見出し画像

月明かりが透明【掌編】

 雨上がりの匂いがアスファルトから香る。湿ったアスファルトの皮膚を照らす月明かり。僕の踵から弾け飛ぶ滴にも月明かりが跳ね返る。薄いガラスを弾いたような音が聞こえる気がする。
 雲の隙間から月が覗く。満月だ。纏わりついた雲に滲む月明かり。薄い雲では到底受け止めきれず、この地上に降り注ぐ。
 目を背けたい、悲しみや、痛みや、後悔なんかを、浄化してくれるんじゃないか、そう期待してしまうほどに、月明かりが透明だ。
 もしかしたら、あの過ちも許してもらえるんじゃないかって、それは、さすがに、大それた願いごとだからと打ち消した。僕は月を見上げる。
 あの人の輝かしい成功が、あの人の眩い人生が、あの人の恵まれ過ぎた環境が、羨ましいと、時々は思う。彼らと同等になることが幸福だと決めつける何かは、確かに存在している。僕はその何かが、バケモノみたいな別な何かになる前に、踏みつぶしたい。この透明な月明かりは、その何かを薄めてくれる。
 薄まった。僕はそう感じて、大きく息を吐く。それから、浮かび上がるのは、透明な願いだ。
 どうか、どうか、僕の大切な人達が、苦しまず、穏やかに、笑顔で暮らせますように。こんなにも不器用で、失敗ばかりの僕を、大切に扱ってくれた数少ない人達。僕は、彼らに何か恩返しするべきだけれど、それほどの力はない。だから、願うしかない。祈るしかない。
 綺麗ごとだって、馬鹿にされるかもしれない。けれど、こんなに透明な月明かりの下だったら、綺麗ごとを願っても許されるだろう。お願いだ。お願いします。彼らが、穏やかな日々を、笑って過ごしてくれるなら、僕は悲しまなくて済む。
 ひとしきり祈った後、それから、ついでに、願わくば、僕も、穏やかに笑顔で暮らせたらいいのだけれど。さすがに、それは欲深いでしょうか。
 月に伺う。目隠しするように雲が月を覆っていく。
 やっぱり、そうですよね。欲深い僕は、それ以上、願う事は止める。代わりに、足元の小石を、鼻歌交じりに蹴った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?