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HKB(2)丹下健三氏の「平和の軸線」構想と新サッカースタジアム


祝!広島に新サッカースタジアム完成

今年2月、広島市に新サッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」が開業しました!

エディオンピースウイング(出典:Wikipediaより)

戦前、この場所は何だったかのか調べてみると……

出典:大廣島市街地図 昭和13年 「新日本古地図学会資料」より

写真では見えづらいのですが、広島城の本丸内には、「大本営第五師団司令部」が置かれています。城の西側には、「輜重兵第五連隊」が置かれていました。江戸時代、この場所は広島城の外堀の内側に位置し、浅野家の家臣たちの屋敷があったところです。
 ここが、現在、サッカースタジアムになっているのです。
 
 なお、本丸には天守閣の他にも「本丸御殿」がありましたが、明治維新後、棄却されてしまいました。天守閣だけは残り、国宝となっていましたが、原爆で焼失したのち、戦後、復元されました。
 現在、再度の天守閣の「建て替え構想」もあるようです。熊本城のように「本丸御殿」も復元できたらと勝手に思っているのですが……

爆心地はかつて広島随一の繁華街だった

 現在「平和記念公園」となっている爆心地は、かつて中嶋本町、材木町などがあった繁華街でした。西国街道と元安川の水運の交差するところで、一大物流拠点でもあり、人々の往来が活発なところで、多くの商店や映画館などの娯楽施設もありました。
 詳しくは、「爆心地の市街並み復元図」で見ることができます。
 
参考資料:
平和記念公園(爆心地)街並み復元図 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター (hiroshimapeacemedia.jp)

 「広島平和記念資料館」を設計したのは、我が国を代表する有名な建築家、丹下健三氏です。彼は、ル・コルビジェの影響を受けていると言われています。

 丹下健三氏が目指したのは、単に平和記念公園に多くの人が集う「祈りの場」を創造することだけではありませんでした。
 彼は、「平和の軸線」つまり、壮大な平和の祈りの「レイ・ライン」を創る構想を持っていたのだそうです。
 
出典:「世界のタンゲ」丹下健三 よみがえった?幻の広島都市構想 サンフレッチェ広島 新サッカースタジアム秘話 | NHK | WEB特集 | 広島県


平和公園より広島城を望む(出典:「世界のタンゲ」より)

この写真で見てとれるように、

・平和記念館入り口の噴水あたり(写真手前下)
・平和記念公園の芝生広場と回廊
・原爆慰霊碑
・元安川の向こうにある「原爆ドーム」

等が、綺麗に南から北へと並んでいます。
これが彼の「平和の軸線」なのです。

さらに丹下健三氏は、広島城(写真上部右)の西側に「スポーツスタジアム」の建設をも構想していたらしいのですが、彼の手で実現されることはありませんでした。

 しかし、現在では

・「広島グリーンアリーナ」(写真上部の丸い屋根の建物)
・今年開業の、新サッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」(写真上部の白い屋根のスタジアム)

と、見事なほどに丹下氏の構想通りの「平和の軸線」が(偶然にも)完成されているのです!

かつて「厳島大明神」や「誓願寺」のあった平和公園


芸州厳島図会;図の左上が南側で現在の平和大通り、右下が北側で平和記念資料館あたり(出典:「広島の風景」HPより)

「平和記念資料館」や「国際会議場」の付近には、かつて江戸時代には上の絵図のように「厳島大明神」(左)と「誓願寺」(右)がありました。

 毎年、旧暦6月17日に、宮島の「世界遺産 厳島神社」では華やかな「管弦祭」が行われますが、同じ日に、かつてはこのように広島城下でも、盛大な祭礼が行われていたのです。

 絵が小さくてわかりませんが、絵の右下の鐘楼の前には盆踊りの輪が、本堂の手前では、相撲が興行されています。多くの人々が集う一大イベントだったことがわかります。

江戸時代には、毎年ほぼ八月上旬ころには、宮島だけでなく広島城下でも、厳島神社の祭礼が、壮大なスケールで行われていた事は間違いありません。

そして、なんと驚くなかれ、「旧暦6月17日」と「新暦8月6日」は、
同じ日なのです!

昭和20年以降では、19年に一回の周期で、「旧暦6月17日」と「新暦8月6日」とは、重なるのです。(これまでは、昭和38・57、平成13、令和2年の4回が重なった)

広島の人々はここに集まって、同じ時期に「祈り」を捧げていたのでした。
 参考資料:中道 豪一 博士:著「古 地図と歩く広島」(南々社)による

「憩い」、「癒し」そして「祈り」

 今と昔を比べてみると、丹下健三氏の「平和の軸線」構想とは、広島の過去と現在、そして未来までも「貫く棒の如き」筋の通った壮大なものだったことが見えてきます。
 
このことを知って、建築家とは「未来を創造する仕事なのだ」と痛感させられました。
 
「軍都広島」を上書きして消し去り、かつてのように「人々が集い、祝い、祈る」ことの出来る、豊かな広島城下町の賑わいを取り戻す……
そして、未来の広島市民が、スポーツを通じて「憩い」、「癒し」そして「勇気」をも享受できる「心豊かな街」で暮らして行けるようにする……
それが、彼の願いだったのではないでしょうか。
 
 広島の「過去・現在・未来」に想いをはせながら、来る8月6日の「祈りの日」を過ごしてみるのも意義のある事かもしれません。

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