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短編小説・掌編小説

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短いお話です
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#ショートショート

かみ砕く【短編】

かみ砕く【短編】

 氷を無性に齧りたくなるのは、鉄分が不足しているかららしい。
 冷凍庫からロックアイスを一つ取り出し、私は口に放り込む。奥歯でかみ砕く。ガリガリと音を立てながら。頭蓋骨が振動する。そして、冷たさが頬の内側、舌の上に広がっていく。頭が冴えていく。頼りない上司の姿が浮かぶ。いっそ消えてくれたらいいのに。願いを込めて、力強くかみ砕いてやる。粉々になった氷は、私の熱で消えていく。吸収される。消滅する。
 

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スイカバーあげる【短編】

スイカバーあげる【短編】

「スイカバーって世紀の大発明だと思わん?」

 唐突に私に話しかけて来たコウタの手には、半分ほど齧ったスイカバー。暑さで溶けかかっており、今にも滴が床に落ちそうだ。

「えっと、うん、そうだね」

 愛想笑いで返すと

「食べたことはあるよね?」

 と質問された。

「あるけど、大分前かな。最近は食べてないかも」

「マジで?俺、夏はほぼ毎日スイカバー食べてる」

「そんなに好きなんだ?」

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暑さのせい【短編】

暑さのせい【短編】

アイスが食べたい。無性に食べたい。食べなければ死んでしまう。

 まるで、砂漠で見つけたオアシスのようだった。普段は入らないスーパーである。以前入った時、店内が狭くて、人とすれ違うのに気を遣い、買い物しづらかったから、避けていた。でも、今は緊急事態である。ここで買おう。

 今日は仕事で後輩のミスをフォローし疲弊していた。会社を出る頃には、日は沈みかけていた。日中の暑さに比べたら、まだマシかもしれ

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坂道【掌編】

坂道【掌編】

 私の自宅前には、かなり急な坂道がある。行きは下り坂、帰りは上り坂。そのため、仕事が終わり、疲れ切った身体を引きずりながら、上り坂を登り切り、ある種の達成感と共に帰宅するのが日常である。
 今日は、朝から雨だった。仕事が終わっても雨はまだ降っていた。傘を差しながら歩き、自宅前の坂道に辿り着く。見上げた頂上に我が家がある。明かりが点いている。いつものように妻が夕食を用意してくれているだろう。5歳の息

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首花【掌編】

首花【掌編】

 寝違えたのかもしれない。首が痛い。朝起きた時は、何ともなかったのに、夕方、仕事が終わって、帰宅時に痛みに気付いた。右側の後頭部から首の付け根辺りまで痛い。一晩寝たら治るかもしれない。軽く考えて、そのまま就寝した。

 そして翌朝、目が覚めて、枕から頭を起こそうとすると、激痛が走った。悪化してしまったようだ。ゆっくりと体を起こして、ベッドから起き上がった。幸い、今日は休日である。外出する用事もない

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アラジー【掌編】

アラジー【掌編】

 爪は伸びる。放って置いても伸びる。仕事が辛くても伸びる。ご飯の味がしなくても伸びる。傘を忘れて雨に濡れても伸びる。長い間一緒に暮らしていた人間の言葉が理解できなくなっても伸びる。

 だから私は今爪を切っている。爪切りから音が響く。連続する音の切れ間から、人間の言葉が時折紛れるけれど、私の耳はそれを理解できないでいる。雑音。爪切りの音の方がまだ心地いい。

 私は爪を切りながら思い出していた。今

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月明かりが透明【掌編】

月明かりが透明【掌編】

 雨上がりの匂いがアスファルトから香る。湿ったアスファルトの皮膚を照らす月明かり。僕の踵から弾け飛ぶ滴にも月明かりが跳ね返る。薄いガラスを弾いたような音が聞こえる気がする。
 雲の隙間から月が覗く。満月だ。纏わりついた雲に滲む月明かり。薄い雲では到底受け止めきれず、この地上に降り注ぐ。
 目を背けたい、悲しみや、痛みや、後悔なんかを、浄化してくれるんじゃないか、そう期待してしまうほどに、月明かりが

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アイスピック【掌編】

アイスピック【掌編】

「あなたは私を見捨てるのね」
 母は憎しみを込めた目で私を睨むと、アイスピックを手に取った。
 逃げなければいけない、のに、何故か、体中から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。立ち上がることも出来ない。声を上げることさえも。ただ、目を固く閉じることしか出来なかった。
 悲鳴がした。私の声帯は閉じられたままだったから不思議に思い、目を開けた。
 グレーの絨毯にどす黒い何かが飛び散っている。それ

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靴紐【掌編】

靴紐【掌編】

 靴紐がほどけた。僕はしゃがみこんで靴紐を結び直す。きれいに結んだ靴紐。今朝磨いたばかりの靴の爪先には、憂鬱な僕の顔が映し出されている。
立ち上がり、爪先を軽くノックする。すると、その音を合図に風が吹いた。街路樹の枝が揺れ、葉が小波のような音を鳴らす。
 今日も僕は会社へ向かう。行きたくないのに向かう。本当は、会社へ向かう道とは逆方向の道を選びたい。しかし、選べない。
 自転車に乗った学生達が僕を

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蜜柑空【掌編】

蜜柑空【掌編】

 蜜柑の皮に爪を当てると甘酸っぱい果汁が飛んだ。テーブルに雫が一粒。その一粒の水面に僕の顔が映る。感情のない顔。僕はそれほど悲しくはないんだ。
 同級生の高村からメッセージが届いた。
「明けましておめでとう」
 高村とは三年以上会っていない。故郷に帰るたびに一緒に食事をする仲。だけど、三年以上故郷に帰れていないから。こうやって、正月にメッセージを送り合うだけ。
「明けましておめでとう。今年こそそっ

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夜明け【掌編】

夜明け【掌編】

 薄紫色の縁に橙色の滴がひとつ。小さな雫は次第に大きくなり、やがては獣のように牙を剥き口を開け夜を飲み込んでいく。夜の叫び声が星々に響き渡る。怯えた星は震えあがり姿を隠した。朝だ。朝がやって来たのだ。
 雲にまとわりついていた闇は朝が奪い去った。漂白された雲に朝陽が滲む。甘酸っぱい果汁の色をした雲に吸い寄せられ、鳥たちが空へ飛び立つ。鳥の囀りと羽ばたきが地上へと降り注いだ。
 朝の光は正しい。僕は

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走る人【掌編】

走る人【掌編】

 口から吐き出される蒸気は空に昇る。朝陽の果汁に浸され桃色に染まり、横切った小鳥の羽根を撫でた。僕の足音に小鳥の囀りが交ざる。ドラム音のように鳴り響くのは僕の鼓動。
 仕事を辞めた僕は、早朝にランニングをするのが日課になった。通勤する大人も通学する学生もいない。世界に一人きりになった気分だ。冬の早朝はとても寒いけれど、走って十分ほどすれば、身体が温まり気にならなくなる。むしろ、冷たい風が眠気を吹き

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眠る人【掌編】

眠る人【掌編】

 腕や脚や胴体に蔦が巻き付いて僕の身体を引きずり込んでいく。睡眠。
 ベッドというのは、眠る為にあるものだ。
 時々、そんな場所に他人が眠っている時がある。そういえば、僕はこの人に以前、合鍵を渡していたかもしれない。
 僕が眠る為の特別な場所を誰かに占領されているなんて。怒りよりも悲しみが湧いてくる。怒れない。それは僕のベッドに無断で眠る他人が愛おしいからではなく、ただ、怒る程の気力が僕の身体に残

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チータラ食って生きててくれよ

チータラ食って生きててくれよ

 先輩が死んだ。
 一年ぶりに中谷からメッセージが届いていた。電車で何気なく確認したスマホの画面。タップしてメッセージを確認する。
「先輩死んだって」
 悪い冗談かと思った。一年ぶりのメッセージがこれなんて、悪趣味すぎる。
「ご愁傷さまです」
 そう返信する。
 中谷から返信が届いたのは、帰宅してからだった。コンビニ弁当で適当に夕食を済ませ、入浴の準備をしていた時。通知音には気づいたが、メッセージ

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