ミランヨンデラ

読んだ本の書評、読んで感じたことなどを書いています。

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最近の記事

『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

さらっと読めてぞわっと怖い短編小説を、今回も一作紹介しようと思う。 大濱普美子のデビュー作品集『たけこのぞう』(『猫の木のある庭』に改題して文庫化されている)に収められている作品だ。 ***** 主人公は、ドイツの大学に学んでいる日本人留学生の「私」。 彼女はある日、一足の靴を手に入れる。 アパートの隣の部屋に住んでいたローゼンバウム夫人が亡くなったのだが、その遺言によって、なぜかその靴が彼女に遺されていたのだ。 ローゼンバウム夫人とは、これといった親しい付き合いはなかっ

    • 『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

      悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。 物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。 60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。 今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生きているが、放射性の降下物の前線は徐々に南下しており、いずれ世界全体が汚染される

      • “The Swimmer” John Cheever

        カーヴァー、ブローティガン、アップダイク•・・。少し昔のアメリカの小説家が、全般的に好きである。 今回はそんな私のお気に入りのアメリカ人作家達の一人、ジョン・チーヴァーの、素晴らしい短編小説を一つ紹介したい。 『泳ぐ人』という題名で翻訳もあり、映画化もされている作品だ。 ***** 真夏のある日曜日。昼過ぎの高級住宅街。 ネッドは友人宅のプールサイドでくつろいでいる。 もう若くはないもののまだ引き締まった若さを保っている身体。身のこなしに纏う快活さ。ネッドは、例えるならば

        • 『人魚の石』 田辺青蛙

          人魚と奇石と封印された過去の織りなす奇妙なホラー?イヤミス? 蒸し蒸しとしたこの季節に体感湿度が倍増しそうな、ぬるりと怖い小説だ。 主人公「私」こと日奥由木尾は若い僧侶。亡き祖父の後を継ぐために、寂れた田舎町にある山寺に引っ越して来た。 少年時代を過ごしたことのあるこの山の中の寺。友達と虫をつかまえたり、川で遊んだりした記憶もある。祖母は気が強い人だったなあ。。。そんな思い出を呼び覚ましながらも、なんだか妙に庭の池が気になる。 倉庫から古いポンプを持ち出して池の澱んだ水を抜

        『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

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          32本
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          18本
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          18本

        記事

          『規則より思いやりが大事な場所で』 カルロ・ロヴェッリ

          本書は、『時間は存在しない』や『世界は「関係」でできている』などの著者である物理学者のカルロ・ロヴェッリが、2010年から2020年にかけてイタリア、イギリス、スイスのメディアに発表したエッセイを一冊にまとめたものである。 著者による「はじめに」と題される一文に、本書の内容及び本書が伝えんとする事が分かりやすく述べられているので、ほぼ丸写しとなるがここに引用したい。 科学、文学、宗教、詩といったテーマの他、政治や社会問題を取り上げたエッセイも多く収録されているが、どの文章も

          『規則より思いやりが大事な場所で』 カルロ・ロヴェッリ

          『Q』 呉勝浩

          とにかく文句なしに面白い。 660ページ超の分厚い本にも関わらず、本なんてほとんど読んだことない、という人にこそ勧めたくなってしまう。これを読んだらあなたも本の魅力に気づくはず、と。ハリーポッターをきっかけに読書好きになる、みたいなもので。 ***** 町谷亜八(ハチ)は傷害で逮捕され、現在は執行猶予期間中。千葉県富津市にある祖父母のものだった家に一人で暮らし、弁護士から紹介された小さな清掃会社で働いている。 楽しみもなく淡々と時間をやり過ごしていく、感情を押し殺した日々

          『Q』 呉勝浩

          『夏草の記憶』 トマス・H・クック

          痛ましく残酷な、青春の愛の物語である。 南部の田舎町で、地元の医師として敬愛されているベン。しかし、穏やかな中年医師の顔からはうかがい知れない深い闇を、その心は抱えている。 妻にも親友ルークにも告げることのできない、ベンの胸に秘めた大きな重荷は、青春時代に起きたある出来事に関するものだ。 ベンがハイスクールの2年生の時、北部の大都会ボルティモアから、一人の転校生がやって来た。 浅黒い肌と黒い巻き毛を持つ美しい娘、ケリー。 どこか近寄り難い雰囲気を纏うケリーだが、ベンは彼女

          『夏草の記憶』 トマス・H・クック

          『まどろみの檻』 皆川博子

          湿気をはらんだ風が吹く、曇りとも晴れともつかないような日の読書に、皆川博子を選んでみた。 今回は短編集『悦楽園』に収録されたこちらの作品を紹介したい。 ***** 冒頭から、ぞわりとする異様な光景。耳を片方断ち切られ、血を流しながら走り去る猫という、何か気味の悪い恐ろしい出来事を想像させるその記述の後で、ぽんと出される下の一文のインパクト。これぞ皆川ワールドだ。 主人公の秋本は、中高一貫の私立男子校の体育教師。 体育の授業中に、金網の塀の向こうからこちらを見る買い物籠を

          『まどろみの檻』 皆川博子

          『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

          『コーヒー&シガレッツ』というクールな映画があるが、映画とは全く関係なくたまたまほぼ同名のこちらの書籍も、最高にクールな逸品だ。 エッセイ、小説、小論がぎゅっと詰まっていて、どれ一つとして退屈なものがない。内容は違うが本のタイプとしては、ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』とも似ている。 とても面白い、何度も読みたい、大事に手元に置いておきたい一冊だ。 少年時代の思い出と厭世的な10代の頃を書いた最初の作品から、著者の繊細な感性と文章力の虜になる。 スウェーデンの作家、イ

          『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

          『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン

          オランダ国境に近いドイツの村。 農夫のレスマンが朝の作業をしていると、道を歩いてくる一人の少女の姿が目に入る。零下10度の寒空というのに、肩がむき出しの薄いドレス一枚だ。 何者かに追われているらしい少女をレスマンは家に助け入れる。 場面は変わり、ウクライナへ。 ここは、チェルノブイリ原発事故により汚染された立入禁止区域。 誰も住まないその土地に打ち捨てられた一軒の家に、ヴァレンティナという女性が一人で暮らしているらしい。 机の上にノートと鉛筆を用意し、ヴァレンティナは、娘の

          『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン

          『家を失う人々』 マシュー・デスモンド

          本書は、社会学教授マシュー・デスモンドが、米ウィスコンシン州最大の都市ミルウォーキーの、貧困層の住むトレーラーパークと黒人住人の多く住むスラムに、合わせて一年余り住んで行ったフィールドワークを記録したものである。 登場するのは全て実際に著者が現場に住みながら知り合った人々であり、書かれている出来事や会話は、実際に著者が目の前で見て、聞いたことだという。 膨大な取材をまとめ上げた本書が見せる現代アメリカの貧困の生々しい姿は、消化しきれない重さで胸にのしかかる。 *****

          『家を失う人々』 マシュー・デスモンド

          『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

          この小説はミラン・クンデラがまだチェコにいた1960年代末に書かれた。しかし、自由化運動に加わっていた著者は自国では弾圧の対象になったため、小説はフランスの出版社から、フランス語版で出版されることになる。 その後フランスに亡命した著者が、著作のフランス語訳の全面的な見直し作業を行い、そうした見直しを経て1991年に「新訳」(および「決定版」)として出版されたもの(の日本語訳)が本書である。 本書は著者が自身渦中で経験したチェコの混乱期を描いた小説であり、また、小説(小説技法

          『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

          『花びらとその他の不穏な物語』 グアダルーペ・ネッテル

          惚れた腫れたの酸いも甘いもとりあえずは経験済みで、過去には疼いた傷も今は懐かしく思い出せる。そんな大人が楽しめるのは、直球ストレートの恋愛小説よりも、クセのある珍味のアラカルトのようなこんな短編集かもしれない。 向かいの集合住宅に住む男を、カーテンを閉じた窓の奥から観察し続ける女。 自分と妻とは違う種類の「植物」だと気づいてしまう男。 見知らぬ女性の痕跡を探し求めてレストランの女性トイレを覗き回る青年。 主人公達は、少し“病んだ”人ばかり。そんな彼らが孤独な心に抱え育てる、

          『花びらとその他の不穏な物語』 グアダルーペ・ネッテル

          『サンダカン八番娼館』 山崎朋子

          1972年初版の本書は、70代80代の老女となった元からゆきさん達の生の声を取材したドキュメンタリー作品である。 貧困ゆえに苦しく耐えがたい人生を送った女性達の声なき声を聞くことが、女性史研究者としての仕事であるという著者の強い想いが、プロローグで語られる。 貧困地から南洋に送られて行った彼女達に、階級と性という二重の虐げが集中して表されている、つまり、日本における女性の苦しみの原点がある、と著者は論じる。 (天草が貧困地となった自然的また歴史的要因、そして、貧困と性との繋

          『サンダカン八番娼館』 山崎朋子

          『悪の誘惑』 ジェイムズ・ホッグ

          2世紀も前のヨーロッパのゴシック小説など退屈だろうと思うなかれ。嘘のように引き込まれる作品だ。 読み始めたら止まらない面白さとは、本書の序文でもアンドレ・ジッドが熱を込めて述べているが、同時代人のジッドにあらずとも、読み出したら止まらなくなってしまう。 本作は三部構成になっており、1824年の発表当時からおよそ百年前に起きた出来事について書くという体裁になっている。 まず第一部では、ある兄弟の身に起こった奇怪で不幸な事件が物語られる。 17世紀末のスコットランド。 ある地

          『悪の誘惑』 ジェイムズ・ホッグ

          『ピュウ』 キャサリン・レイシー

          こんなに心に訴えかける本はなかなかない。とにかく読んでほしい一冊だ。 この物語の視点であり語り手は、ピュウと呼ばれる人物であり、これは、ピュウがある町に現れてからの一週間の物語である。 どこから来たのか分からない。人種も年齢も、性別も定かでない。何を聞いても一切言葉を発しない。そんな不思議な少年/少女が、ある町にある日突然姿を現し、住民たちは彼/彼女をピュウと呼ぶようになる。 ピュウ(pew)とは、教会の信者席のこと。座り心地のそれほど良さそうではない、長い木の板を横に

          『ピュウ』 キャサリン・レイシー