矢田石材店

愛知県岡崎市で1955(昭和30)年に創業。 理想のお墓づくりをお手伝いします。 「は…

矢田石材店

愛知県岡崎市で1955(昭和30)年に創業。 理想のお墓づくりをお手伝いします。 「はなえみ墓園」「お寺でおみおくり」「愛知県石材リサイクルセンター」などを運営。 お寺さまと一緒にみなさまの不安を解消していきます。 ☞https://www.yatasekizai.com

記事一覧

<第2章:その8>お墓のシミが教えてくれたこと

 それは、ある日の午後でした。  私は珍しく、墓地に出かけず、社内に残り、お墓の図面をひいていました。  珍しついでに、その日は朝から一本も電話が鳴らず、事務方た…

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大自然と歴史の波にもまれて

 愛知県豊橋市の大円寺は遠州灘をのぞむ丘にある。海という自然の大きな力を受けたり、名を残した人たちとかかわったりという、お寺の歴史を、水野一光住職(67)からうか…

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『Hanaemi』2024秋を発行

 矢田石材店の季刊誌『Hanaemi』の2024秋号を発行しました。巻頭の連載企画『ココロ、やどる。』は、テレビやラジオで活躍し、この地域で知らない人はいないであろう人気…

矢田石材店
2週間前
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<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(後編)

 もう一つ、お墓を建てることに関連した事例です。  仲の悪い父と息子がいたのですが、いつも仲裁役であった妻であり母である女性が、ある日突然、亡くなってしまいまし…

矢田石材店
3週間前
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寺名が示す地域とのきずな

 愛知県岡崎市の心城寺は、明治時代に地域の住民の要望によってつくられた集会所がはじまりという。お寺になる前から熱心に活動し、厚い信頼を受けていたお坊さんからつな…

矢田石材店
1か月前
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<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(前編)

 「お墓を建てる」ことと関連した話を、2つご紹介しておきましょう。  まずは、父親の家族が絶縁だったケースです。  ある方のお父さんがなくなりました。お墓を建てる…

矢田石材店
1か月前
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「生きるためのお寺」を伝える誕生仏

 愛知県岡崎市の胎蔵寺に誕生仏の石像がつくられました。お釈迦さまが生まれた時、右手で天を指さし、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と唱えたという姿をかたどった…

矢田石材店
1か月前
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<第2章:その6>先祖と自分をつなぐ場所

 自分探し、ということが流行った時期がありました。漠とした不安が若者世代を中心にあって、生き甲斐とは何だろうか、自分が人生でほんとうにしたいことはなんだろう、と…

矢田石材店
1か月前
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「最後に乗る車」の文化を守る

 全国で2番目に大きな霊柩車の会社が愛知県にあります。約100台の霊柩車を保有している名古屋特殊自動車株式会社(本社:名古屋市中川区)。矢田石材店が、お寺の本堂で…

矢田石材店
1か月前
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<第2章:その5>心からの「ありがとう」の力

 彼がひきこもりになった要因というのは、もともと要領の悪い人間だったようですが、社会に出て働いても、何かミスをしてしまう。それで会社を辞める。そのようなことが続…

矢田石材店
2か月前
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「ピンチはチャンス」 広い視野でアピールを

 愛知県一宮市の妙泰寺、松永寿康住職(42)は「ピンチはチャンス」と語る。繊維産業で栄えた尾張の中心都市でも若者の市外流出で檀家離れがある。一方で、ベッドタウンと…

矢田石材店
2か月前
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<第2章:その4>ひきこもりの30歳男を預かって

 お墓参りが、引きこもりを更生させた事例です。  前述の弟子の話で、30歳くらいのときに、知り合いから何とかしてくれないかと頼まれて入社させ、お墓参りに行って墓碑…

矢田石材店
2か月前
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同じことを繰り返す競技、でも飽きない

 パリ・オリンピックが開幕しました。40年前の1984年ロサンゼルス、20年前の2004年アテネと、2度のオリンピックで表彰台に立ったのが、アーチェリーの山本博さん。「中年…

矢田石材店
2か月前
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誠実に、ていねいに。23歳の想い

 愛知県豊田市、信光寺の本田龍樹住職は23歳。大卒の会社員なら、まだキャリアをスタートさせたばかりという若さだ。この年齢で、市内山間部の松平地区にある古いお寺を一…

矢田石材店
3か月前
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<第2章:その3>妻の実家のお墓そうじをする

 何度も言うように、私も父が事業に失敗したとき、たいへんな貧乏生活に陥って、しかも長く続きました。そのうちに、妻の実家から、 「帰ってきてもいいよ。そんなに苦労…

矢田石材店
3か月前
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葬儀用品から見える移り変わり

 愛知県尾張旭市の日本トレード株式会社は、ありとあらゆる葬儀用品を販売している会社。矢田石材店も、お寺の本堂で開くお葬式をサポートする事業「お寺でおみおくり」で…

矢田石材店
3か月前
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<第2章:その8>お墓のシミが教えてくれたこと

<第2章:その8>お墓のシミが教えてくれたこと

 それは、ある日の午後でした。
 私は珍しく、墓地に出かけず、社内に残り、お墓の図面をひいていました。
 珍しついでに、その日は朝から一本も電話が鳴らず、事務方たちがパチパチとパソコンを打つ音のみが聞こえる、本当に穏やかな日でした。
 図面製作で少し煮詰まってきた私を見透かすように、事務方の一人が立ち上がり、「お茶、いれましょうか?」と気を利かせてくれたので、「ありがとう、お願いします」と答えた瞬

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大自然と歴史の波にもまれて

大自然と歴史の波にもまれて

 愛知県豊橋市の大円寺は遠州灘をのぞむ丘にある。海という自然の大きな力を受けたり、名を残した人たちとかかわったりという、お寺の歴史を、水野一光住職(67)からうかがいました。

最初のお寺は太平洋の中?

 ――大円寺の山門から見おろした先の森の向こうは太平洋ですね。この地域は豊橋市の南部になりますか?

「豊橋市の一番隅っこ、江戸時代は田原藩の高豊村といい、今は田原市との境になります。サーフィン

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『Hanaemi』2024秋を発行

『Hanaemi』2024秋を発行

 矢田石材店の季刊誌『Hanaemi』の2024秋号を発行しました。巻頭の連載企画『ココロ、やどる。』は、テレビやラジオで活躍し、この地域で知らない人はいないであろう人気パーソナリティーの矢野きよ実さんです。書家としても知られる矢野さんの作品『無敵』の不思議なお話をうかがいました。寺院関係者のインタビューは、愛知県岡崎市の矢作地区にある真宗大谷派の正法寺です。

『無敵』の書がひとり歩き

 矢野

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<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(後編)

<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(後編)

 もう一つ、お墓を建てることに関連した事例です。
 仲の悪い父と息子がいたのですが、いつも仲裁役であった妻であり母である女性が、ある日突然、亡くなってしまいました。
 そこで、お墓をつくろうということにはなったのですが、息子さんは洋風のお墓にしたいと主張するし、お父さんは、いや伝統的な和型がいいと言い張ります。
 どこのご家庭でも、和型だ洋風だという争いはあり、たいていは最後に和洋折衷になって落ち

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寺名が示す地域とのきずな

寺名が示す地域とのきずな

 愛知県岡崎市の心城寺は、明治時代に地域の住民の要望によってつくられた集会所がはじまりという。お寺になる前から熱心に活動し、厚い信頼を受けていたお坊さんからつながる、天野義敬住職(66)に、お寺の歴史や現状をうかがいました。

かつて「講堂」と呼ばれた集会場

 ――お寺は岡崎の南の中心地にありますね。

 「岡崎市の戸崎町にある真宗大谷派のお寺です。
 お寺の周りは、JRの岡崎駅や、昔は日清紡の

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<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(前編)

<第2章:その7>お墓を建てることは遺族の使命(前編)

 「お墓を建てる」ことと関連した話を、2つご紹介しておきましょう。
 まずは、父親の家族が絶縁だったケースです。
 ある方のお父さんがなくなりました。お墓を建てるということで、私はご家族に家紋は何ですかと聞くとを、誰もが「知らない」と言うのです。
 なぜ知らないのかといえば、
「実は父は、○○県に実家があるらしいのですが、一度も私たちを連れて行ってくれませんでした。実家とは縁を切ったということで、

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「生きるためのお寺」を伝える誕生仏

「生きるためのお寺」を伝える誕生仏

 愛知県岡崎市の胎蔵寺に誕生仏の石像がつくられました。お釈迦さまが生まれた時、右手で天を指さし、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と唱えたという姿をかたどった像です。新しい石仏をなぜ制作したのでしょうか。野村宗臣住職(38)に想いや狙いを聞きました。

お寺のシンボルがほしい

 ――どうして誕生仏をつくろうとしたのですか。

 「胎蔵寺のシンボルがずっとほしいと思っていました。こういうことをや

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<第2章:その6>先祖と自分をつなぐ場所

<第2章:その6>先祖と自分をつなぐ場所

 自分探し、ということが流行った時期がありました。漠とした不安が若者世代を中心にあって、生き甲斐とは何だろうか、自分が人生でほんとうにしたいことはなんだろう、という疑問を抱えて、旅に出たりしたものでした。
 最近は世の中がせちがらくなったせいか、いよいよ余裕がなくなったせいか、あまりこの言葉は聞かれませんが、私の高校の同級生も、この「自分探し病」にかかって、定職に就かずアルバイトでお金が貯まると海

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「最後に乗る車」の文化を守る

「最後に乗る車」の文化を守る

 全国で2番目に大きな霊柩車の会社が愛知県にあります。約100台の霊柩車を保有している名古屋特殊自動車株式会社(本社:名古屋市中川区)。矢田石材店が、お寺の本堂で開くお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」でもお世話になっています。下村康範社長に、時代の要請に合わせながら、「大切な人が最後に乗る車」の運行を年中24時間体制で預かる取り組みを、教えていただきました。

地域の霊柩車が集められ83年目

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<第2章:その5>心からの「ありがとう」の力

<第2章:その5>心からの「ありがとう」の力

 彼がひきこもりになった要因というのは、もともと要領の悪い人間だったようですが、社会に出て働いても、何かミスをしてしまう。それで会社を辞める。そのようなことが続いていくうちに、どんな仕事をしても認められないし、どうせ会社に勤めても首になるし、ということで家に引きこもってしまったらしいのです。
 今(編注:本発行の2012年当時)、彼は37歳なのですが、ひきこもりのころは家で右腕を枕にゴロゴロと寝て

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「ピンチはチャンス」 広い視野でアピールを

「ピンチはチャンス」 広い視野でアピールを

 愛知県一宮市の妙泰寺、松永寿康住職(42)は「ピンチはチャンス」と語る。繊維産業で栄えた尾張の中心都市でも若者の市外流出で檀家離れがある。一方で、ベッドタウンとして増えている新しい住民を迎え入れようと、広い視野でお寺を守っている。

眼病の守護、妙見菩薩

 ――創建は1495年ですね。

 「室町時代です。地元の村を興した一族の方が、日蓮宗の教えを広めたいと発願されたのがきっかけのようです。

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<第2章:その4>ひきこもりの30歳男を預かって

<第2章:その4>ひきこもりの30歳男を預かって

 お墓参りが、引きこもりを更生させた事例です。
 前述の弟子の話で、30歳くらいのときに、知り合いから何とかしてくれないかと頼まれて入社させ、お墓参りに行って墓碑の享年を見せて、人間の命には限りがあるぞと教えた、あの男です。
 入社したばかりのころは本当に困った子でした。
 私と弟が現場に行くので、事務所の掃除をしておいてくれと言います。何をしたらいいんですか、と聞くので、
「そのへんの窓を拭いと

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同じことを繰り返す競技、でも飽きない

同じことを繰り返す競技、でも飽きない

 パリ・オリンピックが開幕しました。40年前の1984年ロサンゼルス、20年前の2004年アテネと、2度のオリンピックで表彰台に立ったのが、アーチェリーの山本博さん。「中年の星」といわれたアテネから、さらに20年たった61歳の今も、競技の世界で矢をうち続けています。中学の部活動から始まった50年間、一つのスポーツに向き合ってきた、ココロのストーリーをうかがいました。(文・松本行弘 写真・川津陽一)

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誠実に、ていねいに。23歳の想い

誠実に、ていねいに。23歳の想い

 愛知県豊田市、信光寺の本田龍樹住職は23歳。大卒の会社員なら、まだキャリアをスタートさせたばかりという若さだ。この年齢で、市内山間部の松平地区にある古いお寺を一人で守っている。高い志はもちろん、不安もある。期待も感じる。若き住職に正直な胸の内をうかがった。

無住のお寺を引き継ぐ

 ――信光寺はご実家ですか?

 「いいえ、住職のいないお寺を引き継ぐことになり、昨年の8月、ちょうど23歳になっ

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<第2章:その3>妻の実家のお墓そうじをする

<第2章:その3>妻の実家のお墓そうじをする

 何度も言うように、私も父が事業に失敗したとき、たいへんな貧乏生活に陥って、しかも長く続きました。そのうちに、妻の実家から、
「帰ってきてもいいよ。そんなに苦労する必要はないよ」
 と妻に言ってきたのです。子どももまだ生まれていないときでしたから、妻の両親としては見るに見かねてといった按配だったのでしょう。
 でも、私は私で、墓石屋として必ず成功すると確信を持っていました。おじいちゃんの墓前にぬか

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葬儀用品から見える移り変わり

葬儀用品から見える移り変わり

 愛知県尾張旭市の日本トレード株式会社は、ありとあらゆる葬儀用品を販売している会社。矢田石材店も、お寺の本堂で開くお葬式をサポートする事業「お寺でおみおくり」でお世話になっています。長くこの業界に携わってきた松井茂樹社長(54)にお話をうかがうと、葬儀用品を通してお葬式の移り変わりが見えてきました。

月間800基の棺を納品

 ――葬儀用品というと、どんなものですか。

 「いちばん、みなさんが

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