夜鳴猫
夜鳴猫が執筆した詩・歌詞・随筆などの文芸作品集です。
夜鳴猫が執筆した随筆作品のマガジンです。
水を注ぐ それが一日の始まり 無色透明な液体も それでいて虹色に輝く 口に含む そして安らかな味わい 無味無臭な液体も それでいて虹色の味を持つ 喉に下す そこに僅か…
君と出かけるのは もう何度目だろう 君と出かける度に 僕は君を見つめる いつだって愛らしいその顔に 君は笑顔を浮かべてくれるね 君が笑うその顔を ずっと眺めていた…
いつからだろう あなたのことを ちょっと特別に 想い始めたのは 夕闇に飲み込まれて 紫に染まる体育館で 友達と笑い合うあなたを つい目で追いかけちゃうの ねえ 気…
今日もお疲れ様 どうしたのさ そんなに俯いて 肩を落として 「なんでもないよ」って 君は答えて 微笑みかけたけど 目は笑ってないよ ねえ話してごらん 背伸びしない…
はじめにこの頃、「承認欲求」という単語が独り歩きしているように思えてならない。 元来心理学用語であり、人間の基本的な欲求として想定されていたはずの概念は、いつし…
私は不如帰 鳴かぬならば 殺してくれれば いっそ楽だろう 綺麗な声で 歌おうとしても むせぶ涙で うまく声が出ないの 喉を枯らして 叫ぼうとしても 咽る血反吐で 赤…
ーー明日世界が滅ぶなら、最期にどんな曲を遺したい?ーー 唐突にそんな問いかけがーー矛盾した問いかけが脳裏によぎる。自身の肉体の死であるならば、それは去りゆく世…
いつからだろう 雨を鬱陶しく思うようになったのは いつからだろう 雪にはしゃがなくなったのは ―― 幼少期からインドアだった自分は、どちらかと言えば雨の好きな子…
2024年6月18日 07:21
水を注ぐそれが一日の始まり無色透明な液体もそれでいて虹色に輝く口に含むそして安らかな味わい無味無臭な液体もそれでいて虹色の味を持つ喉に下すそこに僅かなる抗い無毒無害な液体もそれでいて外より来るもの水を含むそれは海洋の名残無命無機な液体もそれでいて紅い血の母となる水を飲むそれは生命の理
2024年6月9日 05:51
君と出かけるのは もう何度目だろう君と出かける度に 僕は君を見つめるいつだって愛らしいその顔に君は笑顔を浮かべてくれるね君が笑うその顔を ずっと眺めていたいその愛らしい顔に 笑い皺ができるまで君が笑うその顔を 眺め笑っていたい僕ら二人の顔に 笑い皺ができるまで君の手をとるのは もう何度目だろう君の手をとる度に 僕は指を重ねるいつだって冷たい僕の手に君はぬくもりを与えて
2024年6月9日 05:44
いつからだろう あなたのことをちょっと特別に 想い始めたのは夕闇に飲み込まれて 紫に染まる体育館で友達と笑い合うあなたを つい目で追いかけちゃうのねえ 気づいてよ まっすぐな私の視線でも 気づきすぎないで まっすぐなこの想いにはどうしてだろう あなたを想うとちょっと嬉しいのに 胸が痛くなるのは宵闇に呑み込まれて 真っ黒に染まる私の部屋で私に笑いかけるあなたを つい思い描い
2024年6月9日 05:25
今日もお疲れ様 どうしたのさそんなに俯いて 肩を落として「なんでもないよ」って 君は答えて微笑みかけたけど 目は笑ってないよねえ話してごらん 背伸びしないで靴を脱いだらほら おいで裸足のまま頑張って なんてさ 言わないから何でって? だってさ もう頑張ってるからうまくできないことも 言えないことも君だけのことじゃない 責めることないねえ預けてごらん 背負いこまないで
2024年6月2日 17:43
はじめにこの頃、「承認欲求」という単語が独り歩きしているように思えてならない。元来心理学用語であり、人間の基本的な欲求として想定されていたはずの概念は、いつしか現代ネット社会に巣食う病理のように語られてしまっていないだろうか…?目的と手段人に認められたいーー社会に生きる人類にとって、これはごく基本的な欲求であり、逆にこれを欠いてしまえば社会で生きることは難しくなる。人間が社会という環境で生き
2024年5月31日 17:28
私は不如帰 鳴かぬならば殺してくれれば いっそ楽だろう綺麗な声で 歌おうとしてもむせぶ涙で うまく声が出ないの喉を枯らして 叫ぼうとしても咽る血反吐で 赤く口が染まるのもう辞めたい 帰りたい帰りたいでももうできない 帰るところもない私は不如帰 鳴かぬならば殺してくれれば いっそ楽だろう綺麗な花を 開こうとしても焦る想いで 無為に時を過ごすの茎を絞って 咲かそうとして
2024年5月13日 04:22
ーー明日世界が滅ぶなら、最期にどんな曲を遺したい?ーー 唐突にそんな問いかけがーー矛盾した問いかけが脳裏によぎる。自身の肉体の死であるならば、それは去りゆく世界へと手向けられた遺作と呼べよう。しかし、その世界ごと滅亡するというのなら、何も遺りはしないではないか。 ただ、取るに足らない、バカげた空想と自らを鼻で笑うには、僕は生真面目過ぎたのだろうか。それは何か重要な問いかけに思えてしまったのだ
2024年4月20日 17:29
いつからだろう雨を鬱陶しく思うようになったのはいつからだろう雪にはしゃがなくなったのは――幼少期からインドアだった自分は、どちらかと言えば雨の好きな子供だった。いや、今だって別段嫌いなわけではない。雨だれの音は外界の騒音を掻き消し、自分の思索の世界へと沈潜させてくれる。雨には雨の良さがある。雪にしてもそうだ。子供の頃なら雪が降ればはしゃいで雪だるまを作ったり、そりすべりをして楽