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『Q』 呉勝浩

とにかく文句なしに面白い。
660ページ超の分厚い本にも関わらず、本なんてほとんど読んだことない、という人にこそ勧めたくなってしまう。これを読んだらあなたも本の魅力に気づくはず、と。ハリーポッターをきっかけに読書好きになる、みたいなもので。

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町谷亜八(ハチ)は傷害で逮捕され、現在は執行猶予期間中。千葉県富津市にある祖父母のものだった家に一人で暮らし、弁護士から紹介された小さな清掃会社で働いている。
楽しみもなく淡々と時間をやり過ごしていく、感情を押し殺した日々の中、ハチのスマホにメッセージが届く。

『キュウのことで話がある。会って』

メッセージの送り主はロク(町谷睦深)。ハチの、血のつながらない、同い年の姉である。そして二人にはさらに5歳下の、血のつながらない弟がいる。それがキュウ(町谷侑九)だ。
ロク、ハチ、そしてキュウ。彼らは父親の、3人いた妻それぞれの連れ子だった。
父親は別れた妻の子を引き取るものの養育はせず、三人は富津にある父方の祖父母の家で育てられていた。しかし末っ子のキュウが12歳の時に芸能事務所からスカウトされたのを機に、キュウの母親が、キュウを、そして家事係として姉のロクを、一緒に住むため引き戻し、以来ハチは姉弟とほとんど音信不通で暮らしていた。
姉弟が最後に会ったのは7年前。キュウは今19歳になり、アイドルとして活動している。

7年ぶりのロクからの連絡と時を同じくして、ハチの周囲で異様な人物と危険な気配が動き始め、そして物語は、キュウという少年に引き寄せられた人々による禍々しい狂騒劇へと、大きくうねっていく。

美しい顔を持つキュウのダンスパフォーマンスに、誰もが魂を吸い上げれるように魅了されていく。一方で、スキャンダルを嗅ぎ回る不穏な影が見え隠れする。そして過去に起きたキュウの母親の失踪事件を探られたくない理由が、姉妹にはあるのだった。
ロクはキュウを守るためと、彼を事務所から離して、既存のメディアと一切関わらない独自のプロデュースを始めるのだが。。。

「あの子の輝きなしには生きることなんてできない」と断言するほどキュウに執着している姉のロク。
怪しげな趣味と思想を持つ芸能界の権力者。
子供達から憎悪されている非道な父親。
そしてその発する言葉、一挙手一投足の全てで周囲を魅了しながら、全ての言動を演じられた嘘とも思わせるキュウ。
登場するほとんどが、どこかしら狂人的で異様な人物だ。
だが一番狂っているのは誰なのか。
悪魔的なトリックスターであるキュウは、本当に悪魔なのか、それとも神なのか。
本当の悪魔はどこにいるのか。

暴力、痛み、狂気がてんこもりの世界だが、意外に読み心地は軽い。
ロクの夫であり元はフードチェーンのサラリーマンだった本庄健幹の視点がストーリー展開の大きなパートを担っていることが、アクセントになっているからだろうか。
コロナ禍という記憶に新しい状況の中で、結婚、転職し、仕事の面でも人生経験としても、今まで全く触れたことのなかった世界に入り、戸惑いながらも奮闘する姿は、小説の非リアル世界と読者のリアルな感覚を結びつける。
弱腰の普通の男が徐々に変わっていく様子もまた読み応えありだ。

本書のハードボイルド担当はハチである。残虐シーン担当とも言えようか。
男のような格好をし男のような喋り方をする彼女の佇まいは鋭く、愛想はかけらもないが、ミステリアスなオーラを放つ。
彼女もまた、望まない展開に翻弄されながら変わっていく。
ハチのわりとコテコテにキザな言動も浮かないくらいハードなストーリーは、本庄健幹のパートと対をなす重量感で小説全体を締めている。

個人的な趣味だが、登場人物の外見についてのああだこうだといった描写がないのが良かった。
魅力をビジュアルイメージとして伝えたいのはわかるが、目が口が鼻がと細々説明されるのは興を削ぐ。その点本書では美少年キュウやクールなハチについても、その造形についての説明は必要最小限にとどめられており、必要以上に押し付けられる外見的イメージに邪魔されることなく作品世界に入って行くことができた。

そもそも安直なキャラクターのビジュアルイメージなど不要なほど刺激的な、ジェットコースターのような小説である。
ノワールでありサスペンスであり過激なエンタメ業界お仕事小説。酔いは十分に回る。
寝不足覚悟で、ぜひ。