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いいじゃあないか、火曜の宴
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かくして海外へ赴任して暮らしていると、それがどのような土地であれ
日本人同士のコミュニティが生まれ、育まれていく
ここSemarangは、新型コロナウィルスに蹴散らされ、全盛期の三分の一程度にまで日本人の数は減少したと聞いているが、それでもコミュニティは存在する
<ゴルフ>、<バドミントン>、<テニス>・・・
そしてそれに伴う食事会ー
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かつて30代の頃、ヴェトナムのホーチミンに駐在していた経緯がある
厳密にいうと出張ベースだったので常駐はしていなかったが
月の半分、2週間は滞在し、ホーチミンへの渡航回数は80回を超えていた
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その当時、それがどのような経緯で<入会>したのかははっきり覚えていないが、日本人のコミュニティの<ホーチミン7区 ビアホイ倶楽部>という会のメンバーだったことがある(ちなみに今も在籍中)
<ビアホイ倶楽部>
それは同世代の異業種の日本人男性が結成した会で、未だに総数で何人在籍していたのかはわからない
ただその数は極めて少なかったはずだ
なぜならば、ほとんど毎週金曜日に開かれる、その<会合>の参加者は多くても5名程度だったからだ
そして参加者は全員、男
色なし、恋なし、ビールあり
そこが海外でなくても、真剣に働いているとやはり周囲と軋轢が生まれ、ときに衝突することもある
当時30代のわたしも一般的なそのような思いを持つことが稀にあり、ときどきこう思ったものだ
”同僚のベトナム人や日本人の顔なんか見たくもない!!”
そうした切ない夜に最も有効だったのがこの<ビアホイ倶楽部>で、当時はリーダーがFacebookで<開催告知>を宣言し、「いいね」を押すことで自動的に参加表明となるのだ
その告知を確認したわたしは、当時の住まいがあった1区からタクシーに乗り込み、喧騒渦巻く7区まで駆け、メンバーたちと合流し、子供がままごとで使うようなステンレスのテーブルとプラスチックの椅子に腰掛け、仕事を忘れメンバーたちとローカルビアと屋台のつまみを楽しみながら大騒ぎをするのだ
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しかし凄まじいのはその飲み方だった
メンバー全員は極めてお酒に強く、例えその夜5名が集まったとしたら空けた瓶ビールの本数は100本を軽く超えていたはずだからだ・・・
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今、当時をふり返り、確信を持って美化された記憶を、例えばわかりやすくブラッド・ピットさんに解説してもらうと、以下のような画像が最もわかりやすいのかも知れない
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もちろん、このような精悍な男たちがメンバーだったと言いたいのではなく、7区のローカルのお店に入るときの、メンバーの<雰囲気>がこうだったといいたいのだ(笑)
今夜は戦うぞ!!
そしてメンバーの誰かが無言で店員にコクリと頷くと、腕の細い男性店員がまるで蟹のように横歩きで、よっこいしょよっこいしょと、なんと<ケースごとビールを持ってくる>のだ・・・
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そのときのメンバーの数人とは、出張先の日本国内でも落ち合ってやはりビールを飲みにいった
横浜で中華、品川のオイスターバー・・・
そしてー
そして2023年ー
その<ビアホイ倶楽部>で一時期は熱狂するかのように毎週一緒に飲んでいたメンバーの1人が3月に、ホーチミンからジャカルタに現れた
その友人とは同じ家具業界に属していることもあり、国際展示会が開催された中央ジャカルタで落ち合い、その夜は喧騒渦巻くチャイナタウンの中華屋でやはり2人で浴びるほどビールを飲み、それでも足りずにホテルのルーフトップバーでも飲み続けたのだ・・・
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翌朝、ホテルのロビーで合流したときにはお互いに燃え尽きており、二日酔いの頭を抱えながら一緒にスカルノハッタ空港までタクシーを乗り合わせ、固い握手をして、こういって別れたのだ
ー”また飲もう”
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その緩やかな約束から3ヶ月後の昨夜、その友人がまた現れた(笑)
しかもジャカルタではなく、ここSemarangに
それはもちろんビジネスで、だからここSemarangはインドネシアにおける有名な家具の産地でもあるのだ
友人はいった
ー”さわまつさん、飲もう!!”
実はわたしは、よく飲み食いをしているように思われがちだが、平日は一滴もお酒は飲まず、夜も基本的に食事はとらない生活を送っているのだ
その代わり週末は3食を思いっきり楽しみ、全体の帳尻は合わせるようにしている
それは別にダイエットというよりかは、健康管理に重点を置いているだけなで、こうした生活が早くも半年は継続していて基本的に平日の夜に予定は一切入れないのだが・・・
その友人が来るのであればー
いいじゃあないか、火曜の宴
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夜に市内の中心地Simpang Limaのホテルまで迎えにいき
ワインを飲みたいとのことだったので、いつものKOTA LAMA歴史地区の<SPIEGEL>で乾杯
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白ワインで蒸したムール貝に、パスタのナポリタンソースを和えたもの
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食後に、デザートもいっとくか?となり
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その友人とは同じ業界で働いているが、いつもどおり生々しい仕事の話になるわけではなく、お互いが生きている激動のアジアの動向になることが多い
ヴェトナム・・・
ヴェトナムか・・・
30代の大部分を過ごした、熱い思い出が眠る国
またいつかは仕事か、あるいは遊びで戻りたいとは思ってはいるが、その前にここインドネシアでもうひとふん張り頑張るか・・・
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