見出し画像

縄文海進と古神道、神社、天皇制(28) - なぜ卑弥呼の時代の海洋渡海の方法が丸木舟と決めつける?

マガジン「縄文海進と古神道、神社、天皇制」より

なぜ卑弥呼の時代の海洋渡海の方法が丸木舟と決めつける?

現代人でも至難の業!卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか

この記事、下の方で引用するが、卑弥呼の時代の海洋を渡海する方法が、丸太をくり抜いた丸木舟と決めつけ、渡海航路を対馬海峡としている。なぜ?

ヤンガードリアス期以降から縄文海進まで
なぜ筏が遺跡から出土しないか?

12,800~11,600年前に起きた彗星による地球寒冷化のヤンガードリアス期も終わり、海面は徐々に下がっていった。ブリヤート人の混血部族も海面上昇が始まる前に列島の津々浦々まで広がっていった。沖縄までもだ。

やがて、海面上昇は、列島を分断した。本州、北海道、九州、四国、列島の島嶼部にわかれていった。しかし、それで、分断された島々の交流交易が途絶えたであろうか?

私は、彼らの間でかなりの交流交易があったと想像する。その方法は、丸木舟と筏だ。筏?考古学調査で筏なんてでないじゃないか?という人もいるだろう。

しかし、では、なぜ筏が遺跡から出土しないか?というと、筏は縄で縛って建造する。縄がほどければ単なる丸太なのだ。だから、筏が出土することはまずないであろうし、丸太は住宅に使ったり、焚き火に使ったりする。つまり、縄文人は、大型の筏でかなり遠方まで移動しており、荷物の積載量も丸木舟とは比べ物にならないほど運んでいたのだ。交易品はかなり多かった。

アムール川: 12,786年前

どんな渡海の移動方法だったか?

海上では丸木舟や筏だ。丸木舟と言うと幅が極端に狭く、幅が60センチほどでそれほどの積載量がない。海岸沿いでそれほど沖合に出ない、そんなイメージだろうし、古代の遺跡から出土するのは丸木舟である

しかし、考えて欲しい。筏ならかなりの面積で積載量も大きい。では、なぜ筏が遺跡から出土しないか?というと、筏は縄で縛って建造する。縄がほどければ単なる丸太なのだ。だから、筏が出土することはまずないであろうし、丸太は住宅に使ったり、焚き火に使ったりする。つまり、縄文人は、大型の筏でかなり遠方まで移動しており、荷物の積載量も丸木舟とは比べ物にならないほど運んでいたのだ。交易品はかなり多かった。

筏は古代特有の船舶ではない。その後の遠洋航海や物資運搬にも活用されてきた、さらに現代でも使われているスグレモノ

「宋書」によると5世紀ごろ朝鮮半島の百済は「小さな筏を大海に浮かべ、珍宝を携えて朝廷に見えた」とある。民俗学者出口晶子によると筏は朝鮮半島も含め、東シナ海では極めて一般的な舟であった。

日本の近隣では台湾や中国大陸南岸からベトナムにかけてセンターボールドをつけて帆をはった世界的に見ても最も外洋航行能力の高い竹筏が存在した。この種の筏が存在するのは台湾海峡と遠く離れたエクアドルくらいである。

最近水中考古学者のBブレッチャーは再び竹筏に注目し、ベトナムのドンソン型銅鼓に描かれる舳先の高く反った船は筏であろうと推測している。銅鼓をインドネシアのスンダ列島を通ってニューギニアまでもたらしたのも筏であるというのである。類似の船は中国雲南省出土の銅鼓にも描かれている。

台湾海峡には海洋航海用の竹筏が存在するから、もし銅鼓の絵が竹筏なら、筏は有力な運搬手段の一つであったことになる。因みに台湾ではマダケに代わって上下水道管などに使用する塩化ビニール式パイプを並べて作った筏がエンジンを付けて大型漁船として使われている。一見原始的な筏という原理の常識を打ち破る事実である。

竹製の筏
コンチキ号
住居付き竹筏

現代人でも至難の業!卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか

邪馬台国はどこにあったのか?この難問を考える手がかりは遺跡・出土品や『魏志倭人伝』の記述などさまざまですが、どれも決め手を欠いている状況です。そこで一つ、検討してみたいのが、中国大陸との交易路です。

女王・卑弥呼は国づくりのため積極的に大陸に船を出し、有用な物資や技術を導入していました。しかし、朝鮮半島から対馬海峡を横断して日本に帰る航海は至難の業で、現代人による実験航海でもほとんどが失敗しているのです。

なぜ卑弥呼の船は戻れたのか?船舶設計のプロフェッショナルであり、このほど『日本史サイエンス〈弐〉』を上梓した播田安弘氏の仮説から、邪馬台国への意外なルートが見えてきました。

●「卑弥呼の船」を考える

弥生時代の日本で邪馬台国が最大の国として発展したのは、女王・卑弥呼が中国大陸と活発に交流し、先進的な文化や技術を導入したからと考えられます。そのためには船が必要です。卑弥呼はいったいどのような船で、大陸と行き来していたのでしょうか。それを知ることは、邪馬台国の場所を考えるうえでも必要になってくるはずです。

A:袴狭(はかざ)遺跡(兵庫県出石町)
4世紀の遺跡で、船が描かれた線刻画(図「卑弥呼の船を考える」A)と、大小16隻の船団の杉板が出土しています。これらは卑弥呼の時代から約110年後に朝鮮半島から来た船団か、日本から朝鮮半島へ渡った交易船と考えられます。川を航走する川船と違って、船の前後を高くして波を乗り切る船型となっています。

B:東殿塚古墳(奈良県天理市)
3世紀末~4世紀初頭の前方後円墳に、和船の線刻画が描かれています(図B)。片舷に7本のオールがあり、最後部に舵取り用と思われるオールがあります。この時代の和船は帆がなく、中央の帆のように立っているのは旗用の柱と思われます。やはり船首と船尾が高く、海を渡ることが可能になっているようです。

C:長原高廻り2号古墳(大阪府大阪市)
5世紀前半の船形の埴輪が出土しています(図C)。朝鮮半島や中国大陸と交流して中国の史書『宋書』に「倭の五王」と記された天皇たちの時代にあたります。これも船首、船尾が高く、航海が可能なようです。

D:西都原古墳(宮崎県西都市)
5世紀の船形埴輪が出土しています(図D)。これらの埴輪がつくられた5世紀までの船は比較的、小型で、やはり帆は見られず、櫂を漕いで進んでいました。

卑弥呼の時代の船は、基本的には木をくり抜いた丸木舟の両側や前後を覆っただけの構造で、帆はなく、櫂やオールを漕いで進んでいました。海に出るにはかなりの危険をともないましたが、それでも船首と船尾を高くするなどの工夫をして、大陸へと漕ぎ出していったのです。

(中略)

● 対馬海峡の横断は至難の業

卑弥呼の時代ならいざ知らず、現代人による実験航海もこのように困難をきわめたのには、1つの明確な理由があります。それは対馬海流の速さです。

筆者は、前著『日本史サイエンス』において、鎌倉時代の蒙古襲来で蒙古軍が敗退した要因の1つに、対馬海峡を横断して上陸するまでに蒙古軍はかなり疲弊していたことを指摘しました*。そこで対馬海流の速度と船の速度をパラメータとして、対馬海峡の横断をシミュレートしています(図「対馬海峡横断のシミュレート」)。

対馬海流は1.5~2ノットの速さで北上しています。これは海流としてはかなり速い流れです。この海流が流れる対馬海峡を横断するには、海流の約2倍の船速が必要となるのです。それでも航走中に下流側に大きく膨らむので、航行距離は15%ほども長くなります。実験航海が失敗したのは、こうしたことが計画に十分には組み込まれていなかったからです。

速度が出ない古代の船ではなおさら、対馬海峡を横断することは至難の業であるといえます。では、卑弥呼の時代はなぜ、大陸と日本との往来が可能だったのでしょうか。数えきれない試行錯誤はあったにせよ、疑問が残ります。ここに、これまであまり注目されてこなかった大きな盲点があるのではないかと筆者は考えているのです。

(中略)

● 邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない視点

すなわち朝鮮半島から日本に帰るには、多大な危険を冒してまで九州をめざすより、山陰をめざすほうがはるかに楽で、自然に到着することができるのです。鉄と翡翠の交易のために朝鮮半島からやってきた船も、山陰から日本海を進めば、翡翠の産地・糸魚川に容易にたどりつきます。実際に、古代にはこうした山陰沖から日本海を通る「翡翠の道」「鉄の道」というべき交易路があったと考えられています(図「交易路[翡翠の道][鉄の道]」)。

つまり、対馬海流は古代の航海にとって、じつは非常に利用価値の高い海流だったと思われます。日本古代史において、この海流が果たしていた役割はかなり大きかったのではないでしょうか。そして邪馬台国がどこにあったのかを考えるうえでも、この海流の存在は重要ではないかと思うのです。


縄文海進と古神道、神社、天皇制

ヒンズー教と仏教の原風景


#エレーナ少佐 #アデルマン大尉 #アナスタシア少尉 #ジトコ大将 #鈴木三佐 #小野一尉 #サドガシマ作戦
#核共有 #ニュークリア・シェアリング #ウクライナ
#note #SNS #mixi #フランク・ロイド #フランク・ロイドのエッセイ
#ファッション #イラスト #日記 #写真 #小説 #ブログ #コラム #サイエンス #音楽 #時事 #恋愛 #映画 #生き方 #言葉 #自己紹介 #心 #為替 #政治経済 #教育 #海外 #政治
#Frank_LLOYD #Letter_from_Ceylon #3912657840
#youtube #youtube動画 #youtubeチャンネル #Twitter #Facebok #はてなブックマーク #Google #Yahoo !ニュース
#フランク・ロイドの音楽 #フランク・ロイドのクラシック #フランク・ロイドのポップ・ロック #フランク・ロイドのサイエンス #バッハ #バロック #ブラード・ラインズ #Blurred Lines #パルティータ #Bach_Partita
#毎日note #毎日更新 #note毎日更新 #SNS #mixi
#オミクロン株 #マスギャザリング #北京オリンピック #電気自動車 #カーボンニュートラル
#地球温暖化 #再生可能エネルギー #縄文時代 #弥生時代 #古墳時代 #飛鳥天平時代
#unsplash #notion #listly #Windows11 #太陽フレア #電波障害
#ゆとり教育 #ゆとり教育世代 #詰め込み教育 #地震 #人口減少


フランク・ロイドのリンク

フランク・ロイドのエッセイ集

フランク・ロイドのサイエンス

フランク・ロイドの音楽

エレーナ少佐のサドガシマ作戦

フランク・ロイドの「総集編」

マガジン「フランク・ロイドのヰタ・セクスアリス」

マガジン「性同一性障害と勘違いして悩む義理の妹に悩むぼくの物語」

Youtube Channel - フランク・ロイドの音楽(ポップ・ロック)

Youtube Channel - フランク・ロイドの音楽(クラシック)

Youtube Channel - フランク・ロイドの音楽(ピアノソロ)

Youtube Channel - フランク・ロイドの音楽(ギターソロ)

Youtube Channel - フランク・ロイドのサイエンス

この記事が参加している募集

#自己紹介

229,106件

サポートしていただき、感謝、感激!