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★纏め★紫式部『源氏物語』と所縁の神社仏閣「光る君へ」乗っかりNOTE

 最古の長編小説『 源氏物語』! 紫式部と源氏物語を知り、その上で京都・滋賀・福井の神社仏閣へ行こう!本NOTEで1.2倍京都が楽しくなるかも!?
 利用用途は、行きたいところを見つけて、私の神社仏閣ごとの私のNOTEを見ながら参拝する感じですかね。

 滋賀県大津市の力の入れ方が凄いので、別紙を作ってみた。(2024/05/12追記)

しかし、タイミングがよろしいこと。。。

変更履歴


▼紫式部って?

  • 10 世紀後半、藤原為時と、その妻である藤原為信女の次女

  • 紫式部は幼い頃から文学の才能を発揮し、儒教、歴史、漢詩など、様々な書物を読破した

  • 才能は文学だけにとどまらず、歌や琴、琵琶の演奏などにも長けていたそう

  • 紫式部は結婚後に子宝に恵まれた

  • 1001年、わずか 3 年で夫と死別

  • 夫と死別した後、太政大臣・藤原道長の娘・中宮彰子のもとで宮仕えながら『源氏物語』を執筆した

  • 『源氏物語』は日本だけでなく世界的にも高く評価されている

  • 「紫式部」の呼び名は、源氏物語の登場人物・紫の上にちなんでいる

  • 本名は不明で、分かっていることは藤原姓だということだけ(2024/05/12追記)

  • 源氏物語の作者というのが通説だが、まだ謎の多い部分も残されている

  • 中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人で、百人一首にも入選している

  • 2000年に発行された2000円札の裏面には、源氏物語の一部と紫式部が印刷されていた

  • 生涯のほとんどを京都で過ごしたが、父の赴任に伴い、1年半ほどの期間を福井・越前国で生活していた時期がある

  • 『紫式部日記』では宮中の出来事を記しており、毒舌キャラだったとか・・(2024/05/12追記)

紫ゆかりの館より

ちょっとファンタジーな部分も面白かったので紹介?

鎌倉時代にまとめられた『今物語』という仏教説話集に、こんな話が残されている。
ある人の夢に、形のはっきりしない影のようなものが現れたので、何者かと尋ねたところ、紫式部だという。
その紫式部は、「そらごと(虚言)ばかりを集めて人の心を惑わしたために地獄に落ちて苦しみを受けることになり、耐え難い思いをしている。『桐壺にまよはん闇もはるばかりなもあみだ仏と常にいはなん』という和歌を源氏物語の各巻ごとに人々に読ませて、私の苦しみを救ってほしい」といった。

 紫式部が夢にでてきて『源氏物語』を読むごとに南無阿弥陀仏の名号をとなえて地獄の苦しみから救ってくれと訴えた、というのだ。また、『今物語』よりやや早い平安時代末期にかかれた『宝物集』という説話集には、短いがこんな逸話が記録されている。
紫式部が「『源氏物語』を書いた罪で地獄に落ちて苦しい。はやく『源氏物語』を破り捨てて、お経を読んでくれ」と訴えている、という夢を見た人がいた。
 紫式部本人(の霊?)が「『源氏物語』を破り捨ててくれ」と頼んだというのだからすごい。

↓引用元

より詳しく知りたい人は次もどうぞ。

▼ 源氏物語って

  • 主人公・光源氏の華やかな生活や恋愛遍歴を中心とした長編小説

  • 54巻から物語は、貴族の生活や風俗、思想なども描かれている

  • 全部で100万字以上からなり、登場人物は約500人とか(2024/05/12追記)

  • 能楽・歌舞伎・俳諧・絵画などの題材にしばしば取り上げられるほどの影響があった

  • あの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も愛読したようで、戦国武将の教養にもなったとか!・(2024/05/12追記)

  • 近代に入ってからも、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴ら多くの作家・研究者によって現代語に訳されている

  • 当時は印刷技術などないため、人々の手によって書き写されたため、書き換えも含めて、たくさんのバリエーションが生まれた

  • それを纏めたのが、藤原定家

  • このころから平仮名が普及したようだ(2024/05/12追記)
    →言語は話し言葉が先に生まれ、書き言葉が続いて発生する。日本は日本語ばかりだったので、書き言葉は不要だったと思う。ただ、書き言葉の有効性を認め次第に流行った認識である。大陸から漢字を輸入したが、それだけでは足りなかった。なので、音読み・訓読みがあり、カナ、平仮名と日本語という話し言葉に合うよう書き言葉を発展させた

紫ゆかりの館より
紫ゆかりの館より
紫ゆかりの館より
紫ゆかりの館より
紫ゆかりの館より

 詳細は次を参照ください。

 ドラマを見る人は次を参照ください。

 って、作者不明なようですね・・・。謎めいている・・・。

#紫式部#源氏物語を知る

京都:京都市考古資料館(京都市上京区)で特別展「紫式部の平安京」

京都:宇治市「 #源氏物語ミュージアム

京都:宇治市「お茶と宇治のまち歴史公園・茶づな」

 名称は「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ 道長の築いたまち」。ドラマの世界観が分かるよう、ストーリーや登場人物、紫式部と宇治との関わり、平安時代の宇治を紹介するパネルなどを展示する予定。翌年1月13日まで。

↓引用元

福井:紫式部と国府資料館「 #紫ゆかりの館 」福井県越前市東千福町21-12 金色の紫式部像「紫式部公園」

紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」に合わせ、福井県越前市の市武生中央公園に2月23日オープンする「しきぶきぶんミュージアム」が20日、報道機関向けに公開された。メインの「光る君へ 越前 大河ドラマ館」は、撮影で使われた衣装や小道具などを展示。ドラマの世界観を表現するとともに、式部が源氏物語を生み出す原動力となった越前での暮らしに光を当てる。
 大河ドラマ館には、式部役の吉高由里子さんが着用した華やかな平安衣装、代筆仕事のシーンで使われた恋文の木簡などが並び、撮影の舞台裏もパネルで解説。高画質の4K映像で、式部が暮らした越前国府の所在地を探るための発掘調査が進む本興寺や、和歌に詠んだ日野山など市内ゆかりのスポットを紹介する。

 2023年行っていますね!!旅行記をどうぞ!!

紫式部公園横で無料です!!2021年4月にオープンした。展示や国府資料館では、紫式部と国府にまつわることを知ることができる。
(略)
紫ゆかりの館に隣接している公園で、紫式部像や歌碑、平安時代の寝殿造庭園などがあります。紫式部像はなんと3mほどの大きな金色の像。

↓私のNOTE旅行記


滋賀 大津歴史博物館

 2024年5月11日行ったので、リンク先をどうぞ!

滋賀 紫式部/源氏物語ブラリ系


▼紫式部ゆかりの神社仏閣

福井:紙祖神 「 #岡太神社 #大瀧神社 」日本唯一!製紙の神様

 きっと、ここの和紙で書いたんだ!とテレビかネットで出ていた気がする。いや大河ドラマの1本目だったっけな??

福井:所在が分かっていない越前国府の国衙の有力地「 #本興寺

ちょっと変化球で「国府」を説明。

京都:紫式部産湯の井戸がある「 #雲林院 」晩年を過ごした地:京都市北区紫野雲林院町23

 この雲林院周辺で生まれ育ったと言われており、紫式部の名前の由来は、紫野という地名から名付けられているよう。雲林院は源氏物語にも登場しているとのこと。この地域は「紫野」エリアで、『古今和歌集』『大鏡』『伊勢物語』など、平安時代の文学に登場する地域。近くに「紫式部墓所」がある。

 未参拝ですね。他力本願です。

 昼は朝廷、夜は地獄で働く奇才・小野篁。小野妹子・岑守・道風一族ですね。私のNOTEは次の通り。


滋賀:源氏物語執筆「 #石山寺 」滋賀県大津市石山寺1-1-1

 平安時代の女流文学者も多く訪れており、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場している。紫式部はこの石山寺で『源氏物語』の構想を得て執筆をはじめたといわれている。
 リアル紫式部と会えるところ!?

本堂、多宝塔をはじめ、経典聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、国重要文化財を保有する石山寺。その名の通り、世界的にも珍しい巨大な硅灰石(けいかいせき、国の天然記念物)の上に立ち、奈良時代後期に聖武天皇の発願により開かれた。平安時代には貴族や文学者らが盛んに「石山詣(もうで)」を行った。
一条天皇の中宮(皇后)である藤原彰子(しょうし)から新たな物語の執筆を命じられた紫式部は、執筆祈願のため石山寺に7日間こもったとされる。本堂内にある「源氏の間」は、紫式部が『源氏物語』を起筆した部屋と伝えられる。

大河ドラマ「光る君へ」の舞台へ―滋賀県おすすめの紫式部&源氏物語ゆかりのスポットを巡る(https://www.nippon.com/ja/news/l00322/)

私のNOTEは次の通り。

京都:紫式部屋敷跡「 #廬山寺 」源氏物語執筆:京都市上京区寺町通り広小路上る北之辺町397

 紫式部はここで生活して『源氏物語』を執筆したよう。境内には源氏物語にちなんで「源氏庭」と名付けられた庭園がある。白砂と苔の美しい庭園には、紫式部の名前にちなんで「紫の桔梗」というようだ。

私のNOTEは、2024年10月ごろ公開。ということで、じゃらん旅行記で参拝模様をどうぞ。

『第52回京都非公開文化財特別公開』。この寺は紫式部の大豪邸の跡地としても有名です。天台宗の円浄宗の本山で、元三大師坐像とお前立鬼大師像などを公開。左右には所狭しと毘沙門天や不動明王、観音、地蔵菩薩が安置されている。

↓私のじゃらん旅行記

京都:片岡社に参拝「 #上賀茂神社 」:京都市北区上賀茂本山339番地

紫式部は同神社境内にある摂社、片岡社(片山御子神社)を題材にした和歌を残している。道長の伯父・伊尹らをきっかけに、平安から鎌倉時代まで摂政、関白による同神社への参拝が盛んになり、道長も1020年に訪れたという。

↓引用元

私のNOTEは次の通り。

片岡社
紫式部が何度もお参りしたことでも知られている。紫式部が片岡社で詠んだ和歌が鞍馬石の歌碑や式部絵馬に書かれている。
 ほととぎす 声待つ程に 片岡の 
   森の滴に 立ちや濡れまし

↓私のNOTEより

京都:この地は、源融の別荘・六条河原院があったところ「 #渉成園

 東本願寺管轄で京都駅から徒歩5分ぐらいのところ。ここもゆかりの場所だったんですね。知らなかった・・知っていたらもっと見方が変わっただろうに。。

私のNOTEは次の通り。

滋賀:紫式部の叔父・康延と異母兄弟・定暹は僧侶「 #園城寺 (三井寺)」

 石山寺とここは仲良しで、コラボ企画を毎年しているのは、紫式部繋がりだったのかな~。2024年は面白い企画しそうですね。

紫式部の叔父・康延(こうえん)と異母兄弟の定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶だった。父の為時も古稀を過ぎて三井寺に出家したという。また、藤原道長からの信仰も厚く、道長が奉納した弥勒菩薩(みろくぼさつ)が秘仏として伝わっている。7月31日まで「紫式部関係文書特別展」が開催されており、寺門伝法灌頂血脈譜、源氏物語湖月抄など三井寺所蔵の紫式部に関する品6点を初公開。

大河ドラマ「光る君へ」の舞台へ―滋賀県おすすめの紫式部&源氏物語ゆかりのスポットを巡る(https://www.nippon.com/ja/news/l00322/)

私のNOTEは次の通り。

滋賀:光源氏の家来の娘が唐崎で祓を受けた「 #唐崎神社

藤原道長の『御堂関白記みどうかんぱくき』には、道長が唐崎に祓いに出かけたことが記されています。また、『源氏物語』の「少女おとめ」の巻にも、光源氏の家来の娘が唐崎で祓を受けた記述があり、当時の貴族から「祓いの聖地」として認識されていたようです。

https://otsu-murasakishikibu.jp/introduction/

私のNOTEは次の通り。写真どこ行ったのか・・撮っていないのかな・・。

滋賀:比叡山延暦寺

紫式部と同時代を生きた比叡山延暦寺の僧侶・恵心僧都源信は、『源氏物語』の「宇治十帖」で浮舟の命を救った〈横川よかわの僧都〉のモデルといわれます。『源氏物語』の「夕顔」の巻では、比叡山延暦寺の西塔にある法華堂で、光源氏が夕顔の49日法要を営みます。

https://otsu-murasakishikibu.jp/introduction/

私のNOTEは次の通り。

滋賀:光源氏の父・桐壺院の一周忌供養「 #日吉大社

 光源氏の父・桐壺院の一周忌供養で営まれた「法華八講」は『法華経』を講義する法要ですが、日吉大社では、それを神仏合同の祭事である「山王礼拝講」として現代も執り行っています。

『源氏物語』にも登場する 法華八講ほっけはっこうを「山王礼拝講さんのうらいはいこう」として行われている神社。 法華八講とは天台宗の根本教典でもある『法華経ほけきょう 』を講義する法要で、「山王礼拝講」は現代において非常に珍しい神仏習合の祭事です。『源氏物語』の「 賢木さかき」の巻では光源氏の父・桐壺院の一周忌供養で法華八講が営まれますが、同時に光源氏が恋焦がれる藤壺の中宮が出家の決意を表明する、重要な場面として描かれています。

https://otsu-murasakishikibu.jp/introduction/

私のNOTEは次の通り。

滋賀:紫式部や清少納言、和泉式部の女流文学者の供養塔「 #慈眼堂

紅葉の隠れた名所でもある境内には家康の供養塔のほか、紫式部、清少納言、和泉式部いずみしきぶら平安時代の女流文学者の供養塔がのこり、秋は石灯籠を覆う紅葉が侘びた風情を醸し出します。

https://otsu-murasakishikibu.jp/introduction/
2023/10/30:京都駅 比叡山展

滋賀:嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)を祀る「 #融神社

光源氏のモデルの一人といわれる嵯峨天皇の皇子・源融みなもとのとおる公を祀る神社。静寂の境内には融公を祀る本殿と、母である大原全子おおはらのぜんしを祀る脇殿に加えて、拝殿と11の社があります。融神社に伝わる由緒によれば、融公は領地である南庄村に邸宅を構えて住んだと伝え、後の時代に邸宅のあった山上から掘り出された鏡を祀ったことが、融神社の始まりとされます。4月29日には春祭りが営まれ、神輿渡御みこしとぎょが行われます。

https://otsu-murasakishikibu.jp/introduction/

滋賀:京都⇔越前への往路に紫式部の歌碑「 #白鬚神社 」滋賀県高島市鵜川215

 越前国へ向かう際、また越前国から都に戻った際に滋賀県を通った紫式部。往路・復路には紫式部が詠んだ歌の歌碑がいくつか建てられている。

三尾崎は、白鬚神社付近と考えられており、神社の境内には、紫式部が漁をする人々の網を引く見慣れぬ光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだ、「三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも」の歌碑が建てられている。

大河ドラマ「光る君へ」の舞台へ―滋賀県おすすめの紫式部&源氏物語ゆかりのスポットを巡る(https://www.nippon.com/ja/news/l00322/)

私のNOTEは次の通り。

滋賀:紫式部歌碑「 #塩津神社#鹽津神社 )」滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547

 長浜市にある塩津浜に到着した紫式部一行は、塩津神社で旅路の無事を祈願し、塩津山を越えて越前国に向かいます。

滋賀:紫式部歌碑「 #百々神社 」滋賀県近江八幡市北津田町2

 未参拝。

▼源氏物語ゆかりの神社仏閣

京都:光源氏の生活の場であった御所の内裏「 #京都御所 」御所は光源氏が誕生した地:京都市上京区京都御苑

私のNOTEは次の通り。(2024年7月公開)

なにがし寺のモデル「 #鞍馬寺

 光源氏が、なにがし寺で出会ったのが源氏物語のヒロインと言われる紫の君(後の紫の上・当時10歳前後)で、ここを比定している。

私のNOTEは次の通り。

京都:源氏物語に登場する賀茂祭「 #下鴨神社   #上賀茂神社 」 

前述しているのでリンクだけ。私のNOTEは次の通り。


「源氏物語(明石の巻)」
 「浜のさま、げにいと心ことなり。人しげう見ゆるのみなむ、御願ひに背きける。入道の領じ占めたる所どころ、海のつらにも山隠れにも、時々につけて、興をさかすべき渚の苫屋、行ひをして後の世のことを思ひすましつべき山水のつらに、いかめしき堂を立てて三昧を行ひ、この世に設けに、秋の田の実を刈り収め残りの齢積むべき稲の倉町どもなど、をりをり所につけたる見どころありてしあつめたり。高潮に怖ぢて、このごろ、むすめなどは岡辺の宿に移して住ませければ、この浜の館に心やすくおはします。」

兵庫:藤壺に拒絶され光源氏が参篭した寺院「 #現光寺

 未参拝なので他力本願です。

兵庫:明石入道が住んでいた館跡「 #善楽寺

 「善楽寺」は光源氏を須磨から明石に招いた明石入道の住まい「浜辺の館」とされる戒光院で、「無量光寺」は光源氏がお月見をしたところで、「光明寺」は光源氏が「秋風に 波やこすらむ 夜もすがら あかしの浦の 月のあさがほ」と詠んだ月見の池がある。

私のNOTEは次の通り。

大阪:都へ返り咲いた光源氏が参詣した神社「 #住吉大社

 私のNOTEは次の通り。公開は未定。


光源氏のモデルとなったとされる源融の山荘跡「 #清涼寺 」や光源氏がお忍びで六条御息所を訪ねた「 #野宮神社 」、光源氏が建てた御堂の北側にあったという「 #大覚寺 」が存在します

京都:出家を考え始めた光源氏が建てた嵯峨野の御堂「 #清涼寺 」光源氏のモデルになった源融の山荘跡

 光源氏のモデルの1人と言われている嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)。この清凉寺は、彼の別荘跡地に建てられたお寺です。

私のNOTEは次の通り。

京都:光源氏が、六条御息所を訪ねた所「 #野宮神社

 源氏物語では賢木の巻で登場。光源氏と六条御息所の別れの場面が描かれている。黒木鳥居と小柴垣は、この時からあったとか。

私のNOTEは次の通り。

京都:24歳になった光源氏 藤壺に拒まれひがんで籠ったお寺「 #雲林院 」晩年を過ごした地:京都市北区紫野雲林院町23

未参拝です。前述しているので省略しようと思いましたが、NOTEに分かりやすい説明をされているのを見つけたので参考にどうぞ!

京都:晩年の光源氏は嵯峨院で2〜3年過ごした「 #大覚寺

 光源氏が出家した後、ここで2、3年の間過ごしたと書かれている。

私のNOTEは次の通り。

京都:源氏物語の『若菜上』で、朱雀院が出家した御寺「 #仁和寺

私のNOTEは次の通り。

京都:光源氏と夕顔がこの地で愛し合っていた「 #清水寺

 源氏物語では夕顔の巻で登場し、光源氏と夕顔がこの地で愛し合っていた矢先に夕顔が亡くなり、傷心に暮れる光源氏が描かれている。

私のNOTEは次の通り。

京都:冷泉帝が大原野へ鷹狩りの為に行幸「 #大原野神社 」京都府京都市西京区大原野南春日町1152

藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるようにこの社で祈祷されたそうで、良縁を授けて下さる女の守護神としても信仰されています。
源氏物語の作者・紫式部(むらさきしきぶ)が仕えた、一条天皇の后・中宮彰子(あきこ)も、参られたそうですよ。
その紫式部は、大原野神社を氏神と崇め、この大原の地をこよなく愛していたそうです。

↓引用元

私のNOTEは次の通り。


源氏物語と宇治
 藤原道長の娘彰子に女房として仕えていた紫式部が、世界に誇る長編小説「源氏物語」を書いたのは、平安時代の半ばの1000年ころであったと言われています。
 全編54帖のうち44帖までは、光源氏を主人公に華やかな宮廷での恋愛模様を描いたものです。それに対して、最後の十帖は光源氏の子薫君と孫の匂宮の二人の男性と、大君、中君、浮舟の三人の姫君が織りなすしっとりとした悲恋の物語です。
 その主要な舞台が宇治の地に設定されていることから「宇治十帖」と呼ばれていますが、「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わっていることにみられるように、紫式部にとっては源氏物語の終章を書くうえで、川霧にけむる宇治川がなくてはならない舞台装置であったことは間違いありません。
 千年の時の流れを超えて、往時を偲ばせる宇治川の周辺には、いつのころからか好事家たちによって物語ゆかりの古跡がたてられ、訪れる人を遠く王朝文学の世界へと誘ってくれます。

宇治市HP

京都:光源氏のモデル・源融の別荘/夕霧の山荘(宇治院)「 #平等院

 源融が建てた別荘のちは、その後、巡り巡って藤原道長に渡り、息子の頼通の時代になって平等院が創建された。

紫式部と平等院の繋がり
平等院の歴史と意義
平等院は、平安時代の貴族・藤原頼通によって建立された寺院で、その中心的建築物である鳳凰堂は、美しい建築様式や装飾が施されていて、日本の国宝に指定されています。平等院は、頼通の菩提を弔う場所として建立されましたが、紫式部との関係も深いとされています。
紫式部の父と平等院の関係
紫式部の父・藤原為時は、藤原頼通の叔父にあたる人物であり、紫式部は頼通と縁戚関係にあったことから、平等院との繋がりが生まれました。
紫式部が平等院に訪れたエピソード
『紫式部日記』には、紫式部が平等院を訪れた際のエピソードが記されています。彼女は、平等院の美しい景観や風情に感動し、「みちのくの 雲居にまがふ 翡翠の しることもなき 空に立つ」という歌を詠みました。この歌は、平等院の美しさと儚さを表現しており、紫式部が平等院に対する感銘を詠んでいます。

↓引用元

私のNOTEは次の通り。(2024年下期公開)

京都:薫が慕った八宮とその娘たち、大君・中君が住む場所「 #宇治上神社

私のNOTEは次の通り。(2024年下期公開)

京都:宇治八の宮は、話の中で山寺に籠もり「 #三室戸寺

私のNOTEは次の通り。(2024年下期公開)

▼『紫式部日記』『紫式部集』

  • 『紫式部日記』では宮中の出来事を記しており、毒舌キャラだったとか・・(2024/05/12追記)

  • 一方的にライバル視していた清少納言は、夫を馬鹿にしたので気に入らなかったとか・・ww(2024/05/12追記)

  • 評価していたのは天才歌人・和泉式部(2024/05/12追記)

  • 藤原道真はファンで『源氏物語』の続きが読みたいので神をプレゼントしているよう(2024/05/12追記)

  • 道長の娘・彰子(しょうし)は紫式部が家庭教師だったので知識で一条天皇のハートを射抜いたとか(2024/05/12追記)

  • 一条天皇は『源氏物語』の大ファンだったよう(2024/05/12追記)

▼紫式部の弟・藤原惟規/紫式部の姉

▼『源氏物語』光源氏のモデルともいわれた、藤原道長の生涯と紫式部との関係

▼企画展

〜2024年4月7日:京都文化会館『紫式部と源氏物語』

紫式部と『源氏物語』 - 京都府京都文化博物館 (bunpaku.or.jp)

〜2024年4月7日:「源氏物語絵巻」6巻を一挙公開 優美な王朝文化にスポット 丹波篠山で企画展

2024年4月7日:企画展「よきかな源氏物語」が #嵯峨嵐山文華館 にて 2024 年 1 月 18 日(木)から 4 月7 日(日)まで開催されます。

2024年1月10日から2月2日:大津市歴史博物館「源氏物語と大津」

https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/2310.html

2024年4月27日から5月12日:京の非公開文化財、今春15カ所で特別公開 紫式部邸跡の廬山寺など:朝日新聞デジタル (asahi.com)


▼メディア情報&参考情報

大河ドラマ『光る君へ』がもっともっと楽しめる!「大河ドラマ館」&大津市歴史博物館めぐり


これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼セットで行くところ/旅行記

▼仏像展


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