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『フラオ・ローゼンバウムの靴』 大濱普美子

さらっと読めてぞわっと怖い短編小説を、今回も一作紹介しようと思う。
大濱普美子のデビュー作品集『たけこのぞう』(『猫の木のある庭』に改題して文庫化されている)に収められている作品だ。

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主人公は、ドイツの大学に学んでいる日本人留学生の「私」。
彼女はある日、一足の靴を手に入れる。
アパートの隣の部屋に住んでいたローゼンバウム夫人が亡くなったのだが、その遺言によって、なぜかその靴が彼女に遺されていたのだ。
ローゼンバウム夫人とは、これといった親しい付き合いはなかった。なんてほっそりとしているんでしょう、なんてスタイルがいいんでしょうと、夫人からは会うたびに褒められていたが、百キロは超えていそうな肥満体の夫人から毎回痩身を褒められたところでなあ、と思っているくらいの相手であった。
なぜそれほど知りもしない自分に、夫人はこの靴を・・・??
考えれば気味の悪い話なのだが、戸惑いつつも「私」は事務的な管財人に押されて靴を受け取ってしまう。

紙蓋の下には花嫁のベールを思わせる白い薄紙があり、それを退けると、黒い革の婦人靴が一足入っていた。

ひょっとするとこの靴を履いていた頃の夫人は、信じられないほど若く痩せていたのかもしれないと、ふと「私」は思い、そして靴を見つめているうちに、なぜかどうしてもそれを履いてみたくて堪らなくなる。
履いてみた靴の履き心地は素晴らしく、その靴を履いたまま彼女は外に出かける。
そしてこの時から、「私」の生活は、靴に憑かれた奇妙なものに変容するのだ。

まず「私」は洋菓子に目がなくなり、毎日ケーキを3個4個と買って食べるようになる。
野菜や果物を食べなくなり、大学にも行かなくなった「私」は、ケーキとジャンクフードをひたすら食べる毎日にずぶずぶと浸りきる。
当然のこと体型は変わっていき、以前は痩せて尖っていた顎が丸みを帯び、身体にも脂肪の層がつき始める。

回転台の上に載せられ、彫刻家の器用な指先で少しずつ粘土を付け加えられていく塑像のように、陰になっていた窪みが埋まり、表面が滑らかに均されていく。鏡の中の顔は日ごとに険が取れて和み、白くふくふくとほころびていくかに見えた。

白くふくふくとしていたのはローゼンバウム夫人である。ローゼンバウム夫人から受け継いだ靴を履いて、「私」もローゼンバウム化していくということだろうか。
それでいて彼女が感じているのは、太って重くなっているはずの体に反する軽やかさであり、宙を滑るような浮遊感と幸福感を味わっているのである。
これはまずい。

さて、「私」はこの後どうなってしまうのか。

結論を言うと、彼女は無事に呪い(?)から解放されることになる。
友人の助けによって靴を脱ぐことができ、健全な生活と痩せた体を取り戻すのだ。

「私」の元を去った靴は、その後一体どうなったのか。
そもそもこの靴はなぜ妙な呪いを引き起こしたのか、ローゼンハイム夫人の過去に関係があるというその秘密は一体どんなものなのか、そしてこの靴を「私」に与えた夫人の意図とは。
釈然としない謎はいくつも残り、一つとして解答されない。
靴を脱がせ、持ち去った友人のその後も気になる(というか、この友人の言動もちょっと怖いのだ)。
さらに「私」に至っては、平穏な生活を取り戻した後もまだ、至福感の名残を感じているのである。

当時を思い返すたびに浮かんでくるのは、ただ穏やかな初夏の日差しと橋の上を吹いていた川風の暖かさ、それに洋菓子店の店内に満ちていた焼けたバターの匂いばかり。初めてあの靴を履いて外に出た時の光景が蘇るだけで、それに続く日々を、私はただ夢の中で果てしなく同じことを繰り返して過ごしたような気がする。

こうなると、ローゼンバウム夫人の靴が「私」に与えたものは、呪いというよりもむしろ束の間の祝福とさえ呼べる気もしてくる。
ふわふわと夢見心地に語られる話だが、じっくり考えるほど謎に満ちて、ぞぞっと背筋が寒くなるお話だ。

邪悪な存在に生活を侵食される恐怖感は、カポーティの『ミリアム』を彷彿とさせ、何かに取り憑かれた女の不気味な恍惚感は、今村夏子の『むらさきのスカートの女』を思い出させもする。
この辺りの「釈然としない」気持ち悪さがお好きな方にはぜひ一読をおすすめしたい。