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1983年のゲーム・ミステリー

(※本稿は「ネタばれ」を含みますので、未読の方はご注意ください。)

 その界隈では、伝説的作品と称される『幸せな家族――そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫)に興味をそそられ、読んでみた。なるほど確かに面白い。ぐいぐい読ませる力がある。そしてまた、この作品が書かれた80年代の文化的雰囲気のことをまざまざと思い出したりもした。

 まずは書誌的情報を――。
 作者の鈴木悦夫は1944年生まれ。団塊の世代の少し上の世代だが、ほぼ同世代といってよかろう。早稲田大学在学中から児童文学の創作活動を開始し、1969年には「祭りの日」で第二回日本児童文学者協会新人賞を受賞。児童図書の編集者として活動後、テレビやラジオまで活動の場を広げる。『幸せな家族――そしてその頃はやった唄』は、児童文学同人誌『鬼ヶ島通信』創刊号(1983年)から第12号(1988年)まで、あしかけ6年にわたる長期連載を経て、1989年に偕成社から単行本として出版された。『鬼ヶ島通信』は、佐藤さとるや野上暁たちが「子供のための文学の実験場」として創刊した雑誌だった。

 私自身は、現物に触れたことはないが、同人誌ならではの、商業誌とは一線を画した硬派な気風を担った雑誌であったのかもしれない。鈴木自身、『鬼ヶ島通信』の連載時の編集後記において「今更ながら、鬼ヶ島同人であることをうれしく思っている。(中略)政治的なセクショナリズムや、思い上った児童文学論や、薄気味悪い童話観などと、これほどまでに無関係である同人誌はザラにない」(連載第三回)という言葉を書いている。また、「祭りの日」で第二回日本児童文学者協会新人賞を受賞した直後には、受賞の言葉として、次のような硬派な言葉を残している。

 「祭りの日」もそうですが、これまでも家出の話をいくつか書きました。ぼくには児童文学とは云々などという固定した議論以前に、家出がもっと作品化されねばならないように思えるのです。なぜなら、少年たちの完全な自由が保障されない限り、彼ら、より以後の世代は、その時々の時代と社会に絶大な力で居座りつづける大人たちに、どこまでも<反>声明をつづけ、その具体的な行動として家出・放浪しつづけるはずですし、それが歴史の針を先に進めることは確かであって、その少年の完全な自由を阻害しているおとなが少年に向かって何か書こうとするならば、少年の現在的な自由の問題を自己に問いつめる作業をしなくてはならないと思うからです。それがおとなと少年の唯一の連帯の可能性をもたらすものであると思うのです。今や、おとなと子供の断絶をのり越える道が発見されなくてはならない時だと思うのです。そして今また思うことは、今後ぼくが児童文学という家庭にはいっていくならば、少年にならい、そこからの家出・放浪をしつづけなくてはならないということです。

『日本児童文学』1969年7月号

 いかにも1969年の青年の言葉らしい。高度成長期を背景に、終戦直後のような飢えの心配はなく、米ソ対立構造における奇妙な安定とアメリカの核の傘のもと、安穏とした世界において、「少年の完全な自由」が問題化されている。1960年代の青年としての鈴木悦夫の言葉は、かつて「少年」だったという記憶を持つ私にとって、それなりに心の奥底を揺さぶる力があるし、「家出・放浪」という言葉にも文学の素心のようなものを感受させ、ハッとさせられもする。

 ただ、少年期をとっくの昔に通り過ぎ、中年期を通過し、初老を向かえた自分には、少年の絶対性というものがどうにも居心地の悪いものに感じられ、世俗の歴史は相対性において理解されるべきだと考えるようになった。だから「少年の完全な自由」は、他者の抹殺において実現しうるものであり、それはファシズムの芽(独裁者の欲望)を内包し、みだりに振り回すものではなく、「不完全な自由」の受容と処理の問題が、すなわち相対性の感覚を鍛え上げることが、民主主義を健全に育てることにつながるのではないか、と考えるようになった。

 そうであるがゆえに、鈴木の受賞の言葉には、その内容については、距離をとってしまうのだが、一方では鈴木の言葉の硬派なたたずまいには懐かしさと共感を覚える。そしてこの懐かしさの感覚を一種の鏡とすることで、1983年の文化シーンが浮かび上がってくる。1969年には、少年と大人という対立項で状況を把握し、1983年にもそれが成り立つと鈴木は考えていたかもしれないが、じつはそのような対立はもはやなかった。当時あったのは、硬派の少年と軟派の少年の対立であった。鈴木が1969年に書いた言葉の近傍にいたのは、1983年にデビューした尾崎豊であっただろう。

 「十五の夜」や「卒業」などの尾崎の反体制的な歌は、1969年およびそれに続く1970年代前半のモードに属するものであったが、1983年時にはニュートラルという当時のキー・ワードで呼び習わされていた非体制的な姿勢が主流派を占めていたのである。このニュートラルという姿勢は、当時の別のキーワードでいうなら、無意味や無内容を顕揚する風潮として現象し、内容を無視した形式的なゲーム文化を担った江戸時代の風潮との類似をたびたび指摘されたのだった。

 日本の近現代文学の流れでいえば、それは第一次戦後派(反体制)と第三の新人(非体制)の対立と重なるし、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』(初出1969年)がメジャー化するのもこの頃である。阿佐田は、不良少年のタイプを2つに大別し、1つは世界に対して反抗を企てるタイプであり、もう一つは道に蹲っていじけるタイプとしている。阿佐田は、自分は後者のタイプだと言っている。当時は「闘争」自体が排除されていたのである。「闘争」がにわかに復活し始めるのは、1988年に蓮實重彦と柄谷行人による『闘争のエチカ』が刊行されて以降のことである。それに伴い、ニュートラルと言い募ってきたポスト・モダニストたちが闘争万歳と態度を変える様子を見て、私は目が点になった。当時も今も彼らには胡散臭さを感じている。

 ミステリ界においても、1950年代、60年代、松本清張によって牽引されてきた社会派ミステリが後退し、ミステリの快楽を前面に出すような作品が目立つようになる。清張の場合は、意味内容が重視されていたが、ミステリの形式ありきの小説が書かれるようになり、80年代後半には新本格派として全面開花する。

 1983年に連載を開始した(1988年連載完結)『幸せな家族――そしてその頃はやった唄』もまた、意味内容はほとんど空虚で、形式先行のミステリである。サブタイトルの「そしてその頃はやった唄」は、もともと山本太郎の詩集『覇王紀』に収められた詩のタイトルであり、この詩の内容を見立てて連続殺人事件が展開されるストーリーとなっている(ある一家の父、母、長女、長男、次男の全員が死亡するという荒唐無稽な筋立てである)。『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティー)、『僧正殺人事件』(ヴァン・ダイン)、『悪魔の手毬唄』(横溝正史)と同じタイプの作品である。『悪魔の手毬唄』には仕掛けとなる手毬唄の背後におぞましい犯罪の動機があるが(すなわち意味内容を重ねているが)、『幸せな家族』の場合は動機はほぼ不在である。犯人は自他共に「たいくつ病」を患っていることを認め、強いて言えばこれが動機ともいえ、いかにも80年代的であるが、やはり起源にある詩のストーリーを形式的に模倣しているのであり、このことこそが80年代的という言葉にふさわしい。

 パズラー・ミステリを成立させるゲーム的興趣が先行するのであり、つまりこの小説はゲーム的感性の上に成り立っており、良くも悪くも軽いのだ。語り手が「それはテレビゲームをしている時の感じとよくにていた」と語っているが、この小説を読んで強く感じるのは、犯罪を通して垣間見える人間の心の底知れぬ深さといった文学的感興ではなく、刹那的快楽中枢を刺激し続けるゲームのスピーディーなメカニズムである。と同時に、世界をゲームのように観察するメタの感覚を強く感じる。「幸せな家族」というホームドラマを上からシニカルに見下ろしているような視線がいかにも80年的で鬱陶しくもあった。それに比べれば、1987年にデビューした宮部みゆきの家族を題材にしたミステリは、牧歌的ですらある。

 また、この小説は、主人公の父親の知り合いのコマーシャル・チームが、保険会社のテレビ・コマーシャルとして、「幸せな家族」というシリーズものを撮影するという設定枠を設けられているので、従来のホームドラマへの批評的視線がことさら際立っている。

 この小説を読みながら思い出していたのは、1983年の映画『家族ゲーム』である。監督した森田芳光が、これは小津安二郎作品への自分なりの応答だ、と言っていたように、メタと自意識で出来上がっているようで、あまり好きにはなれなかったし、スペースワープ(ジェットコースターのようなおもちゃ)のメカニカルな運動感にも乗れなかった。『幸せな家族』も『家族ゲーム』も無機質なのだな。宮部みゆき作品の有機的(オーガニック)な物語や人間像とは天と地ほどに感触が異なっている。

 そもそも『幸せな家族』において鈴木は、人間を描く気はなかっただろう。中心を成すのは、ほとんどのミステリがそうであるように、破局へと向うサスペンス、意味内容としては家族解体の劇だが、それよりも破滅の予兆の律動が先行している。80年代のホラー映画の感触にも似ている。

 社会学者の室井尚は、80年代とそれ以前のホラー映画を比べて、かつてのホラーはコスモロジーに基づく陰影と奥行きがあったが、80年代のホラーは表層的で即物的な刺激(ジェットコースターに乗っているように「キャー」と叫ぶことができるのならいい)のみで成り立っている、という意味のことを言っている。『幸せな家族』もそのような流れの中にある。一家の長男がコンピューター・オタクであったように、家族の惨劇をコンピューター・ゲームのように、デジタル画面ごしに眺めている感覚がつきまとって離れなかった。

 70年代から80年代への流れに対して、私が漠然とイメージするのは、マクロなシステムの変遷のことである。経済学者の佐伯啓思は、大学院生だった70年代半ば、通産省でアルバイトしていたが、大学とは違って、役所の経済官僚たちが「ケインズは終わった、これからはフリードマンだ」と色めき立っていた様子を目撃している。ケインズにあっては、経済に対して「意味」を立てて経済を押さえ込むような、いいかえれば即物的な欲望(快感原則)に対する懐疑があり、代わって理念(快感原則の彼岸)を擁護するスタンスがあったが、フリードマンにはそのような姿勢はない。フリードマンの経済学は、レーガノミックスやサッチャリズムのバックボーンとなった。

 80年代的な快感原則の解放によってもたらされたマクロな流れを、われわれは容易には克服することができない。どんなに酷暑の夏が酷くなろうが、その時はさっさと地球を使い捨てにし、宇宙空間へと移動すればいいのだ、というやけくそ気味の楽観論がまかり通るだろう。話題となったテレビドラマ『不適切にもほどがある』では、80年代が大々的に回顧されていて、面白がって観ることもあったが、それにしても主人公の五十男はまるで男子中学生みたいだな、と呆れもし、80年代の弊害は一億総幼児化だな、と改めて思った。

 先の都知事選にも、80年代がフラッシュバックするようだった。選挙妨害やポスター騒動を見るにつけ、1986年の日本映画『コミック雑誌なんかいらない!』のことを思いだしたりした。80年代のヴァラエティー番組の放送作家やプロデューサーが政治にもコミットしてきた感があった。

 もうひとつ先の都知事選で驚いたのは、政治に過度な思い入れを持っている人が意外と多数存在することだった。「あなたの1票が世界を変える……」とかなんとか。まあそういうこともあるかとは思う。けれども基本的に私は、政治や、こと社会については、それらは相対性の世界であると思っているので、個人的なパーソナルな思いが通らないという形で、社会は経験されると、あきらめのほうが先に立ってしまう。精神分析学の用語を用いるなら、「大文字の他者」による「去勢」を受け入れることで、社会に参入するというプログラムである。さほど去勢によるダメージを受けない人がいるなら、その人はその社会の特権階級に属しているはずだ。

 もちろん、去勢の拒否というパターンもある。精神分析学の用語でいう「否認」という症例である。ただ、このことがらは明文化することはできない。各自がてんでバラバラに動きながら大きな運動を出来させるイメージであるが、どうもファンタジーっぽい。現実的なのは「野合」であろう。しばしば口にされる野党の共闘だが、じっさいは自民党の派閥所帯そうであるように、野合でやるしかない。それを「連帯」と呼ぶことは自由だが。必要であるのは、連帯と野合のバランスをとりながら、連帯もどきを演じることのできるしたたかな才能の持ち主の頭数が増えることのようである。

 1983年の話題であるので、80年代前半の音楽からチョイス。年代順にまずは1980年から、ステファニー・ミルズの「Never Knew Love Like This Before」。知名度の低い曲であるが、個人的には立派なスタンダード・ナンバー。

 同じく1980年のケニー・ロギンスの「This Is It」。70年代のメロウさと80年代のポップさが融合した見事な構成の佳曲。ケニー・ロギンスは「フットルース」が有名だが、私はこちらの方が好きである。

 80年代後半に日本歌謡界を席巻したイタロ・ディスコの先鞭をつけたChangeの「パラダイス」。1981年の作品である。80年代後半のユーロビートよりはビート感は太い。

 1983年のマンハッタン・トランスファーによる「Spice Of Life」。この大人っぽさがいい。私の推察では、間奏でハーモニカを吹いているのはスティーヴィー・ワンダーではないか。

 このマンハッタン・トランスファーに影響を受けたと思われるハイ・ファイ・セットの「素直になりたい」(1984年)。この頃のハイ・ファイ・セットは、相当に、マンハッタン・トランスファーを意識していたのではないか。この曲の作者は杉真理。私の中では、日本におけるビートルズ継承者三人衆というのがいて、その一人が杉である。後の二人は財津和夫と和田唱である。

 ラストに1984年からもう1曲。アシュフォード&シンプソンの「Solid As A Rock」。いま聴いても古びていない。これもスタンダード・ナンバーと言ってよかろう。


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