに授ける。三浦雅士の卓抜な比喩で言うならば「イラク戦争後、バグダッドの貧しい靴職人に、ニューヨークへ行って布教しろというようなもの」(『出生の秘密』)である。さすがにこの命令には応じかねて、ヨナは逃亡を図るのだが、その途上鯨の腹に飲み込まれそこで改悛し、命令通りニネべに赴き、そこでニネべが四十日後に滅亡することを予言してまわるものの、最終的にエホバはニネべを許しニネべが滅びることはなかった……。『エホバの顔を避けて』の大筋はこの通りである。「ヨナ書」のヨナ同様、小説のヨナもちぐはぐさが際立ちオリジナル以上にパセティックな表情が浮かび上がっている。そのパセティックさは預言者という存在形式そのものに由来している。預言者の唯一の行動原理は、現世を批判しそれと対立することにあるが、預言者のこのような在り方は戦後日本において余計者意識に苛まれた戦中派のメンタリティに重なる。そしてそれは戦中派よりは年少である江藤淳(1932年生まれ)が抱え込んでいた戦後日本への違和感とも重なるだろう。丸谷、吉本、三島、江藤らは、戦後日本の空虚な繁栄を醒めきった悪意の視線で見ていたが、この覚醒しきった生のスタイルの大元にあるのは、本能的な批評家の生理というものである(ただし吉本隆明は「大衆の原像」という言葉とともに一種の故郷回帰にコミットする)。江藤淳は日本の批評家のアーキタイプとも言える小林秀雄にことよせて次のように語っている。

 人は批評家となるために生きない。が、生きるために――和解することのできぬ秩序のなかに自分の席を主張するために、批評家とならねばならぬことがある。

『小林秀雄』

 ここで語られている「批評家」は、「和解することのできぬ秩序」と対立する「預言者」の姿そのものである。批評家=預言者は「秩序のなかに自分の席」を持たず、「自分の席」を見いださんと絶えず眼を瞠っている。それは安眠を知らない故郷喪失者であり、家庭を知らない捨て子である。

 わたしは語り続けながら、あなたがたは家へ帰るだらう、そして……と考へてゐた。そしてあなたがたは菫いろのたそがれのなかや青い宵のなかで、黄色く濁つてゆらめく灯をかこみ、家族たちと共に夕食をとるだらう、だがその幸福はあと四十回しかないのだ、と。いや、わたしはそのやうなことを口に出してさへゐた。孤児であり、独身者であり、つひぞ家庭の味はひを知らなかつた靴職人の感ずる、ほとんどにがいばかりに甘美な羨望と、預言者として認められない預言者の感ずる、熱した怒りと、それら二つをつきまぜながら、悔い改めることを彼らにすすめてゐた。

『エホバの顔を避けて』

 ヨナのこのような独白には、小林秀雄の系譜に連なる批評家、吉本隆明や江藤淳の無意識の情動が露出している。彼らの無意識に秘められているものとは、一言で言えば、母恋いの情動である。そしてまた、『エホバの顔を避けて』全編から感受されるものは、母の甘美な抑圧といった雰囲気である。

「母」という宿痾

 批評家の高澤秀次は、吉本隆明の無意識の核心に、彼の気質的な病である「母という宿痾」を嗅ぎ取り、そこに吉本という特異な批評家の固有性とアキレス腱を見いだしている。「戦後思想史における吉本の固有性は、この<病>にかかわる内在的な精神史が、外在的な歴史性に働きかけるその運動性にあった」(『吉本隆明』)。まったく高澤の言う通りなのだが、けれども、本質的な批評(文学)とはそういうものなのであり、まったく同じことを江藤淳は次のように言っている。

 いま、私の脳裏に浮かぶのは、それぞれのほとんど宿命的な「構図」にあわせて世界を切りとりつつある作家たちの姿である。そして、さらに多くの自らの「構図」を尋ねあてられずにいる不幸な群小作家たちの姿である。彼らは、流通貨幣のような一般的な概念によって、世界を解釈するにすぎない。

『小林秀雄』

 病として現象する宿命的な構図こそが世界という外在的な歴史性と肉感的に遭遇することができる。そのようにしてしか世界の実相は掴めはしない。そのことを本能的な作家は知っているし、良質なジャーナリズムも「流通貨幣のような一般的な概念」に頼ることの危険を知っている。

 ところで吉本の「母という宿痾」は、一方で散文的な批評として外在的な歴史に向けて戦闘的な分析を発動させるが、また一方では甘美な退嬰の世界へと向けて無防備に身を開き、母と戯れる詩的世界を素直に表出する。

枯れてゆく黄色い海に
母がひそんでいる
春の潮には 爪がある
いつか機嫌がいいとき 魚たちの
母が語りはじめる
(略)
未明という限りがない堤のしたに
疲れた魚の子たちは
似かよった葉っぱみたいに
いつまでも休んでいる

母に連れられた魚は
疑問符の限りない音楽だ

ああ 幼児は硝煙の匂いがしている
死に漂う匂いだ
枕の裏側から

たれかが遠い声で 読んでいる  

「舟歌」

 蓮實重彦が嗅ぎ取りそれを「野生の悲劇」と呼んだところの吉本の資質的な悲劇性とそれにまつわる死のイメージが刻まれているが、母胎への甘美な郷愁に満ち溢れている作品だ。魚の母と魚の子たちが形づくる世界にはいささかの罅も瑕も見当たらず、まるで聖家族を描いた絵画のようですらある。吉本隆明の最も柔らかい部分が露出していると感じる同時に、『共同幻想論』の名高い「対幻想」という概念はこのような風景を背景にしているのだと、私は感得する。<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける>(「エリアンの手記と詩」)という詩句に見られる悲劇的な吉本の預言者的資質を救済するのは「至福の母型」を内包する対幻想という仮構であった。そして『エホバの顔を避けて』のヨナがそこから斥けられ、それゆえにそれを希求する世界も幸福な対幻想であったが、ヨナがまず捉われるのは、「地獄の母型」とも言える甘美な抑圧を強いる対幻想であった。『エホバの顔を避けて』の冒頭は次のような甘美な緊迫感に満ちている。

 エホバよ、わたしはあなたの顔を避ける。あなたのその輝かしい彩りを、その歌声のきらめきを、わたしは避ける。
 エホバよ、あなたはわたしの幸福を、さう、たとひそれがどのやうに小さなものであつたにせよ、やはり確かに存在してゐたわたしの幸福を、憎んだのであらうか。憎しみのためでなくしてなんの故をもつて、わたしにあのやうなことを命じたのであらうか。エホバよ、あなたはその厳しくて黒い響きを、なんのために鳴らすのか?

『エホバの顔を避けて』

 ユダヤ教という物語の圏域にヨナは全身をどっぷり浸している。であるがゆえに、これらの言葉を「共同幻想」に連なるものであると想定することはもちろん可能だ。とはいえ、これらの言葉からは「共同幻想」から連想される理知的で抽象的な官僚制度とは異なる肉感性がより多く感受される。「あなた」「顔」「歌声」といった語彙が温かみを帯びた肉体の現前性を伝えてくるのだ。とりわけ「あなた」という二人称が、この世界を「あなたとわたし」という「対幻想」の色調で染め上げる。母の欲望が空間の全域にわたって浸透し、母の肉体とそこから分離できずにいる子が形成する「想像界」の世界である、と言ってもいい。

 三浦雅士は「象徴界」と「想像界」はつながっていると言っているが、「共同幻想」と「対幻想」」もつながっている。たとえば「国家」と「母国」という言葉を並べた時、内実としては同じものでありながら、それを肉体で受け止めるとなるとその触感はずいぶんと異なる。「母国」はいっそのこと対幻想と言ってしまっていい。ファシズムという権力が「母国」という角度から肉体に接近する時その誘惑を逃れることはかなり難しい。そもそも人間がとらわれる「幻想」の原型は「対幻想」であろう。ラカンの「鏡像段階」が指し示すがごとく、乳児が対面する最初の他者は母親であり、母との関係において子はイメージ(幻想)を作り上げてゆく。

 ヨナにとってユダヤ教は共同幻想という以前に対幻想であった。吉本隆明的には国家や宗教や芸術は共同幻想であるが、それらはそれらが親密性を発揮する限りにおいては対幻想として人をとらえる。小林秀雄もまた対幻想を生きる人であった。有名なボードレール体験を、小林は「当時、ボオドレエルの『悪の華』が、僕の心を一杯にしてゐた。と言ふよりも、この比類なく精巧に仕上げられた球体のなかに、僕は虫の様に閉じ込められてゐた、と言つた方がいい」(「ランボオⅢ」)と書いているが、ここで小林は自身の対幻想について語っている。小林の言う「球体」が「子宮」と同義であることを見るのはたやすい。それは想像界なのだ。安らぎの親密性に満ちた空間である。だが一方でそれはそこに閉じ込められた者を拘束し息苦しくもさせる。小林秀雄は次のようにも語っている。「僕はドオムの内面に、ぎつしりと張り詰められた色とりどりの壁画を仰ぎ、天井のあの辺りに、どうかして風穴を開けたいと希つた。(略)さういふ時だ、ランボオが現れたのは。球体は砕けて散つた。僕は出発することが出来た」。もちろん小林は次に「ランボオという球体」のなかに閉じ込められたのであるが、人間の人生というものはそのようにいくつかの対幻想を通過する幻想遍歴としてある。幻想遍歴が座礁するのは「現実界」と直面した時である。

 再び言うと、ヨナはエホバの「歌声のきらめき」にとらわれた男であり、対幻想の中で彼は母の欲望に拘束され、そこからの逃亡を願う。ここで対幻想は母の胎内と牢獄の二つをひとつの身振りで演じている。それは母への感情が、愛憎という相反しながらひとつのものとして受け取らざるを得ない厄介な矛盾と似ている。「母の胎内と牢獄」という空間を究極に体現するものは「ヨナ書」を有名にする鯨の腹である。童話の『ピノキオ』にも引用されたこの空間は牢獄の窒息感を湛えつつもどこか懐かしさ感じさせる不思議な場所である。じっさいヨナはこの場所で彼がとらわれていた対幻想を更新するのである。

 わたしは、今またしても罪への戸口にあつたわたしの姿をかへりみながら、わたしをあの魚の腸――エホバの顔を避けた者をはうむる墓、死児の子宮――から救つた者がエホバであることを、はつきりと知つたのであつた。よろしい、エホバよ、とわたしは呼びかけてゐた。エホバよ、今度こそわたしはあなたの言葉に従ふであらう。

『エホバの顔を避けて』

 こうしていよいよニネべに到着したヨナであったが、ヨナの対幻想遍歴はどのように進展したのであったか。

「エホバ」から「らめて」へ

 聖書の「ヨナ書」には登場しない人物を丸谷才一は『エホバの顔を避けて』の中に創り出している。アシドドとラメテの二人である。アシドドはかつてはニネべの役人であったが、不幸な火災から財産を失い不能になり、今は博徒として頽廃的な生活を送っている。ラメテはアシドドの妻であったが、彼とは離婚し、それでも火災後の廃墟に彼と同居し、売春をしながら暮らしている。

 ヨナはこの二人の屋敷で寝泊まりと食事の世話を受けながら、預言者としての活動を行うこととなる。アシドドはヨナの活動を積極的に協力するが、彼にはある企みがあって、それはヨナの予言を利用してクーデターを起こすことであった(最終的にはこの企みは失敗する)。一方のラメテは、ヨナのよって立つ原理とは根本的に異なる原理を提示し続けてヨナを揺さぶる。ヨナとラメテの違いを、三浦雅士は象徴界と想像界の違いに喩えている。二人の違いを、単純に、文化と自然の違いと言ってもいい(厳密に言うと人間が「自然」そのものになりきるのは不可能なので、ラメテは「自然」が浸透した「文化」を体現している、と言うべきだろう)。

 ねえ、あたし、人間つてもつと立派なもの、もつと尊厳なものつて気がしてたんだけど、小魚とおなじ資格、おなじ価値しかないのかしら。つまりあたしみたいに考へるためには、エホバを信じないでゐるしかないのかしら?
ちやうど奴隷が主人の鞭を恐れてるみたい。なんの喜びもない。あなたの信仰つて、さういふものなのよ。昔のあたしの信仰とおんなし。

 だからヨナ、死を求めてあがいてゐるのは、あなたのはうなのよ、あなたは罪という観念にとりつかれて、自分を責めた。これはあなたの純潔さの證になることかもしれない。だけど、あなたは自分の純潔さを他人にまで強いた。つまり、自分の罪の意識を他人に強制した。あなたは自分を罪から解放するために、死にあこがれた。

 ねえ、ヨナ、あたしも一緒にゆくのよ。あたし、最初からそのつもりだつた。二人でこの邸を出、この都を去り、平原と砂漠を横切り、河を渡るのよ。そして、どこか遠い町で、二人で生きようと思ふの。

『エホバの顔を避けて』

 こうしたラメテの数々の言葉によって、ヨナは揺さぶられ、ラメテの言葉の浸透を受け入れ、エホバとの対幻想からの離脱へと傾く。ラメテの逃亡の誘いの言葉に対して、ヨナは心の中では「さう、わたしはこのとき決意してゐた。ニネべの街から、審判の都から、命を賭けて逃亡することを、もういちどエホバの顔を避けることを」とつぶやきながら、とはいえ実際にラメテに対して発語されたのは「駄目だ。エホバはどこまでも追つて来る」という言葉であった。エホバとのものとは異なるオルタナティブな対幻想にコミットする可能性が垣間見えながらもヨナはその可能性の芽を自ら摘んでしまう。ちぐはぐさをヨナはまたしても反復してしまう。

 ラメテが先回りしてヨナに送ったヨナの無意識の声とヨナが遭遇するのは、ラメテの死の直前である。ヨナの予言とアシドドのクーデターが失敗に終わった後、ヨナは愛というよりは欲情からラメテと丘の上で交わるが、アシドドとアシドドの一派による投石によってラメテが息を引き取る間際、ようやくヨナはラメテとの対幻想に追いつくのであった。

 逃れよう、小麦の畑、うまごやしの原、灰いろに汚れた羊の群れの歩んでゐる道をあわただしく通りぬけて、沼と砂漠と崖のかなた、光と静けさにあふれた遠い町へ去らう。その町の片隅でいつしよに生き、二人のしあわせを新しく試みよう。

 いや、事実わたしはこの異様に長い、いはば時間の停止した一瞬において思つてゐたのだ。わたしはラメテを愛してゐる、と。

『エホバの顔を避けて』

 むろん、これらの言葉はラメテの耳には届かないのだから、これはヨナの自己幻想としか言いようがない。けれども作品の言葉は、作品にヨナとラメテの対幻想を救済する言葉の運動を導入する。「終章」のエホバから離れてラメテの方へと接近する言葉の運動である。この「終章」は丸谷才一自身が翻訳に関わったジョイスの『ユリシーズ』の最終章であるモリーの独白に倣ってひらがなを乱舞させる。「いちまいの瓢の葉がおもい なげすてよう いちまいのかれしなびたひさごの葉が左手におもい なげすてよう」と開始される終章はヨナの崩れゆく意識に寄り添うように進行するのだが、それでもエホバへの呼びかけはこの場におよんでも持続される。「わたしはまちがつてゐるだらうかエホバさうたぶんわたしはあなたをつかのまのうつくしさにたとえる のはあなたはつかのまのものでないし美でないしあなたはひたすらわたしをおそれさせるあなたのかほをもういちどしかしこんどこそほんたうにさけることさへできたならべつのせかいへゆくことがいつかラメテがいつたやうにすることが だめなのだエホバそれはわたしにもうできぬ」。なるほどエホバへの呼びかけは持続されているが、「ラメテ」の名前が導入されると同時に「あなたのかほをもういちどしかしこんどこそほんたうにさけること」への意志が表明されている。作品の最後は次のようなものである。

 わたしはつかれてゐるしちからはなえてゐるしひさごのははかれてかたくひからびだめだラメテおまへがさうしてついてゐてくれてもすててしまえとすすめてくれてもラメテおまへにどんなにかなしさうなかほをされてもおれはこのおもいかわききつたくろいきろいかたいきたならしいなんのやくにもたたぬものをにぎりしめこれがおれのせかいそしてなげすてねばならぬすてるしかないしかしかんがへかんが しかしだめだらめておれはとけてゆくちひさな

『エホバの顔を避けて』

 「だめだ」「しかし」という言葉がヨナの無力と敗北を仄めかすが、エホバとの対幻想を「投げ捨てる」強い意志が存在することを蝕知させる。さらにつけくわえるなら、最終行が「だめだらめておれはとけてゆくちひさな」と未完の状態に置かれていることで、「ちひさな……」のその先には「らめて」とのひらがなが乱舞する新しい対幻想の可能性がほんの少しでも存在することを『エホバの顔を避けて』の言葉は欲望している(と、ここではあえて誤読しておきたい)。

 母恋いの情動とともに崩壊してゆくこの作品には、子守歌と崩壊を歌った歌ということで、まずは、中島みゆきのデビュー曲である「アザミ譲のララバイ」。他の大ヒット曲に比べて影が薄いが、結構人気のある曲ではないか。じっさい中島みゆきの特徴がよく出ている。敗北感と接していながらも、力強く、タフである。

 ウィッシュの「六月の子守歌」もはずせない。「子守歌」といえば、個人的には、まずこの歌が思い浮かぶ。日本ポップス史上の屈指の名曲であろう。

 バーシアの「Cruising for Bruising」は、字義通りに受け取れば「崩壊を目指してのさすらい」。崩壊はある種の人にとっては、快楽である。この曲にはそんな雰囲気がある。


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