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したがって、たしかに真実だと思われることは、人間が生まれるときから死ぬまでに遍歴しなければならないあの広大無辺の孤独の中には、いくつかの特権的な場所、いくつかの特権的な瞬間が存在するということだ。

ジャン・グルニエ『孤島』(井上究一郎訳)





 




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 今年の春に一時帰国休暇を利用して福岡に帰省した際、残念ながら桜はすでに散り、巨大な大都市の小さな路地では、散った桜の花びらが排水溝に溜まり続け、その鮮やかな薄紅色を限界まで白く薄め、あるいは、黒く染め上げられて、その残骸がまるで咲き誇ってしまったことを詫びるように無残に朽ち果て、泥水の濁流のなかで無数の小さな渦を形成していた


 わたしはインドネシアから帰国し、福岡からほとんど日を空けずに沖縄へ入り、その帰りに門司港で一泊して再び実家に戻った後で、その日は再び西鉄電車に揺られていた

普段ならこのような乱暴な予定の組み方はしない

しかしこの春の、合計で二週間の帰国休暇では、その前半一週間に予定をかなり詰め込んでいたのだ


 理由は後半の一週間に、大分から3歳と1歳になったばかりの可愛い姪と、福岡市内に住む、やはり1歳に満たない甥がわたしのために実家に集まってくれ、しかも母の古希の祝いの席も控えていたからだ


後半の一週間は一切の予定を排し、実家で気兼ねなく、ただのんびりと過ごしていたかった

 そのために前半の一週間では、予定を詰め込み、結果的に日に何人もの友人と会うという、かなり無謀で過密なスケジュールを組むこととなった



そしてその日も、夜から天神で旧知の友人のひとりと久しぶりに一杯吞むために、夕暮れから西鉄電車に揺られていたのだ





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 西鉄電車で高宮駅を通過した後、窓の外に見慣れた景色が広がり始めた

この界隈には五年以上前に、週末は必ずといっていいほど通い詰めた馴染みの街でもあった

当時の恋人が住んでいたのがこの高宮界隈で、一緒に週末には朝からよく大濠公園や、遠くは百道浜までをふたりで散歩し、夜は恋人の住むマンションで彼女の手作りの夕餉についた

その彼女とは残念ながらわたしがスペインに赴任した後で唐突に別れを告げられ、その年のある冬の日に、半ば衝動的にパンプローナの旧市街で牛追い祭りの写真が掲載されたポストカードを買い求め、勢いのままそのときの気持ちを一筆記し、彼女へ投函したが、ついに返事は来なかった




 窓の景色をぼんやりと眺めながら電車が次の平尾駅で停車すると、扉が閉まる瞬間に、半ば衝動的にわたしはそこで降りていた

理由はわからなかった
少なくとも昔の恋人との思い出が、何かを突き動かしたはずはないということだけはたしかだ

過ぎ去った歳月が記憶の棘を抜き、風化に任せて浄化してくれたのだ

それは間違いない

あるとすれば、二つ先の天神駅で会う友人とはまだかなり時間があったし、綺麗に晴れ上がった春の黄昏時だ
平尾駅から歩いたらいったいどのくらい時間がかかるのだろうと思ったからか、空腹は感じていなかったので歩いて腹を空かせようとでも考えたのか

一時間。あるいはもっと早い時間で行けるのか、そんなところだ




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 瀟洒な平尾駅のビルを横目に高宮通りに入り、さらにいくつか角を曲がるとそこから先は西鉄電車の高架下が薬院駅まで伸びている

西陽にしびが強く、それを避けるために日陰に入り薬院方面へ歩いていく

ここはもちろんインドネシアではないが、今年の福岡の春の夕暮れの日差しはいつまでも鋭く、肌に射すような痛みを伴っていた

目に入ってくるのは老朽化した商業ビル、店先にワイン樽が置かれたバル、古い中華料理屋、木の扉の寿司屋、そしてそこを飾る強い光を放って見える、春の花々——




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  ふと、先の路地の角に白い服を着た老女が立っていることに気がついた
かなりふくよかな体格で白いシャツにはレースが走っている
右手でひさしをつくり陽射しを避け、立ち止まってわたしをじっと見ている

 脳神経のシナプスがぱちぱちと音を立てる


このひと——

この、老女——


この、老女——



この老女、どこかで——



 すれ違いざまに、老女が口を開いた


——”さわまつくんね?なつかしいわ”


脳神経のシナプスがぱちぱちと音を立てる


 相手が名乗って、それが誰なのかが思い出される
脈絡のない二十五年前の記憶が記憶が蠢くうごめ
思わず小さく声をあげて相手の名を呼ぶ

 その老女は驚いたわたしに構わず、真顔でじっとわたしの顔を見つめ、何かに納得するかのように何度か頷き、真空のような間を置いてこう続けた



——”さわまつくん、右肩が少し重たいでしょ”


 二十五年前の、わたしが大学生だった頃の地元の大型郵便局でアルバイトをしていたときの同僚は、唐突にわたしの右肩について奇妙なことをいいだした


——右肩が?なんだって?


 今年八十歳を迎えた元同僚は、わたしには構わず続けてこういった



——”少し時間はある?
きみは今、わたしの話をきいておいたほうがいいわ”





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 西鉄電車の高架下の、古い喫茶店の窓側の席の向いで、元同僚ー老女は窓から強く差し込む春の黄金色の光を浴びながら、滔々と語り続けた

そこには昔を懐かしむ話はほとんどなく、〈今と現実〉に力点が置かれた
しかし、想像を超える話だった


 老女はわたしの右肩に、昨秋自殺して足早にこの世を去っていってしまった友人が憑いているという

それも、その友人の右腕だけがわたしの右肩から地面に向かってぶらりと垂れ下がり——






白く、細く、この世の者ではない、異様に長い腕だけが
わたしの右肩から、くるぶしまで伸びて、それが見えるという・・・






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 思い出した。この老女、二十五年前の当時の郵便局の葉書の仕分け場では
かなり変わった人物として有名で、要するに周りのアルバイトたちや、正規の郵便局員たちからはかなり白い目でみられていたのだ


変わっているひとだ、と


謎めいた話を唐突に始め、相手を煙に巻き、面白がられるどころか、相手を怖がらせるタイプの、実に奇妙な人物だった

だからというふうに簡単に結論づけることはできないが、当時、かなり複雑な家庭を持っているひとでもあった

 わたしは、どちらかというと口数の少ない方で、たいていの場合は相手の聞き役になって話を聞くが、わたし自身もそれをほとんど苦痛に感じず、相手が年配であればあるほど、昔から老人たちがわたしに語りかける傾向は強くあった


 思い出した。膨大な数の郵便はがきを、毛細血管のように目の前に細かく分かれた仕分け棚に機械的に素早く整理する作業が仕事の、わたしの真横で、この老女はさまざまにわたしに語りかけてきたのだ


 思い出した。そうしたさまざまな話の中で、この老女はいわゆる〈視える人〉だった





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 わたしの目の前には冷えたアイスコーヒーのグラス、そして向かいの不吉な予言者のような老女がひとり


老女はいった——



 ——”そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ。きみには友人の霊が憑いているけれど、何も怖がる必要はないの。いいこと、よく聞きなさい。
きみの右肩から出ている女性の腕は、今のところきみに悪い影響は一切ない。
どちらかというとその逆ね、良い影響を与え始めている。”



何の話だというのだ
そして——

話の行く先がまったく見えない


老女はいった——



——”きみの右肩にあるその友人の腕は、ときに会うべき人や進むべき具体的な方角と場所を指さして示唆しているわ。

従いなさい。

いや、拒むことはできないはずよ。それほど強い力をこの世に残していった方よ。
きみの意志とは関係なく、きみに今必要なひとと会うことを、その〈腕〉が示唆している。
〈腕〉が示唆しないひととは、逆に会えないでしょう。
きみが望んだとしても、予定が合わなかったり、逆に断られたり。
理由はわからない。
今、きみはそういう時期に入っている。もはや、そこにあなたの意志は介在できないの。

時間が過ぎて振り返れば、いつか理解できる物事の話よ。
不思議ね。

この世の論理を超える力を、あなたの友人は残していったのね。

でも、何も心配することはないの。その友人が君に寄る悪しきものたちをも振り払ってくれている”





いったい、何の話を——





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 いったい、何の話を——


——”いいこと、よく覚えておきなさい。
きみは昔、わたしにとても親切にしてくれた。だからというわけではないのだけれど、わたしの話をよく覚えておきなさい。すべては両義的なものよ”


わたしは”両義的”と呟く


——”きみの右肩にいる<友人>は、当座は力になってくれるでしょう。
そしてその両義的な意味は・・・”


両義的・・・つまり・・・反転するとどうなるんです?
良い側面だけでなく、悪い側面もあるということですね?


老女はわたしの目をみて、きっぱりとこういった


——”死ぬわ。それも唐突に。

世間一般でいうように、<この前まであんなに元気だったひとが>ってよくいうでしょ?それと同じ。
反転すると、一気に絶命するわ。そこには妥協も容赦もない。
突然の事故か、あるいは突然心臓が停止するか。雷に打たれて亡くなるひともこの世界にはいるのよ。
それは間違いない。”




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老女はいった——


——”そんなに怖がる必要はない。
きみは決して特別ではないけれど、少しだけ特殊な資質を持っている。


老女はわたしの手を取り、掌を裏返してわたしの手相を見はじめた
そのなめらかな動作は堂に入ったものだった
おそらくは何千人、何万人の手相を見てきているのだろう


——”きみは死者をこの世に留めることができる。それはとても強制力の強いもので、あの世へ行くことをきみが許していないのよ。
無意識下の、もうひとりのきみが。
この資質を持つものは数千人にひとりくらいはいるけれど、君の場合はそれがかなり強い。
よく反魂はんごんという呼ばれ方をするけど、それね”


そして特別ではないということ


——”そう、決して特別ではない。

ただこの反魂はんごんの資質を持つ者は、常に死者たちが見守ってくれている。それは特別な力よ。
何しろこの世の者ではない者が力を貸してくれるのよ。
常識や論理を簡単に飛び越える、いささか凄まじいものよ。
ゼロとマイナスの力を一気にプラスに転化できる優れたものでもある。
君はいくつか輝くような才能を具えていて、すでにそれは目覚めている。
死者のチカラはそれを大きく飛躍させてくれる”


しかしそれが反転すると、一気に人生の幕が下りる


そこでこの旧知の老女はこの日はじめて微笑んだ
苦笑したといってもいい


——”さっきの話は、冗談ではないけれどちょっとした脅しのようなものよ。本来、反魂はんごんの力を持つ者は、奇妙に思うかもしれないけれど、死者たちとうまくやっていけるのがひとつの本質・・・おそらく最も重要な本質よ。
君はとても強い星の下に生まれている。だから何も心配することはない。
そうでない者はこの資質は具えることができない。

でも逆に、君はこの力を強く具えている代わりに、他のひとが当たり前に持っているある”資質”が綺麗に欠落している。

それが何かは教えてあげられないけれど、それほど大きな問題じゃないの。
だから何も心配することはない”



喉が渇いて仕方なかった





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  ひとは旧知の知人に偶然、唐突に再会し、想像すら届かない話を聞かされたときに、どのように思うのだろうか


わたしの場合は、この老女の連絡先を知りたかった
訊きたいことが、その時点ではほとんどなかったが、必ず、間違いなく、追って訊きたいことがでてくる類の話だ


老女は奇妙な笑みを浮かべてこういった——


——”わたしの連絡先なんか訊いてどうするのよ?
デートにでも誘ってくれるのかしら?

でも・・・残念ながら君と会うのは今日が最期になるでしょうね”


最期に?


——”そう。最期になるわ。わたしももう今年80歳で、実は間もなく寿命が尽きてしまうのよ。それはわかりきっている話なの。
君が海外に戻って、また次回帰国するときには、間違いなくもうこの世にはいない”


また話が見えなくなってくる
この老女の話は——


曲がり角を曲がると想像できない世界へと誘われるいざなわれる


 老女は目の前に置かれたアイスコーヒーに今気がついたかのように持ち上げて、グラスの中をじっと見つめていた
まるでそこに自分自身の運命が映りこんでいるかのように
そしてストローは使わずにひとくち喉を潤すように飲んで、この奇妙な話をこう切り上げた


——”わたしも自分自身の運勢はときおり見ているの。
そして〈再会〉の暗示がでていた。
〈懐かしい友人との再会〉

さっき、平尾駅方面からあなたが歩いてくるのをみて、”ああ、さわまつくんとの再会だったのね”とすぐに思い至ったわ。
今日はあなたに会えてとてもうれしい。”


 その話を聞いて、思わず身体中に鳥肌が立ったような気がした


——”まさか・・・おれの右肩にあるという・・・その友人の〈腕〉が・・・あなたに会えと・・・指差して・・・?”


それに対する老女の返答は一切なかった
ただ奇妙な笑みを浮かべて、優しく微笑んだだけだ





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 この老女の話が、まったくの作り話だったとは思えない
この二十五年前ぶりに再会した旧知の友人は、昨秋自裁して去っていってしまった友人のことなど知る由もないからだ


たしかに、その自裁した友人の話はこの〈note〉に詳細は伏せて散らして書きはしたが、それをこの友人が読んだとも到底思えない


考えれば考えるほどわからなくなってくる
なぜあの日、西鉄電車で天神へ向かいながら半ば唐突に平尾駅で降りてしまったのかも含めて、だ


 老女にもう一度会いたかった
今ここは海外なので、会うのは物理的に不可能だとしても、電話で無性に話したい衝動に駆られる



 だが、彼女は連絡先は最後まで教えてくれなかった
あの日、共に店を出て、わたしは薬院方面へ向かい、老女は逆方向の高宮方面へと歩み去っていった



わたしは最後に振り返って立ち止まり、小さくなった老女の背中を目で追うも、彼女の姿は夕方の通勤ラッシュの渦に飲み込まれていき、やがて消えていった






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 ふと、何故自分は生きているのかという馬鹿馬鹿しいほどのプリミティヴな疑問が脳裏をよぎることがある。そのようなときに暗い奈落の底から視界に入ってくるのは、一群の若い死者たちの姿である。

何故死んだのか。

彼らにそう問うことはできない。何故ならばそれは、逆に、死者たちから、何故生きているのかという鋭い反問の刃を突きつけられるからだ。

沢木耕太郎『長距離ランナーの遺書』(1976)




END






挿入写真は写真家・池谷友秀氏の「BREATH」
雑誌「風の旅人」特集・「死の力」で使用された写真を再撮影した
ものを掲載致しました










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