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『断絶』 リン・マー

意識を喪失し、日常の行動をひたすら繰り返す無限ループに陥りやがて死を迎える。
中国から広がった治療法のない謎の感染症はあっという間にパンデミックを引き起こし。。。

2012年から2016年にかけて執筆され2018年に発表されたこの小説は、コロナウイルスを念頭に置いて書かれたものではない。にもかかわらず、不気味なまでコロナ禍と類似している事にドキリとする。

「〈終わり〉は、いかにもさりげなく、気がつけば始まっているものだ。」

はじめは半信半疑、冗談のネタのようだったものが、ひたひたと現実味を帯び、じわじわと日常を侵食していく。
完全なるフィクションとして書かれているのに、その有様はまるで現実から題材を取ったかのようで、コロナ禍を経験した今の私達が読むと、フィクションともリアルとも捉えがたく、言いようのない気分になる。

ほぼ全国民が感染し、死に絶えたアメリカで、主人公を含む感染を免れた数人が出会い、新しい生活を切り拓くべく、その基盤となる場所を目指す。
作品で描かれるその世界は、ウォーキングデッドを想起させる。(実際、作者自身がウォーキングデッドのシリーズをよく観ていたと語っているそうで、その影響は確かにあるのだろう。)

しかし、本書の多くの部分をしめているのは、パンデミックサバイバル物語ではなく、主人公が回想する過去の生活や仕事、パンデミックの前にすでに他界していた両親との思い出や母親への感情などである。
極限状態に身を置く主人公が、今や失われたものとなった、かつては日常だった世界を見返す。そして、完全に失われた過去だからこそか、それらは鮮明に、事細かに浮かび上がる。

そしてそこにあるのは、中国からアメリカに渡った夫婦の決意、迷い、寄るべなさ、また、その娘である若い移民二世の、孤独と意志、弱さと逞しさである。

「歩き回っては写真を撮るというその日課を、ニューヨークに来た最初の夏はほとんどやり続けた。••••••大事なのは歩き続けること、とにかく動き続けることで、••••••頭の中がだんだん空っぽになっていく。••••••クラクションが響く。大丈夫か、なにか必要かと訊いてきた男がいた。なにが必要だと思う?と私は訊ねた。私の顔に浮かぶなにかに、その男は目を背けた。」
「ドライブは母さんのお気に入りのアメリカ的なもので、その運転の仕方もすごくアメリカ的だった。」

中国で、先祖供養のために使われる「冥銭」というものがあるらしい。紙幣を模したもので、それを燃やせばそのお金が先祖の霊に届くという信仰だという。
この冥銭に変わるものとして、主人公が両親のために、雑誌から切り抜いたスーツや靴、化粧品、食べ物、書斎など、ありとあらゆるものの写真を燃やす。
その場面が、非常に印象的だ。

「火が弱くなって赤い色がおぼろげになると、二人が山のような品々をひっくり返し、目も眩むほどの贅沢ぶりに唖然としているところを思い描いた。親が必要とするよりはるかに多くあり、永遠の時間があったとしても、どう使えばいいのかきっとわからないだろう。」

若い作家のデビュー作は、奇抜な発想によるパンデミック小説(偶然にも、現実がその小説の真似をするかのような皮肉な事態となってしまったが)でありつつ、それよりも大きな意味合いで、現代を生きる一人の移民女性の心をあぶり出した小説である。

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