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『ありふれた祈り』 ウィリアム・ケント・クルーガー

一年で一番好きな日はハロウィーン、二番めはクリスマス、そして三番目は、花火が見られる7月4日(独立記念日)。
しかしこの年の7月4日は、少年フランクの人生を決定的に変えることになる。

13歳の少年フランク。思慮深い牧師の父。芸術肌の母。音楽の才能に恵まれた姉。吃音を持つ弟。
アメリカ中西部の田舎町の、ありふれた家族。

歳上のワルとの喧嘩に、幼い性の目覚め。
フランクの瑞々しい夏の経験が、いかにも古き良きアメリカらしい情景の中で語られる。
しかしその夏フランクが経験するありふれていないものは、周囲で次々と起こる人の死だ。
あどけない少年ボビー・コールの事故死。
「旅の人」の謎に包まれた死。
そして、次に彼が目撃しなければならなくなった死は。。。。

狭い町で起きた事件とその顛末が、40年後の語り手フランクの回想として語られる。
不幸が連鎖する物語ながら、明るさと爽やかさがあるというのが全体としての印象だ。
それは、語り手の少年らしい晴れやかな視点と感情のためだろうか。

悲しみと衝撃に揺さぶられながらも、明るさを求めることをやめないフランクは、世界の不条理、様々な形での苦しみを知り、その中でも一筋の恩恵があることを見出す。
周囲の大人たちや家族、特に弟に対して徐々に理解を深めていく様子も感動的に読める。

また、町の人々の、根本的な善良さも物語の救いだ。
高潔な父親や男らしいその友人に、少年達はしっかりと守られている。
一見悪役と思われる数人もいるが、人間的な欠点に留まり、本物の悪人は登場しない。
差別や無理解など人間社会の負の面も描きながら、彼らの町が一種ユートピア的にさえ感じるのは、その善良な人々の存在のためだろう。

最も幼いが静かで鋭い洞察力を持つ弟ジェイクの言葉が秀逸だ。
「死が意味するのはなんだ?」という大人同士の会話に割り入って「もうみんなにからかわれる心配はないって意味だよ」と言う彼は、吃音のゆえにひたすら慎重に生きてきたためにとても老成した感覚を持つ。
正統派のキリスト教徒的な善意と誠意を持つ父親も魅力的だが、このジェイクにこそ、幼いながら真の宗教者の魂が宿っているように思える。

「自分であること。それからは逃げられない。なにもかも捨てることはできても、自分であることは捨てられない」

土ぼこりと草いきれ、暑い日差し、レモネード、ルートビア、、、アメリカ中西部の片田舎の、きらきらした夏の景色に飛び込んで少年の成長譚を堪能できるミステリー小説だ。

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