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チータラ食って生きててくれよ

 先輩が死んだ。
 一年ぶりに中谷からメッセージが届いていた。電車で何気なく確認したスマホの画面。タップしてメッセージを確認する。
「先輩死んだって」
 悪い冗談かと思った。一年ぶりのメッセージがこれなんて、悪趣味すぎる。
「ご愁傷さまです」
 そう返信する。
 中谷から返信が届いたのは、帰宅してからだった。コンビニ弁当で適当に夕食を済ませ、入浴の準備をしていた時。通知音には気づいたが、メッセージを確認するのは、入浴を済ませてからにしようと思った。
 入浴を終え、ベッドに腰掛け、読みかけの本を読もうとして、そういえばと、中谷からメッセージが届いていたことを思い出した。スマホの画面をタップし確認する。
「本当の話だから」
 一言。絵文字もスタンプも何もない素っ気ない一言が、急に背中を冷たくする。
 直接話がしたいと思い、通話のアイコンをタップする。中谷はすぐに出た。
「久しぶり」
 一年ぶりに聞く声は変わっておらず、一瞬であの頃に引き戻される。
「久しぶり。……冗談じゃなく?」
「そんな悪趣味な冗談ねーだろ」
 俺は痒くもないのに、首元を爪で引っ掻いた。
「死んだって……なんで?」
「詳しいことは俺もよくわかんねーんだけど……香澄さんから聞いたんだ」
 香澄さんは、先輩の妹だ。
「……冗談じゃないんだ」
「ああ……」
「いつ?」
「五月」
 もう三か月も経つじゃないか。

 先輩は俺が大学一年の頃バイトしていたファミレスで一緒に働いていた。先輩は三つ年上で、ファミレスの他にコンビニでもバイトしており、そのコンビニで一緒にバイトしていたのが中谷。先輩が一人暮らしするアパートへ遊びに行った時、たまたま居合わせた中谷と知り合った。中谷は俺と同い年で、違う大学に通う一年生。大学を卒業するまでの間、俺は先輩と中谷と、頻繁に三人で過ごしていたのだが、社会人になってからは、忙しくて疎遠になっていた。
 先輩はチータラが好きだった。
「チータラさえあれば生きていける」
 なんてよく言っていた。部屋の小さな冷蔵庫には、常にチータラが詰まっていて、他の食材は見たことがなかった。そんな先輩の食生活が心配になった俺は、実家から送られてきた野菜をおすそ分けしていたのだけれど、冷蔵庫の隅で腐らせて終わりだった。
 先輩は怒らない人だった。
 理不尽なクレーマーの気が済むまで話を聞いてやったり、周囲に当たり散らす短気な同僚に対しても素直に従ったり、決して腹を立てなかった。
「先輩って怒ったりしないんすか」
 と訊いたことがある。
「怒るのって、疲れるし、面倒なんだよなぁ」
 チータラを口に咥えながら先輩は答えた。
 先輩は起きるのが苦手だった。アラームを設定しても夜中に寝ぼけて解除してしまうらしい。何度もバイトに遅刻して怒られていた。俺はそんな先輩が心配になり、シフトを確認しては、先輩の出勤時間前にモーニングコールをしていた。
 先輩は断れない人だった。
 残業を頼まれると、いくら睡眠時間が削られようと断らない。その後、コンビニのバイトでも残業を頼まれたりすると、丸一日寝ていないなんて日もあったりするくらい。
 友人にお金を貸してほしいと言われても断らない。金持ちでもないのに断らない。金欠の場合は、どこからか借金してまで友人に貸していた。先輩がバイトを掛け持ちしていたのは、そのせいだ。
「先輩、人がいいにも程がありますよ」
 俺と中谷は、真剣に先輩に説教をした。けれど、先輩はただチータラを咥えて
「でも、それが俺の性分だからさぁ」
 なんて呑気に答えていた。
 俺と中谷は、そんな先輩を放っておけなかったんだと思う。特に用もないのに、先輩の部屋へ行き、チータラ以外のモノを食わせようとしたり、悪い友人との付き合いを止めさせようとしたりしていた。そんなうざい俺達だったけれど、先輩は嫌な顔ひとつせず、いつもチータラを咥えては目を細めていたっけ。

 週末、俺と中谷は香澄さんと会った。久しぶりに会った彼女は、以前より小さくなったように見えた。待ち合わせしたカフェで注文したアイスミルクティを口に運ぶ香澄さんの手は震えていた。うまく一口飲むことが出来ず、目の前に置き
「一度、四人で花火を見たことがありましたね」
 香澄さんは俯いたまま、大きく何かを吐き出す様に言った。 
 大学三年の夏休み、俺と中谷と先輩と香澄さん、四人で花火を見たことがあった。バイトしているファミレスが入った五階建てのビル。そのビルのオーナーと先輩が知り合いらしく、特別に屋上の鍵を貸してくれたのだった。
香澄さんは手作りのお弁当を持ってきてくれて、俺達はそれを食べながら花火を見上げた。先輩は弁当にはほとんど手を付けず、ずっとチータラを咥えていたけれど。
「あのビルからです」
 絞り出すような香澄さんの声。

 先輩はあのビルの屋上から飛び降りて死んだ。
 俺と中谷は、香澄さんと別れた後、あのビルに向かった。俺がバイトしていたファミレスは、一階で変わらず営業をしている。
 屋上を見上げる。雲一つない青空に蝉の泣き声が反響している。屋上があまりにも高い。 
「痛かっただろうな」
 思わず、そう呟いていた。
「そうだな」
 中谷も低く頷いた。
「先輩はさぁ、チータラしか食わねーし、寝坊ばっかするし、断れない人だったけどさ」
 夏空が滲んで歪む。
「そうだな」
 中谷の声が蝉の声みたいに震えている。
「でも、人を傷つけるような人じゃなかったよな」
「ああ」
「遅刻して迷惑かけたりはするけど、人を傷つけたりしなかった。どんな奴にも怒ったりしなかった。大らかで、穏やかで、優しい人だったよな」
「そうだよ」
「だから、放っておけなかったし」
「放っておけなかったな」
「大好きだったよ。キモいかもしれないけど。大好きだったよ」
「キモくていいよ。俺も大好きだった」
 中谷が崩れ落ちるようにその場にうずくまった。そして、膝を抱えて顔を埋める。俺はそんな中谷の肩に手を置いた。震えている。その振動が俺の目から水滴をこぼし、アスファルトに落ちた。
 傍から見たら、具合が悪くなりうずくまる男と、それを介抱している男だろう。それでいい。俺達はそんな役を演じながら、気が済むまで泣いてやることにした。
 チータラ喉に詰まらせて死んだなら、こんなに泣かないだろうか。いや、それでも、泣いてしまうだろうな。
 だから、先輩、チータラ食って生きててくれよ。

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