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正しいと思えないことには関わらない
(現代語訳)
冉有が「先生は衛君父子のどちらかを援助なさるだろうか。」と言った。子貢が「よろしい。僕が一つおたずねしてみよう。」というので、孔子様のお部屋に行き、問答した。「伯夷・叔斉というのはどういう人でござりますか。」「昔の賢人じゃ。」「後に悔い怨んだでござりましょうか。」「仁を得ようと願って仁を得たのだから、何の悔い怨むことがあろうか。」そこで子貢が引きさがって来て言うには、「先生は衛君父子
素晴らしい芸術に感動する
(現代語訳)
孔子様が斉に滞在中、韶の音楽を聞き、スッカリ感激して、「これほど大した音楽があろうとは思いもよらなかった。」と讃美され、当分は肉をたべても味も覚えぬくらいであった。
(所感)
忙しい中にも素晴らしい芸術を愉しむ時間が必要だ。
今は、素晴らしい作品にすぐに触れられるので、随分と恵まれている。
ありがとう。
慎重に対応すべき問題もある
(現代語訳)
孔子先生が発言を控え、慎重に対応したのは、宗教上の行事のこと、戦争のこと、病気のことについてであった。
(所感)
扱う事柄によって対応を変えられる配慮のある人間になりたい。
最近は、軽はずみな発言・言動が多かったので反省しよう。
当たり前だが、自分の発言や行動に責任をもって生活しよう。
何も考えずに行動するのはよくない
(現代語訳)
孔子様が顔淵に向かって、「古語に『これを用うればすなわち行い、これを舎けばすなわち蔵る』とあるが、かく出処進退の宜しきを得るのは、まずわしとお前ぐらいのものかな。」と言われた。すると子路が進み出て、「なるほどそうでござりましょうが、先生が大軍をひきいて出陣される場合には、誰をおつれになりましょうかな。」と言った。その時には顔淵ではお役に立ちますまい、この子路でなくては、という意味合が
仁の在り方は、一概に言えない。大きな目で見ることも必要である
(現代語訳)
子路が斉せいの桓公かんこうが公こう子し糾きゅうを殺したとき召しょう忽こつは義を守って死し管かん仲ちゅうは死せざるのみならず君の仇あだの桓公に事つかえたのをその意を得ずとして「管仲は仁とは申せますまい。」とおたずねしたところ、孔子様がおっしゃるよう、「当時周の王室が衰おとろえて諸侯服せず、夷い狄てき侵しん入にゅうして中国危からんとした際、桓公が武力を用いず血を流さずして諸侯を連合させ、
#4 自分の人生を生きるとは
自分の人生を生きるとは、自分を続けていくことだと思っている。
たとえ、汚らわしい自分でも恥ずかしい自分でも捨てることなく、すべて背負って歩いていく。つまり、嫌なことも受け入れて、初めて自分の人生だと思っている。言い換えると、それは納得(受け入れる)出来るとも解釈できる。さらに言い換えると、納得とは覚悟へと繋がる。
背負う→納得→覚悟
色々な重荷(恥辱、苛立ち、後悔)を背負って、それら全てを受け入れ
【ネガティブの必要性】飽き性の私がトレーニングを4年半続けられている理由
私は社会人になってからこれまでキックボクシング2年間、自重トレーニング1年半、ウエイトトレーニング半年(現在進行形)やってきてきました。
皆さんが実現可能かは一旦置いといて、今回は飽き性の私がなぜ4年半もの間トレーニングを継続出来ているかを解説していこうと思います。
他のトレーニーとは違い、超絶ネガティブな私が出来たのだから、皆さんであれば確実にものにできると思います!
労働時間を再構築せよまず
日頃から人の気持ちに心から思いやる行動をする
孔子先生は喪中の人と同席したとき、食事を腹いっぱい食べたりはしなかった。また、先生は喪式や法事に行って悲しまれた日は、決して歌など歌われなかった。
人の悲しみに同情できる当たり前の感覚を持っていたい。
これは人と人の繋がりにおいて最も重要なこと。