ミランヨンデラ

読んだ本の書評、読んで感じたことなどを書いています。

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最近の記事

『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 風野春樹

表紙は一人の青年の写真。神経質な感じはあるが、頭の良さそうなしっかりした顔である。 この青年がなぜにして「誰にも愛されなかった」とまで言い切られているのか。気になって読んでみた。 私と同様、その名前を見てもピンとこない方がほとんどではないだろうか。 島田清次郎は、大正8年(1919年)に発表した小説『地上』で一躍文学界のカリスマになるも、その傲岸不遜な言動から文壇で疎まれ、数々のスキャンダルを起こした挙句、精神に不調をきたして精神病院に収容されたという、波乱の生涯を送った作

    • 『アメリカへようこそ』 マシュー・ベイカー

      とてもパワフルな短編集。 着想の多彩さ、ストーリーの面白さ、文章のバイタリティ、どれを取っても燃料満タンの、エネルギーに満ちた一冊だ。 想像の斜め上をいく想定は新鮮な驚きであり、ストーリーのあまりの予想のつかなさに夢中になってしまう。 一編ごと、どんな設定が現れるのかと期待しながら読み始めるのが楽しい。 人が精神を全てデジタル・データに変換して肉体からコンピューター・サーバーへと「変転」することが可能になった世界。(「変転」) 犯罪を犯すと国家によって過去の記憶を消される

      • 『常盤団地の魔人』 佐藤厚志

        題名に「団地」とつく本を見るとつい読んでみたくなる。 というわけで手に取ったこちらの本、濃厚な“団地感”と少年時代のわくわく感が余す所なく詰めこまれた美味なる一冊で、一気に読んでしまった。 ***** 冒頭のこの記述から、常磐団地が位置する一帯の雰囲気がうかがわれる。 常磐団地はそこから想像される通りの、壁がひび割れ、老人やブルーカラーの住人が多く住む老朽化した団地だ。 三号棟に住む今野蓮は今年小学三年生になる男の子。新学期を目前にしたある日、団地の敷地内をぶらぶら歩い

        • 『娘について』 キム・ヘジン

          タイトルは『娘について』だが、母親についての小説だ。 主人公「私」は初老の寡婦。若い頃は教師だったが、今は自宅の2階を賃貸しつつ、老人介護施設で働いている。 彼女の家に対するこの独白からも分かる通り、「私」は、実態が明らかな確固たる物事を好む、常識的で勤勉な女性だ。そして、寄る年波に不安を感じ、世知辛い世間への不満を抱えてもいる。 そんな彼女の家に、30代の娘が身を寄せて来るところから物語が始まる。 学のある娘は大学での非常勤講師の仕事を持つものの経済的に困窮しており、し

        『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 風野春樹

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        • 教養・ノンフィクション
          19本
        • 小説
          101本
        • エッセイ
          19本
        • 私の本棚
          32本

        記事

          『去年ルノアールで』 せきしろ

          喫茶店にいると五感に独特の感度が宿る。 隣の席の見知らぬ人々。交差することのない人生を生きる人々。もし自分が彼らの連れとしてその場にいるならば何ということのないひと時を共有するだけであろう、何の変哲もない人々が、外側からひっそりと観察する対象となったとたんに、なんと興味深い存在になることか。 彼らの何気ない会話の一言に想像がむくむくと肉づけされ、語られない物語に興味が湧き上がってしまう。 雑音の網の目をかいくぐって耳に届く言葉だから、くぐもって不鮮明なので、聞き取りミスも

          『去年ルノアールで』 せきしろ

          『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

          アイリーン・モア灯台事件から着想を得て書かれたフィクションである本作は、全体にモノクロームな雰囲気が漂う、静かに張り詰めたサスペンス小説だ。 消えた3人の灯台守とその妻たちの独白を中心にして進む物語には、謎めいた言葉が散りばめられ、静かに進むミステリーが驚くべき結末に導いていく。 灯台守の鑑と言われる模範的な主任である、内省的なアーサー。 高圧的な父親に言われるがままに灯台守になるしかなかったと、自分の人生を皮肉に冷笑するビル。 犯罪に彩られた過去を持ちながら、灯台守とし

          『光を灯す男たち』 エマ・ストーネクス

          『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

          さらっと読めてぞわっと怖い短編小説を、今回も一作紹介しようと思う。 大濱普美子のデビュー作品集『たけこのぞう』(『猫の木のある庭』に改題して文庫化されている)に収められている作品だ。 ***** 主人公は、ドイツの大学に学んでいる日本人留学生の「私」。 彼女はある日、一足の靴を手に入れる。 アパートの隣の部屋に住んでいたローゼンバウム夫人が亡くなったのだが、その遺言によって、なぜかその靴が彼女に遺されていたのだ。 ローゼンバウム夫人とは、これといった親しい付き合いはなかっ

          『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

          『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

          悲しく救いのない終末小説。しかし、ここまで救いがないにも関わらずこんなにも美しく、穏やかに凪いだ読後感を与える小説が、他にあるだろうか。 物語の舞台設定は1963年。この小説の初版は1957年なので、近未来というよりも同時代を描いたフィクションだ。 60年代初頭に起きた第三次世界大戦で核戦争が勃発し、核爆弾によって地球の北半球は壊滅状態になった。 今は南半球に位置する国だけで、かろうじて人間が生きているが、放射性の降下物の前線は徐々に南下しており、いずれ世界全体が汚染される

          『渚にて 人類最後の日』 ネヴィル・シュート

          “The Swimmer” John Cheever

          カーヴァー、ブローティガン、アップダイク•・・。少し昔のアメリカの小説家が、全般的に好きである。 今回はそんな私のお気に入りのアメリカ人作家達の一人、ジョン・チーヴァーの、素晴らしい短編小説を一つ紹介したい。 『泳ぐ人』という題名で翻訳もあり、映画化もされている作品だ。 ***** 真夏のある日曜日。昼過ぎの高級住宅街。 ネッドは友人宅のプールサイドでくつろいでいる。 もう若くはないもののまだ引き締まった若さを保っている身体。身のこなしに纏う快活さ。ネッドは、例えるならば

          “The Swimmer” John Cheever

          『人魚の石』 田辺青蛙

          人魚と奇石と封印された過去の織りなす奇妙なホラー?イヤミス? 蒸し蒸しとしたこの季節に体感湿度が倍増しそうな、ぬるりと怖い小説だ。 主人公「私」こと日奥由木尾は若い僧侶。亡き祖父の後を継ぐために、寂れた田舎町にある山寺に引っ越して来た。 少年時代を過ごしたことのあるこの山の中の寺。友達と虫をつかまえたり、川で遊んだりした記憶もある。祖母は気が強い人だったなあ。。。そんな思い出を呼び覚ましながらも、なんだか妙に庭の池が気になる。 倉庫から古いポンプを持ち出して池の澱んだ水を抜

          『人魚の石』 田辺青蛙

          『規則より思いやりが大事な場所で』 カルロ・ロヴェッリ

          本書は、『時間は存在しない』や『世界は「関係」でできている』などの著者である物理学者のカルロ・ロヴェッリが、2010年から2020年にかけてイタリア、イギリス、スイスのメディアに発表したエッセイを一冊にまとめたものである。 著者による「はじめに」と題される一文に、本書の内容及び本書が伝えんとする事が分かりやすく述べられているので、ほぼ丸写しとなるがここに引用したい。 科学、文学、宗教、詩といったテーマの他、政治や社会問題を取り上げたエッセイも多く収録されているが、どの文章も

          『規則より思いやりが大事な場所で』 カルロ・ロヴェッリ

          『Q』 呉勝浩

          とにかく文句なしに面白い。 660ページ超の分厚い本にも関わらず、本なんてほとんど読んだことない、という人にこそ勧めたくなってしまう。これを読んだらあなたも本の魅力に気づくはず、と。ハリーポッターをきっかけに読書好きになる、みたいなもので。 ***** 町谷亜八(ハチ)は傷害で逮捕され、現在は執行猶予期間中。千葉県富津市にある祖父母のものだった家に一人で暮らし、弁護士から紹介された小さな清掃会社で働いている。 楽しみもなく淡々と時間をやり過ごしていく、感情を押し殺した日々

          『夏草の記憶』 トマス・H・クック

          痛ましく残酷な、青春の愛の物語である。 南部の田舎町で、地元の医師として敬愛されているベン。しかし、穏やかな中年医師の顔からはうかがい知れない深い闇を、その心は抱えている。 妻にも親友ルークにも告げることのできない、ベンの胸に秘めた大きな重荷は、青春時代に起きたある出来事に関するものだ。 ベンがハイスクールの2年生の時、北部の大都会ボルティモアから、一人の転校生がやって来た。 浅黒い肌と黒い巻き毛を持つ美しい娘、ケリー。 どこか近寄り難い雰囲気を纏うケリーだが、ベンは彼女

          『夏草の記憶』 トマス・H・クック

          『まどろみの檻』 皆川博子

          湿気をはらんだ風が吹く、曇りとも晴れともつかないような日の読書に、皆川博子を選んでみた。 今回は短編集『悦楽園』に収録されたこちらの作品を紹介したい。 ***** 冒頭から、ぞわりとする異様な光景。耳を片方断ち切られ、血を流しながら走り去る猫という、何か気味の悪い恐ろしい出来事を想像させるその記述の後で、ぽんと出される下の一文のインパクト。これぞ皆川ワールドだ。 主人公の秋本は、中高一貫の私立男子校の体育教師。 体育の授業中に、金網の塀の向こうからこちらを見る買い物籠を

          『まどろみの檻』 皆川博子

          『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

          『コーヒー&シガレッツ』というクールな映画があるが、映画とは全く関係なくたまたまほぼ同名のこちらの書籍も、最高にクールな逸品だ。 エッセイ、小説、小論がぎゅっと詰まっていて、どれ一つとして退屈なものがない。内容は違うが本のタイプとしては、ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』とも似ている。 とても面白い、何度も読みたい、大事に手元に置いておきたい一冊だ。 少年時代の思い出と厭世的な10代の頃を書いた最初の作品から、著者の繊細な感性と文章力の虜になる。 スウェーデンの作家、イ

          『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

          『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン

          オランダ国境に近いドイツの村。 農夫のレスマンが朝の作業をしていると、道を歩いてくる一人の少女の姿が目に入る。零下10度の寒空というのに、肩がむき出しの薄いドレス一枚だ。 何者かに追われているらしい少女をレスマンは家に助け入れる。 場面は変わり、ウクライナへ。 ここは、チェルノブイリ原発事故により汚染された立入禁止区域。 誰も住まないその土地に打ち捨てられた一軒の家に、ヴァレンティナという女性が一人で暮らしているらしい。 机の上にノートと鉛筆を用意し、ヴァレンティナは、娘の

          『希望のかたわれ』 メヒティルト・ボルマン