解放感と疎外感は紙一重 Emily in Parisに見る人間関係構築のきっかけ
海外旅行で一番好きなのは、その最中に感じる圧倒的な解放感だ。
時差すらあって日常の延長線上とはとても思えないような、心の中に沸き起こる高揚感、電波すらままならない環境で普段の人間関係とも一線をひくような、心の中で騒ぎ立つ自由さ。
その日常と隔ててるが故の別世界がもたらす解放感は、海外旅行の醍醐味であり至福だと思っている。
その一方で、それは時が経てばある種疎外感に変換されるようにも思う。
近所より少し遠い街を自転車で通っている時、道ですれ違ったアジア系の外国人を見てふとそう感じた。
別世界を日常にしようとするとき、最高だった解放感は疎外感とさっと入れ替わる。
疎外感は、周りに知人がいないから。
疎外感は、見知ったものが少ないから。
特別だった"いつもと違う"ものたちは、それを特別じゃなくしようとするとき、私たちに試練を与えるようにすら思う。
特別が特別じゃなくなって解放感が疎外感に変わってから、それをしっかり日常にできたとき、やっと馴染んだりその土地の生活ができているといえるのだろう。
Netflixで配信中のEmily in Parisを見る中で、はじめ異国の地に一人で赴き疎外感を大きく感じていたところから、その土地で人間関係を一から構築して活躍していくEmilyの様子を見届けながら、これってすごくハードルの高いことのように感じた。
Emilyがパリで築いた人間関係のきっかけは、大きく分けて3つある。
①仕事で関わった
②道で声をかけられた
③生活を送る中で自然な形で接点があった
このうち①は自然だけど、これだけでは"友達"と言い切れるようにはなかなかなれないし、自分でどうにもできない部分もある。
②はありえなくはないものの、あまり現実的なように思えない。
例えば旅行中に声をかけられることはあっても、その多くはその瞬間で完結するものだ。
実際に去年パリに行った際、声をかけられたことはあったけど、それは「コートの色と鳥の色が一緒でいいね」とか、その程度のものだ。
③は例えばいきつけのパン屋さんとか、不動産業者とか、アパートが一緒とか、そういうことだ。
これは現実路線ではあるものの、実際にそこから仲良くなるところまで発展するとなると、やっぱり難しい面も多いように思う。
Emilyの人間関係の繰り広げ方は、異国の地で一からしっかり関係性を築き、居場所感を持ちながら充実した日々を送ることに繋がっている。
だけどじゃあ、そうやって築いた関係性が素敵だからといって、現実的にそれができるかというと全く別問題だ。
海外で生活することには憧れる面もある。
たまに、数週間だけ暮らすように旅するスタイルを今後どこかのタイミングでとれたらいいなと思うことだってある。
だけど、実際そうできたとして、現地で人間関係を築けるかと言われると自信がない。
なんなら誰とも会話をしない可能性すら見えてきてしまうくらいに。
お店での必要最低限の会話と、通りすがりの一回きりの会話。
それ以外に誰かと接点を持つことが、果たして実際あるだろうか。
そんなことを考えていたら段々、日本でも同じ構造が繰り返されているように思い始めた。
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