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犀の角講

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かつて、仏教のお話を聞く人の集まりを「講」と読んだそうです。僧俗関係なく平場に座り、ほかでもない、ただこの「わたし」のことを考え、知らされていく。 そんな集いに倣う「講」のプロジ… もっと読む
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記事一覧

犀の角・第二夜 「有/無」 :前夜

 結局のところ、私たちは単に言葉をやりとりしているのであって、意味などやりとりしていない…

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犀の角・第二夜 「有/無」 : 「わたし」は有るか無いか

 そのとき、まずどこからどこまでが「わたし」だろう。  手のひらを眺めてみる。わたしの手…

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犀の角のようにただ独り歩みたいものです。

 信じられないようなことで、自分にとって最も身近な人を許しがたく感じてしまうことがある。…

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犀の角・第一夜 「ひとり」 : ④ 暴力の前置き(ふりかえり)

 終わってみれば、体感としては2秒くらいで、当日撮影された動画を観るまで何も書くことがで…

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犀の角・第一夜 「ひとり」 : ③ 娑婆なう

 今回の企画は、トーク&ライブ。トーク、つまり話すこと。そしてライブは、今回の場合は歌う…

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犀の角・第一夜 「ひとり」 : ② 自己紹介

 普段何をしているのか、とよく聞かれる。「お寺の奥さん」(にしてはまだ若め)みたいな者を…

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犀の角・第一夜 「ひとり」 : ① 企画のご縁

昔のインド人は言いました  仏教以前、インドの哲人は言った。 「汝、それなり」  また、別のインド人は同じことをこう言った。 「自己とは、に非ず、に非ず、としか言えない」  その後、仏教を開いた釈尊は、人間の存在を見据えて言った。 「独生 独死 独去 独来」  誰しも「私は生きている」と思っている。当然、私も思っている。私は生きている。あたりまえだ。しかし、あたりまえのことほど不思議なものはない。「あたりまえ」とは、それを正しいことだと仮定してその先を規定するよ