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新しい領解文「本来一つゆえ」が私に生んだ領解(5000字)
発布から1年余が過ぎるもいまだ物議をかもしている、浄土真宗本願寺派の「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」。この中でずっとモヤモヤさせられている、第一段の「本来一つゆえ」について吐き出したい。そしてモヤモヤの中で自分が真宗理解について一つ考えたことがあり、今の自分の真宗の領解を、ここに示してみたい。
新しい「領解文」として発布された改めて題材の紹介
「領解文」や新しい「領解文」混乱の経緯
「ヒトに金」は、
「ネコに小判」と
結局そんなに違わない
なんだか「やった者勝ち」でもいいような気がしてきた、からの思考
なんだか「やった者勝ち」でもいいような気がしてきた。なぜなら、結論が出せず何も進められないから。
少なくとも思考力の粗末な自分の中では。
ただしそれは、意思において、倫理的善を諦めることを意味する。となれば、善を願い続ける意思自体が、念々に諦めを要求され、苦しみを生み続けることになる。
「善でありたい」と願うことすら、苦しみの原因で間断のない悪という帰結になる。
一言で言えば、良心さえ
世界に一つだけの花から新しい領解文へと辿る共通項
今回は、オンリーワン観への違和感を記します。浄土真宗本願寺派が発布した、「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」(以下、新しい領解文)が内在する危険と、有名な歌を借用し、社会に照らし合わせその危険の傍証を試み記します。
ある方が、新しい領解文を肯定する意見を、一縷の望みにかけて熱心に探しておられます。もちろん肯定できればそれに越したことはないですが、証明を以て新しい領解文の客観的な肯定は不可能
なぜなぜと闘うボコボコ
先日youtube動画を適当にクロールしていたら、こんなのに出くわしました。
全国の喧嘩自慢100人の頂点がついに決定
www.youtube.com/watch?v=_bnozETM0Ps
主宰者は格闘技の朝倉未来です。まあアウトロー系なのですが、優勝賞金が8桁(加え格闘技ゲーム参加権)なのだそうです。参加者を募集して待つのではなく、全国各地へ出向いて素人を探し集めてトーナメント式で
結局知性とは、為るがままと異なる運命・因果を求める営み・働きなのか。
そして、畢竟同じ結末になることを私に確認させるだけ。
続いて知働くゆえに空虚さに襲われる。
この永遠の無限ループ運命を、受け入れられるのか