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#海外文学のススメ

『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。

物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。
60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。
今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生

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『花びらとその他の不穏な物語』 グアダルーペ・ネッテル

『花びらとその他の不穏な物語』 グアダルーペ・ネッテル

惚れた腫れたの酸いも甘いもとりあえずは経験済みで、過去には疼いた傷も今は懐かしく思い出せる。そんな大人が楽しめるのは、直球ストレートの恋愛小説よりも、クセのある珍味のアラカルトのようなこんな短編集かもしれない。

向かいの集合住宅に住む男を、カーテンを閉じた窓の奥から観察し続ける女。
自分と妻とは違う種類の「植物」だと気づいてしまう男。
見知らぬ女性の痕跡を探し求めてレストランの女性トイレを覗き回

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『あなたはひとりぼっちじゃない』 アダム・ヘイズリット

『あなたはひとりぼっちじゃない』 アダム・ヘイズリット

素晴らしい作家が現れた、と言うに相応しいデビュー短編集である(2002年出版なので、現在は、未翻訳ではあるが他に数冊の書籍が執筆されている)。

タイトルはやわらか路線の自己啓発本のようで、ぱっと見た表紙は、白くまが描かれたほっこり系。しかしそれらが想起させるイメージを裏切るかのように、この本には強烈な悲しさが満ちている。「慰めや勇気を与えてくれる」とは対極にある本だ。
表紙だってよくよく見ると、

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『望楼館追想』 エドワード・ケアリー

『望楼館追想』 エドワード・ケアリー

円屋根のある古い大きな建物「望楼館」は、周囲が都会化する中で古色蒼然、陸の孤島だ。
「ぼく」ことフランシス・オームは、この望楼館に、両親と一緒に暮らしている。

望楼館の住人はフランシスを含めて7人。風変わりな彼らは、やがて自分が最後の住人になってしまうことを恐れながら、ひっそりと暮らしている。

フランシスの仕事は、町の中央にある台座の上に全身白ずくめで立ち、彫像のパントマイムをすること。
白ず

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『雌犬』 ピラール・キンタナ

『雌犬』 ピラール・キンタナ

怖い小説だ。
コロンビアのワイルドな雨風と、闇深い女性の心が、怖い。

主人公ダマリスは、海辺の断崖の上に住んでいる、もうすぐ40歳になる女性。
村に出るには、急な階段を降りて入江を渡らなければならず、住んでいる小屋も古く不便な生活だ。
ダマリスと夫には子供がなく、不妊は夫婦仲も冷え切らせている。

淡々と感情を抑えた語りが、彼女の半生を語り、波乱に満ちた少女時代から、夫婦で崖の上の管理人小屋に住

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“Uncommon Type”  Tom Hanks

“Uncommon Type” Tom Hanks

ハリウッド俳優のトム・ハンクスによる短編集。
「ハリウッドスターが書いた」という宣伝文句のいらない、というよりそれがむしろ邪魔になるくらいの、素晴らしい一冊だ。海外文学好きには大推薦したい。
今回私が読んだのはアメリカ版のペーパーバックだが、日本語訳はクレスト・ブックスで出ているので、こちらも良書であること間違いない。

特に気に入ったのは以下の3作品。

<Christmas eve 1953>

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『そんな日の雨傘に』 ヴィルヘルム・ゲナツィーノ

『そんな日の雨傘に』 ヴィルヘルム・ゲナツィーノ

「自分は、自分の心の許可なくここにいる」という気分を抱えて生きている男の物語である本書のカギは、「存在許可のない人生」、「無許可人生」という人生観だ。

初めから終わりまで、なにやら面倒な感じの中年男が町を歩きながらつらつらと心中で呟く独白が繰り広げられる。
町や河畔をひたすら歩き、時々アパートに戻り、またはカフェで食事をし。知人の姿を見つけると対面せずに済むようにこそこそ避けたりもする。
そうし

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『舞踏会へ向かう三人の農夫』 リチャード・パワーズ

『舞踏会へ向かう三人の農夫』 リチャード・パワーズ

ぬかるんだ田舎道に佇む三人の男。
二人は明らかに若く、一人は年齢不詳。
揃いのスーツと帽子姿の三人は、めかし込んでどこかへ向かう途中のようだ。

表紙の写真は、写真家アウグスト・ザンダーによるもの。
本書は、この一枚の写真を巡って想像力を羽ばたかせた、歴史の流れの物語である。

3つの物語が並行して交互に語られながら進行する。「めぐりあう時間たち」の構造だ。
簡単にキャプションをつけるならば、

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『砂漠が街に入りこんだ日』 グカ・ハン

『砂漠が街に入りこんだ日』 グカ・ハン

日本、韓国、中国。
今、アジアの若い女性作家が面白い。

フランスに移住した韓国人作家による、フランス語で書かれたデビュー作である本書は、8編が収められた短編集だ。

いつからか砂漠が入りこんだという街を訪れ、孤独にさまよう女性。
移住先での先の見えない生活の中、SNSを見て過去に交流のあった友人の死を知り、彼女と共に過ごした思い出の断片に心を巡らす女性。
平凡で単調な生活の中で、橋の向こう側への

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『ありふれた祈り』 ウィリアム・ケント・クルーガー

『ありふれた祈り』 ウィリアム・ケント・クルーガー

一年で一番好きな日はハロウィーン、二番めはクリスマス、そして三番目は、花火が見られる7月4日(独立記念日)。
しかしこの年の7月4日は、少年フランクの人生を決定的に変えることになる。

13歳の少年フランク。思慮深い牧師の父。芸術肌の母。音楽の才能に恵まれた姉。吃音を持つ弟。
アメリカ中西部の田舎町の、ありふれた家族。

歳上のワルとの喧嘩に、幼い性の目覚め。
フランクの瑞々しい夏の経験が、いかに

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『ささやかだけれど、役に立つこと』 レイモンド・カーヴァー

『ささやかだけれど、役に立つこと』 レイモンド・カーヴァー

カーヴァーの作品は端正だ。
真昼の陽光が全ての像をくっきりと照らし出すように、彼の乾いた筆致は、名もなき人々の人生のそこはかとないおかしみや哀しみ、また悪夢をも描き出す。
その端正さゆえに、それが悪夢である時、彼の作品は衝撃的に残酷なものになる。
突然運命に牙をむかれ、なすすべもなく打ち砕かれる主人公たちは、同じくなすすべもなくそれを目撃するしかない読者の心に、衝撃的に焼き付くのである。

それぞ

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『断絶』 リン・マー

『断絶』 リン・マー

意識を喪失し、日常の行動をひたすら繰り返す無限ループに陥りやがて死を迎える。
中国から広がった治療法のない謎の感染症はあっという間にパンデミックを引き起こし。。。

2012年から2016年にかけて執筆され2018年に発表されたこの小説は、コロナウイルスを念頭に置いて書かれたものではない。にもかかわらず、不気味なまでコロナ禍と類似している事にドキリとする。

「〈終わり〉は、いかにもさりげなく、気

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『エルサレム』 ゴンサロ・M・タヴァレス

『エルサレム』 ゴンサロ・M・タヴァレス

窓から飛び降りようとする男。
余命わずかの女。
性欲に翻弄される男。

好きな向きにはたまらない出だしだ。

32章からなるこの小説の各章には一人あるいは数人の名前が記され、各章ごとに名前を記された人物の物語が進行する。
そして、章ごとのシーンと心理描写を追ううちに少しずつ、彼らの人物像とそれぞれのつながりが形成されていく。
はじめはバラバラと思われたそれぞれの物語は、糸が絡まるように繋がりはじめ

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