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夜明け【掌編】

 薄紫色の縁に橙色の滴がひとつ。小さな雫は次第に大きくなり、やがては獣のように牙を剥き口を開け夜を飲み込んでいく。夜の叫び声が星々に響き渡る。怯えた星は震えあがり姿を隠した。朝だ。朝がやって来たのだ。
 雲にまとわりついていた闇は朝が奪い去った。漂白された雲に朝陽が滲む。甘酸っぱい果汁の色をした雲に吸い寄せられ、鳥たちが空へ飛び立つ。鳥の囀りと羽ばたきが地上へと降り注いだ。
 朝の光は正しい。僕はその正しさが眩しくて目を逸らしてばかりだった。夜の闇に身を浸している方が心地良かった。その心地良さは罠だった。罠だった。甘い甘い罠だった。
 夜の闇が舌で溶ける。甘さが口の中に広がっていくと何かが麻痺していった。とても大切なモノが奪われていく気がした。やがて、正しく生きることは愚かなのだと錯覚する。そうして、僕はどれだけの罪を犯しただろう。
 あと一口。夜の甘さを味わえば、きっともう後戻りできない。そんな所まで来ていたと思う。僕が踏みとどまれたのは、あの日、圧倒的な夜明けを見たからだ。
 浄化。いや、そんな生易しいものではない。もっと、もっと、ひれ伏すほどのモノ。畏怖だ。そうだ。僕はその日、初めて知った。
 僕は夜の闇の中で倒れていた。もう立ち上がる気力もなかった。このまま朽ちて土になっても構わなかった。僕の頬に滴が落ちるのを感じて、僕は目を開けた。
 その滴は、もしかしたら涙だろうかと期待して僕は目を開けた。僕にもまだ流す涙が残っていたのかと。でも違った。それは、天から降った朝露だった。
 僕の前に夜明けが広がっていた。
 薄紫色の空を割いていく朝陽。夜がひび割れて行く。黄金色の光が夜を食い尽くす。夜の叫び声が天を揺らした。耳鳴りがした。痛い。耳を押さえる。そして、僕も叫んでいた。枯れていたはずの涙が溢れ出す。僕の叫びは嗚咽へと変わった。
 拍手が空から聞こえた。見上げるとそれは、鳥たちの囀りと羽ばたきだった。朝は夜に飲み込まれてしまった。朝陽が僕にも降り注いだ。まとわりついていた闇を洗い流してくれる。飲み込まれることはなかった。僕はまだ、夜になり切れていなかったからだろう。生きてもいい。許しを得た気がした。
 僕は立ち上がった。そして、朝陽に染まる世界を見渡しながら、歩んでゆく。

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