Restaurant【narro】paris 5区

オープンして1週間経ちましたが、さっそく来てくださった皆様ありがとうございました!

またお待ちしてます✨

メニューは毎週変わります。

フランスのロワール地方で日本野菜を作る、杏奈さんが送ってくれた冬瓜はムール貝のジュで火を入れてラングスティーヌのラビオリ、ブイヤベース、ラルド・ディ・コンナータ(イタリア産、豚の背脂の塩漬けを薫製したもの)と合わせてみました!

夜のアラカルトより
dîner

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ありがとうございます(。・ω・。)
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ある詩人の旅 4

ある詩人の旅 4

身を刺す寒気に抗いながら
闇夜の街を彷徨う
ただ歩くことだけが 彼にできる全てであるかのように

意地悪く身を嬲る川風に耐えながら、大きな橋を渡り
氷雨の中を何も考えることもかなわぬままに
ひたすら歩き続ける

足元からキリキリと締め付ける
雨に濡れた冷たき石畳の街路

空白の時がどれほど流れたのであろう

感覚の無くなりかけた足を引きずり
まるで導かれたかのように
この街の

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Merci beaucoup
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まあ大変

フランスへ来て3日目。

今日は学校へ授業の登録へ19区の音楽院へ行ったら、ここではないCRRへ行ってくれと言われ、CRRへ行ったら私の言いたい事が全然伝わってなくてオリヴィエがレッスンで来てる日時を教えられてこの日に行ってくれと言われ、また19区の音楽院へ行ったらオリヴィエに連絡して早くレッスンの日を決めてください。授業はもう今週から始まってます。あなたは遅すぎるとにかくこのアドレスに連絡しなさ

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モードとアートフローラル

今回は、少し作品撮りについてのレクチャーをしたいと思います。

今月のレッスンテーマをリクエストしてくれた方の作品です。小物使いも洒落ていて、スタイリッシュな仕上がり。

彼女の場合、事前にコンセプトがあったので写真も雰囲気を作りやすかったと思います。そうでない場合、漠然としてしまって、花を綺麗に撮ろうとしてしまいがち。

今回はここで少しレッスンの続きを上げておきたいと思います。まずこちらの画像

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ありがとうございます☺️
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ナダールと19世紀パリ#17/オスマニザシオン

ナポレオン3世/ジョルジュ・オスマンが行った19世紀のパリ大改造はオスマニザシオンtravaux haussmanniens」と呼ばれている。
これはとんでもない大改造だった。街は自然発生的に膨れ上がって形成されるものだ。たとえ人災/天災で破壊されたとしても、これを抜本的に組み替えることが出来た施政者は古今東西誰もいない。もし近しい例を探すなら、大火事で消失したNYCの14丁目以降・・位なものだろ

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ナダールと19世紀パリ#16/ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン

髭の小男ルイ・ナポレオンがパリの大改造を思ったのは何時の事なんだろう。
叔父ナポレオン・ボナパルトが失脚し、海外へ亡命した時はまだ幼かった。ブルボン朝が作ったパリの街並みを憶えているわけがない。以来、ルイ・ナポレオンは海外を転々としたために碌にフランス語も話せなかった。そんな男がパリの大改造を早くから夢見ていただろうか?僕にはそうは思えない。いや・・そんな男だからこそ、大改造を決断した時、ブルボン

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ナダールと19世紀パリ#15/エルネスティン・コンスタンス・ルフェーヴル

ナダールにとって1850年代(30代)は、写真術に魅せられ奔走し、悪弟の背信に翻弄された時代だった。それはパリがルイ・ナポレオンによって激変へ引き摺りこまれていった時代でもあった。1853年、クーデターによって第二帝政が確立すると、ルイ・ナポレオンはナポレオン三世を自称し、強権発動するとフランスを新しい時代に向けて揺さぶった。人々は熱狂し、新しい時代の到来を夢見て浮かれた。
イギリスから始まった産

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ナダールと19世紀パリ#14/1855年パリ万国博覧会

ナダールの悪弟エイドリアンは、この写真アトリエで働いていた。何も隠そうとしないナダールは写真技術の全てを彼に教えた。エイドリアンは黙々と技術を習得した。
ナダールの写真が1855年万国博覧会パリに展示され、大評判になると、エイドリアンは居ても立っても居られなくなった。ナダールの助手という立場が我慢ならなくなった。なぜ兄なのか、なぜ私じゃないのか。写真技術さえ駆使すれば、俺は兄と同じ程度の写真が撮れ

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ナダールと19世紀パリ#13/パンテオン・ナダール

ナダールが自宅(113 Rue Saint-Lazare)で写真アトリエを起こしたのは1854年2月。実は『パンテオン・ナダール』が発表したのは同年3月なのでひと月早い。これもいかにもナダールらしいと思う。
ナダールは先ず旧知の友を撮ることから始めた。・・おそらく彼が思いついた方法を確認するにはそれが一番良いと思ったからだろう。
その方法とは・・共感することだ。
カメラは銃口に似ている。向けられて

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ナダールと19世紀パリ#12/写真術との出会い

ふとした思い付きから制作を手掛けた『パンテオン・ナダール』だった。たしかに猛烈な評判にはなった。しかし商売としてはコケた。多数のスタッフを雇い、250名の肖像画を1m四方の石板の中に彫る作業は、下準備が煩雑で経費も半端なくかかった。それが全くの赤字で終わったわけだから、大抵の人はめげるだろう。借金の後処理に奔走するはずだ。・・もちろん、ナダールは違った。
『パンテオン・ナダール』制作の下準備で利用

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