雨葬、初夏の日差しの中で【序文にかえて】
先だって一時帰国で福岡に帰省した際、ある不思議な体験をした
それは怪談の類で、客観的に思い返しても、少なくとも〈怪異譚〉とは呼べるはずだ
その話をしたのは、今から20年以上前に、当時わたしが大学生だった頃に夏の短期のアルバイトで知り合った老婆で、現在88歳
〈偶然〉、福岡の街角で再会し、初夏の強い陽射しを避けるように一緒に入った高架下にある古い喫茶店で、老婆はわたしにこう言うのだ
ー”さわまつくん、少し右肩が重たいでしょう?”
少し、ではなかった
だいぶ前から右肩が凝り始め、しかし、原因は自分ではわかっていた
インドネシアの住まいのダブルベッドで、ある朝、目が覚めたとき、枕の下に右腕を差し込むように寝てしまい、以降、マッサージでほぐしてもらってもその凝りは治らず、今に至るまで執拗に続いていたのだ
それを聞いて老婆はゆっくりと首を横に振り、話を続けたー
結論を先に書くと、昨秋、自裁してこの世を去っていってしまった女性の友人が、わたしの右肩にいるらしい
しかも、彼女の〈腕〉だけが
それはわたしの右肩からだらり、垂れ下がっているという
あの、白く、長い、陶器のようにつるりとした美しい腕だけが
そして彼女は何か未練を残しこの世に留まっているのではなく、老婆が言うにはこのわたしが、彼女にこの世に残るよう”命じて”いるらしい・・・
それはきわめて拘束力の強い〈命令〉で、無意識化の、もうひとりのこのおれが、死者を引き寄せ拘束しているらしい
しかしその話を聞いても不思議と全く恐怖はなかった
居たいだけ居てもらっても、おれとしては全く構わないのだ
そしてその老婆は様々な示唆を与えてくれた
反魂と両義的な力、考え、この世の者ではない者たち、老婆の死期、
”おそらく、君に会うのはこれが最期になるわ”
この旧知の老婆の話を全て聞き終わった後で、あるいは、もしかしたら、この老婆との〈再会〉も、何か・・・彼女の〈腕〉が呼び寄せたのではないかと、今では疑問に思う
あるいは全てが幻で、わたしはただ老婆の話に幻惑されてしまっただけなのか
書くべきかどうかはしばらく迷ったが、以降、毎日のようにこの不思議な話について考えてしまうので、この老婆との話は、自分自身の記憶の為に、細部まで思い出して書いておこうと思う
今ならばまだ、鮮明に思い出せるはずだ
そのために、日曜日の今日は朝から歴史地区をくたくたになるまで歩き回って頭のなかで文脈をまとめ、その足でいつもの〈SPIEGEL〉で書いてみることに
ビンタン・ビールを飲みながら書き始めると、顔なじみで愛嬌がある若い女性スタッフが近づいてきてこう言った
ー”Mr? You look pretty scary, what the hell are u writing now?”
(怖い顔して、いったい何を書いているんです?)
ペパロニ・ピザと追加のビンタン・ビールを頼んでこう答える
ー"It's a Scary story”
(怖い話さ)
近日中に公開できればいいのだが、ひまひとつ自信がない
もしこの手の話が苦手な方は決して読まないでください
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