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『娘について』 キム・ヘジン

タイトルは『娘について』だが、母親についての小説だ。
主人公「私」は初老の寡婦。若い頃は教師だったが、今は自宅の2階を賃貸しつつ、老人介護施設で働いている。

街外れの狭い路地に軒を並べている腐った歯みたいな民家。その中で持ち主に似て関節がすり減り、骨が脆くなり、徐々に前のめりになっていく一軒の二階建て住宅。日に日に喜びや自信が満ちていく世間の家とは完全に無縁のそれ。夫が私に遺した、たった一つのものだ。実態が明らかで、私が力と所有権を行使できる唯一のもの。

彼女の家に対するこの独白からも分かる通り、「私」は、実態が明らかな確固たる物事を好む、常識的で勤勉な女性だ。そして、寄る年波に不安を感じ、世知辛い世間への不満を抱えてもいる。

そんな彼女の家に、30代の娘が身を寄せて来るところから物語が始まる。
学のある娘は大学での非常勤講師の仕事を持つものの経済的に困窮しており、しばらくの間実家でやっかいになりたい、ということだった。
娘が帰ってくることに不満はないものの、「私」には大きなわだかまりがある。それは娘の恋人が女性であり、その恋人も娘と一緒に我が家に身を寄せて来るということに対してだ。

誰もが健康で優れた未来の夫を選んでいるというのに、娘とこの子はどこでどう間違ってしまったのか。

家庭を築き子を産み育てることこそ女の意義だという根強い意識を持つ彼女は、娘のことが全く理解できないものの、困窮している若い2人を無下にもできず、しぶしぶながら一緒に暮らし始める。

正義感が強く行動的な反面危うさのある娘と冷静なその恋人と「私」との生活は、常に糸を張ったような緊張で張り詰める。
娘の恋人は思慮深く、「私」は彼女と話したいという内心を抱くようにもなるのだが、手塩にかけた娘が自分の価値観では到底許容できない人生を選ぼうとしていることへの怒りが勝ち、強い憤りから彼女に冷酷な態度をとったり、心無い言葉を浴びせたりしてしまう。

自分の枠組み、あるいは世間から与えられた枠組みに縛られ、枠からはみ出した娘を非難し、自分を憐れむことしかできない母親の心境が畳みかけるような独白で書かれ、リアルに迫る。
自分の定規でしか物事を捉えられない頑なさ、子供をコントロールしようとする親のエゴ、というのはしかし、彼女のほんの一面でしかない。そんな自分の感覚を疑い、自分に見えていない何かがあることを感じているからこそ、彼女は思い悩み、葛藤しているのだ。


そんな彼女の心に変化をもたらすのが、介護施設で担当している1人の老女との関わりだ。
アメリカで学び、人道的な分野での活躍で名前の知られたジェンという女性。しかし身寄りのない老人となり痴呆症を発症した彼女のことを気にかけるのは、今や世界中で「私」ただ1人である。
ジェンをより劣悪な環境の施設に移すことを決めた介護施設に反発し意見する「私」は、家族のない、国費の負担になるだけの老人に対する非人道的な扱いを、目の前に迫る自分自身の問題、また娘の問題であると考えている自分に気がつく。

とにかく知らないふりをして、沈黙を守るのが礼儀だと思われているこの国に私は生まれ、育ち、老いてしまった。それなのに今になって、どうしてこんなことを考えるのだろう。今までずっと黙って言われたとおりに生きてきたのに、今回の件がどうしてこんなに気になるのだろう。

娘は、同性愛を理由にした不当解雇に抗議するデモに参加して活動している。娘も「私」も、弱者を人として扱おうとしない権力と無関心な世間に抗い、声をあげているというところで同じ正義感を持っているのだ。
そんなデモの中エスカレートした衝突により娘が怪我をしたという連絡を受ける彼女。駆けつけた病院では、娘は幸いにも重症ではなかったものの、下半身不髄になるかもしれない大怪我を負った若者を目の当たりにする。

この子たちが私からどれほど離れたところに、どんな姿をして、どんな場所に立っているのかわかっていなかったのは確かだ。そして今、すべてが明らかになる。この子たちは生の真ん中にいる。幻想でも夢でもない、堅固な大地をしっかり踏みしめて立っている。私がそうであるように。他の人がそうであるように。

娘に対して「お前たちのしていることはままごとだ」と言っていた彼女が、ここにきて、娘達も自分と同じくらい懸命に人生を生きているのだと初めてしっかりと分かる。

強固だった拒絶の壁は崩れ始めたものの、娘たちを本当に理解できるまでに至るのか。先に待ち構える困難におびえつつ未来を信じていこうと「私」が自分に言い聞かせるところで物語は幕を閉じる。

人物と構図はどちらかというと画一的で、ストーリーだけ読むならば、韓国で流行りのクィア文学の中でもひねりのない方と感じた(性的マイノリティを取り巻く環境としては、現代の日本、特に首都圏にいる読者からすると、数十年前の話のようなギャップも感じるかもしれない)が、独白というスタイルで主人公である母親の心の惑いや繊細さを生々しく浮かび上がらせる筆力が素晴らしく、ままならぬ社会を必死に生きる一人の市民の内面を描いた、一つの読ませる文学作品に仕上がっている。