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『規則より思いやりが大事な場所で』 カルロ・ロヴェッリ

本書は、『時間は存在しない』や『世界は「関係」でできている』などの著者である物理学者のカルロ・ロヴェッリが、2010年から2020年にかけてイタリア、イギリス、スイスのメディアに発表したエッセイを一冊にまとめたものである。
著者による「はじめに」と題される一文に、本書の内容及び本書が伝えんとする事が分かりやすく述べられているので、ほぼ丸写しとなるがここに引用したい。

ここに収められているのは、過去十年ほどの間にさまざまな新聞に載ったコラムで、詩人のことや、何らかの形でわたしに影響を及ぼした科学者や哲学者、旅のことや自分自身が属する世代の話、無神論やブラックホールや望遠鏡や幻覚体験、そして知的な驚きなど・・・・・・たくさんの事柄について語っている。いうなれば、一人の物理学者──さまざまなことに関心があって、新しい着想を探し求め、幅広く一貫した展望を得たいと思っている物理学者──の知的な冒険を記録した日記の短い書き込みのようなものなのだ。
この本の題名は、これらのコラムの一つに登場するある言い回しからとられていて、おそらくこの本全体に通底する心構えのようなものを表している。

科学、文学、宗教、詩といったテーマの他、政治や社会問題を取り上げたエッセイも多く収録されているが、どの文章も、信念を全面に押し出した熱のある文章だ。大胆でロマンチックな(イタリア人らしい)著者の人柄もよく分かる。

イタリアの中東における戦争への介入について、また新聞が有料版としてヒトラーの『わが闘争』の新版を提供したことについてといった、センシティブな話題にも臆せず踏み込んでいる。
もちろん通り一遍の評論ではない。
例えば『わが闘争』について、実際に読んでそこから学ぶことがあった、それはそこに歴然と表われているのが「恐怖」だということだ、と著者は書く。

他の人々を支配しなければならないと思うのは、じつはそれらの人々に支配されるかもしれないという恐怖があるからだ。・・・互いに対するこのような恐怖から、相手を人間と見なさなくなり、そこから地獄への道が開けていく。・・・
自分が弱いと感じる人々は、他者を恐れ、警戒し、自分を守るために、自分たちのアイデンティティーとされるものに群がる。・・・誰かがみなさんに何かを恐れるべきだというのは、その人が弱いからだ。『わが闘争』は暴力の深層にあるこの論理を暴露する希有な本だ、とわたしは思っている。

誤解や批判を恐れない言葉は力強い。
ただ、著者が学ぶに至ったその論理をどれだけの人々が正しく読み取れるのか、という問題はあるとは思うが。。。

無神論者である理由を滔々と述べる文章や、LSDの使用に関する物議を醸しかねない際どい文章もあり、ヨーロッパのメディアのおおらかさ、議論を歓迎する姿勢にも興味が湧いた。

本書にはまた様々な詩人、科学者、哲学者について、そして科学的文化的なあれこれに関する、知的欲求を刺激するコラムも多く収められている。
これらの一群のコラムは、例えて言えば濃厚なシラバス、もっと気取って言うなら知と啓蒙の回廊だろうか。
新聞等に掲載されたコラムという性質上、一つ一つのテーマはさらりと簡素にまとめられており、楽しく読める反面、もっと知りたい、もっと語ってほしい、という良い意味での欲求不満も生じる。好奇心を刺激する魅力的な扉がひしめく回廊を進みながら、ここに立ち寄りたい、と気を惹かれることが何度もあるはず。
ルクレティウス、ペンローズ、デイヴィッド・ルイス、ループ理論、ナボコフと蝶、ニュートンと錬金術。。。もっと知りたいと思ったら、知の探求を深めるチャンスだ。後ろ髪を引かれながらひとまず通り過ぎた後で、もう一度気になったところに立ち戻り、その扉を叩いてみよう。
(私はまずは『タコの心身問題』(みすず書房)を積読の山の一番上に加えようと思った。)

「詩と科学はいずれも、世界について考える新しい方法を作り出し、世界をよりよく理解しようとする精神の発露」であり、科学にとって哲学は「ひらめきの、批判の、着想の、もっとも活気に満ちた源」であると書く著者は、その科学的な立場を「自然主義」に置いている。
科学が研究しうる自然と、(倫理、美、意識といった)科学が立ち入れない分野が対立しているのではなく、その全てが、複雑な自然世界の様々な側面として理解できる、という立場である。
そして、私たちの思考や内的生活もまた自然の生き物が作り出す本物の現象と捉えれば、科学と物理学が両立するように、法律や美学や倫理学も、自然主義と矛盾せず両立できるという考え方を著者は支持している。

対立ではなく両立、分かち合うことが何より大事だというのは、著者の信念の根底にあるものだ。宗教について、戦争について書く時、彼は繰り返しその真理を訴える。

争いが起きたらまずは武器を置いて対話するよう努めるべきだ、と絶えず自分自身に向かって繰り返そう。

議論が腕力に勝り、他者との対話が他者への恐怖を凌いだとき、そのときに限って未来は明るい。

もしも人類に未来があるのなら、それは、協働の精神がこれらの破滅的な分断に勝る場合に限られる。

熱い心を持った科学者の、ほとばしる思いが詰まった一冊だ。

さて、本書の題名をそこから取った言い回しが出てくるというのは、どのコラムか。
ここには紹介していないが、私が最も感動し、複雑な思考に誘われたのがそのコラムである。