なぜなぜと闘うボコボコ

 先日youtube動画を適当にクロールしていたら、こんなのに出くわしました。
  全国の喧嘩自慢100人の頂点がついに決定
  www.youtube.com/watch?v=_bnozETM0Ps

 主宰者は格闘技の朝倉未来です。まあアウトロー系なのですが、優勝賞金が8桁(加え格闘技ゲーム参加権)なのだそうです。参加者を募集して待つのではなく、全国各地へ出向いて素人を探し集めてトーナメント式で戦わせるとか、なかなかアグレッシブです。医師のバックアップもつけているようです。

 今回素朴な話なので、くどくど書きません。以下ネタバレありなので、できたら上の放送を見てから読み進めてほしいのですが、言いたいことは、30分くらいからのまさに決勝戦のラストへです。

 対戦者の二人は満身創痍の中で長い死闘を繰り返し、もはや何度目かわからないゴングの後に、両者崩れ落ちます。審判が判定しあぐねる中、二人のうちうつ伏せになっていた一人だけが、体を起こし立ち上がりました。もう一人はゴング直後こそ二本足で立っていたものの、ひざ立ちの四つん這いのまま、頭を起こせません。この光景を見て、審判は勝者を宣言しました。

 この時、二人の頭に何が去来したか、思わずにおれません。勝者は「今」の瞬間に酔いしれ天から祝福が注がれましょう。
 一方、ここまで勝ち上がった末に敗れた敗者は、具体的に言語化されずとも、「なぜこうまでして戦うのか生きているのか」と強く思い巡らせていることでしょう。野生下においては、一瞬であってもこの「なぜ」の迷いが命取りであることは確かです。なのでこの娑婆世界では、この迷いのない者が生き残るでしょう。その意味では、いずれが勝者かは明白であるに違いありません。でも人間としては、迷わざるを得ない絶対的に現前する問いです。
 現在、ウクライナに加え、イスラエル問題で武力行使に及んでいるニュースが飛び交っていますが、ここでも、この戦闘で勝った者は、死屍累々の地獄を創った横で、天国の心地なのです。敗れた者は(相手に恨みを抱かない限り)人間的にこの世の虚仮を見ているでしょう。
 つまり、なまじ勝つことは自己から人間性を捨てること。ところが勝たねば自己の誇りが断たれてしまう。実にあこぎな無慈悲な世を見せられているようでいたたまれません。勝負の理想は無論勝つことですが、勝つことが幸福ではないとのいたたまれない思いを、つくづく味わわされたのでした。

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