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「What a Wonderful World」
とあるコンサートで、久しぶりに耳にした名曲、「What a Wonderful Word」。無料の演奏会で、10数人による合奏。各々の自分の楽器に向き合い、みんなでひとつの曲を完成させる。その真剣さ。そして一曲一曲を聴取に届け、楽しませようとするその前向きな熱に打たれながら、ただぼんやりと耳を傾けていた。Louis Armstrongの原曲に寄せたアレンジで、明るく、軽い音の波がふんわりと届いて
もっとみる犀の角・第二夜 「有/無」 : 「わたし」は有るか無いか
そのとき、まずどこからどこまでが「わたし」だろう。
手のひらを眺めてみる。わたしの手。という名の物質。目に見えているし、触ることもできる。有るか無いか。当然、有るだろう。
もう少し広げて、今度は鏡に全身を映して眺めてみる。わたしという人間。鏡を使えばすべてではないが大体見える。全体的に触ることもできる。有るか無いか。やっぱり有るだろう。
さらに広げて、今わたしがいる場所を見渡してみる
法話|ミャンマー音楽の謎めいた世界へ
「なんもない夜座」というご法座を、しばしば行っている。
今回はこちら。
ご法座なので、お勤めもすれば、ご法話もある。ご法話のご縁があればまず原稿を書く。ミャンマー音楽をご縁に、こんな内容になった。
法話
<御讃題>
清風宝樹をふくときは
いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり
清浄勲を礼すべし
ようこそのお参りでございます。ここ明行寺は、浄土真宗本願寺派という宗派のお寺です。
犀の角のようにただ独り歩みたいものです。
信じられないようなことで、自分にとって最も身近な人を許しがたく感じてしまうことがある。
例えばこんな感じ。夫の後にお風呂に入った妻が、洗顔用の石鹸が浴室の床に落ちているのを見つける。夫の仕業に違いないが、わざとやったわけではないことは明らかだ。おおかた、疲れてうとうとしながら顔を洗い、落としてしまったことに気づかなかった、そんなところだろう。分かってはいるが、妻は苛立つ。いくらするのかわかっ
なんもない夜座 #3
ご法座は、なんもない日にやったっていい。特別な人たちがやってきて、特等の音を鳴らす夜は、特に。
12月に行われた「なんもない夜座 #2 」に続く、第3回目の開催。
今回の特別なゲストは、ミャンマーに渡って現地の音楽を調査し続けている村上巨樹さんと、糸島在住のピアニスト、河合拓始さん。
現地から戻るたび、「ミャンマー音楽の謎めいた世界へ」と題して日本中を巡り、調査結果を発表し続けている村