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【京都観光】源氏物語ゆかりの地① 〜平安時代から残る神社仏閣編〜

平安時代の文学を読んでいると、京都の地名がたくさん登場しますよね。
実際に京都へ行ってみると、聞いたことのある地名や神社仏閣の名前を目にすることも多いです。
何々ゆかりの地、という碑もいたるところに建てられています。

ということで今回は、
紫式部と源氏物語ゆかりの地でもある平安時代から残る京都市内の神社仏閣を中心に、解説と訪れた感想を書いていきます!


紫式部のお墓

紫式部の墓

神社仏閣を回る前に、まずは紫式部にご挨拶。
紫式部のお墓と言われている場所です。

隣にはなぜか、平安時代前期の官僚・小野篁のお墓があります。

小野篁の墓

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人の釣り舟 小野篁

小野篁といえば百人一首にこちらの和歌が収録されており、宇治拾遺物語「小野篁、広才のこと」のエピソードが有名ですね。

小野篁は、昼間は官僚として嵯峨天皇に仕えながら、夜になると井戸から地獄へ通って閻魔大王の補佐をしていたという伝説があります。
その井戸は今でも「六道珍皇寺」というお寺の境内に残っています。

六道珍皇寺
閻魔大王と篁の像を見ることができる

その篁のお墓と紫式部のお墓が並んでいる理由はわかりませんが、地獄に落ちそうだった紫式部を篁が助けてくれたから…という話があるそうです。
紫式部がなぜ地獄に落ちそうだったのかはよくわかりませんが…

並んでいる二つのお墓
お墓の入り口に咲くムラサキシキブ(9月に撮影)

紫式部のお墓の入り口には、ムラサキシキブという名前の木が植わっていました。
ぜひ、紫色の綺麗な実がなる秋に訪れてみてください!

【紫式部墓所】
〒603-8165 京都府京都市北区紫野西御所田町

雲林院

雲林院

お次は紫式部のお墓から歩いてすぐのところにある、雲林院
会ってくれない藤壺の態度に思い悩む光源氏が、出家しようとして籠ったお寺として源氏物語「賢木」に登場します。

ご本尊は十一面千手観世音菩薩。
雲林院は元々は「紫野院」という、平安時代初期の天皇・淳和天皇の離宮でした。
その後、雲林院と呼ばれるようになり、この院を託された僧正遍昭によって9世紀終わり頃に天台宗のお寺となりました。
※僧正遍昭…「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ」の作者

当時の雲林院は今よりもっと広かったようで、発掘調査によって建物跡や井戸の跡などが見つかっています。

源氏物語の他、伊勢物語や枕草子など多くの文学に登場し、古今和歌集以降の歌枕としても知られています。
中でも特に有名なのは大鏡の冒頭、「雲林院の菩提講」でしょうか。

大鏡の話は雲林院で落ち合った老人たちの会話として展開されていきます。
当時とても賑わっていた人気のお寺だったことがわかりますね。
今は敷地が縮小されこぢんまりとしたお寺ですが、心落ち着く素敵な場所です。

「源氏物語ゆかりの地」説明版より
観音堂

【雲林院】
〒603-8214 京都府京都市北区紫野雲林院町23

上賀茂神社・下鴨神社

上賀茂神社

次は上賀茂神社と、下鴨神社です。
鴨川の合流地点にあるのが下鴨神社、そのさらに北の方にあるのが上賀茂神社です。

鴨川デルタ
上賀茂神社は下鴨神社より北にある

この二つの神社は元々は一つの神社でしたが、奈良時代に二つに分かれました。
京都で最も古い神社とされ、世界文化遺産に登録されています。

上賀茂神社の正式名は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社
御祭神は 賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)で、厄除けの神様として信仰されています。

下鴨神社の正式名は、賀茂御祖(かもみおや)神社
御祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)玉依媛命(たまよりひめのみこと)です。

賀茂建角身命は京都の守護神であり、玉依媛命は縁結びや子育ての神様として古くから信仰されているようです。
玉依媛命は上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の母親で、賀茂建角身命は賀茂別雷大神の祖父です。

賀茂御祖神社

上賀茂神社と下鴨神社では毎年5月15日に、京都三大祭の一つ・葵祭が行われます。
葵祭は元々「賀茂祭」という名前で、平安時代には「祭」といえばこの賀茂祭を指していました。

賀茂祭は源氏物語でも重要な場面で登場しますね。

祭の前に行われる賀茂斎院の禊の儀式に同行した光源氏の姿を一目見ようと、多くの人が押し寄せました。
その中には、光源氏の正室・葵の上と、年上の愛人・六条御息所もいました。
良い場所に車を停めていた六条御息所でしたが、後から来た葵の上の車に追いやられてしまうのです。
ちなみにこの賀茂斎院とは、平安京の守り神である賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社を合わせた言い方)に奉仕した未婚の皇女のことです。

上賀茂神社

まずは上賀茂神社を見ていきましょう!

とても景色の良いところです!
広々とした参道で、心が洗われる感じがしました。

右手の方には和歌によく詠まれる「ならの小川」があり、毎年4月にはここにある庭園「渉渓園」で平安装束を着た歌人たちが川に盃を流しながら和歌を詠む「賀茂曲水宴」が行われます。

本殿へ向かう途中にある、片山御子神社

片山御子神社の説明版

上賀茂神社の第一摂社で、通称「片岡社」と呼ばれています。
ここには紫式部も参拝したと伝えられ、その際に詠んだ和歌が残っています。

ほととぎす声まつほどは片岡の
もりのしづくに立ちやぬれまし 紫式部
(新古今和歌集)

ホトトギスを待っている間は、この片岡社の杜の梢に立って、朝霧の雫に濡れていましょう。

ホトトギスを将来の結婚相手にたとえて詠んだもので、ホトトギスも片岡社も素晴らしい、という意味です。
片岡社の御祭神は賀茂玉依姫命(=下鴨神社の御祭神・玉依媛命と同じ)で、縁結びの社とされています。

奥には本殿と、「権殿」があります。
権殿というのは、本殿の修復が必要な時の一時的な仮殿のことです。
どちらも国宝に指定されています。

この奥が本殿

上賀茂神社の北北西には標高301.5メートルの神山があり、山頂には御祭神の賀茂別雷大神が降臨したと伝わる大きな岩があります。

【上賀茂神社】
〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
https://www.kamigamojinja.jp/

下鴨神社

次は、上賀茂神社からバスで25分前後のところにある下鴨神社。
参道は糺(ただす)の森に囲われています。

糺の森入り口
参道(糺の森)

8月に古本まつりが開催される場所ですね。
とても落ち着く空間です。
ならの小川を渡って鳥居をくぐると、縁結びの象徴である連理の木があります。
縁結びの絵馬やお守りなども売られており、源氏物語にちなんだおみくじもありますよ!

下鴨神社の「ならの小川」

西本殿に賀茂建角身命、東本殿に玉依媛命が祀られています。
どちらも国宝に指定されています。
本殿の周りには、言社という十二支を守る神様が祀られたお社があります。

この奥が本殿

本殿の右手奥には、御手洗池と御手洗社があります。
御手洗社は厄除けの神様が祀られており、夏の土用の丑の日に「足つけ神事」が行われます。

御手洗社

御手洗池に湧き出る泡をかたどって生まれたのが、みたらし団子
ここはみたらし団子発祥の地とされています。
ひとがたとして無病息災を祈ったことに由来して、一つと四つに分かれています。

甘味処「加茂みたらし茶屋」みたらし団子

下鴨神社の境内には、河合神社という下鴨神社の摂社があります。
御祭神は下鴨神社と同じく、玉依媛命。
女性守護の神様として信仰されています。

河合神社

玉依姫命は宝石のように美しかったことから、美麗の神としても信仰を集めています。
ここでは鏡絵馬という手鏡の形をした絵馬をいただくことができます。
自分のメイク道具で絵馬にメイクをして裏に願いを書く、というものです。
女性の方や、普段からメイクをされる方は、ぜひ合わせて足を運んでみてください。

河合神社は美麗の神

方丈記の作者・鴨長明はこの河合神社の禰宜の家に生まれたそうです。
鴨長明が晩年暮らしたという方丈庵が復元されていたらしいのですが、移設中のため見ることはできませんでした。

ちなみに、上賀茂神社と下鴨神社のどちらを先に参拝した方が良いというルールはないそうです。
行きやすい方から訪れて問題ありません。
僕は上賀茂神社から参拝しました。

【下鴨神社】
〒606-0807 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
https://www.shimogamo-jinja.or.jp/

清水寺

清水寺

最後は清水寺です。
清水寺自体は源氏物語には出てきませんが、夕顔や葵の上、紫の上が荼毘に付された場所として「鳥辺野(とりべの)」という地名が登場します。

鳥辺野は清水寺のあたりとされており、平安時代には葬送の地として有名でした。
藤原道長と頼通はこの地で荼毘に付されました。
また、中宮定子は遺言により鳥辺野で土葬されました。

清水寺へ向かう時に通る、二寧坂(にねいざか・二年坂)と産寧坂(さんねいざか・三年坂)。
三年坂で転ぶと3年以内に死んでしまう…という言葉がありますが、これは「急な坂道で危ないから気をつけてね」という呼びかけのために生まれたものだと言われています。
ここで京都のお土産を買う方も多いですね。
素敵なお店がたくさん並んでいます!

二寧坂(二年坂)
産寧坂(三年坂)

ちなみに産寧坂の名前の由来は、豊臣秀吉の正妻・ねねが清水寺に安産祈願をしたことだと言われています。
ねねが秀吉の菩提を弔うために建立した高台寺が、産寧坂の近くにあります。
高台寺には秀吉とねねの坐像が安置されています。

坂を登って清水寺へ

清水寺が開かれたのは778年。
御本尊は「十一面千手観世音菩薩」です。
「清水の観音さん」として、古くから人々に親しまれていました。

奈良で修行を積んだ賢心という僧が、お告げに従って京都の音羽山を訪れて瀧を発見したことが清水寺の始まりだとされています。
その後、平安時代の武官・坂上田村麻呂が音羽山を訪れて賢心と出会い、寺院の建立に協力したそうです。
そして、音羽の瀧の清らかさにちなんで「清水寺」と名付けたといいます。

清水寺といえば、清水の舞台が有名ですね。
高さ13メートルもあるこの桧舞台は、特別な法会などの際に観音様へ芸能を奉納するための場所です。
「懸造り(かけづくり)」という伝統工法で建てられており、18本の柱で支えられています。
なんとこの舞台には、釘が一本も使われていないんです。
木材同士を組み合わせてつくられています。

清水の舞台
釘は一本も使われていない

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉がありますが、昔は観音様に願掛けをして高い舞台から飛び降りる人がたくさんいました。
あまりにも多かったためか、明治5年には飛び降り禁止令が出されたみたいです…!

観音様が安置されている本堂のほかにも、清水寺には数多くの建造物が立ち並んでいますね。

本堂

「随求堂(ずいぐどう)」には願いを叶えてくれるという大随求菩薩が祀られています。
ここでは真っ暗な中を手探りで進む胎内めぐりを体験することができます。

清水寺の起源のお話にも出てきた、音羽の瀧
古くから「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水とされてきました。
流れ落ちる清水を柄杓で汲み、願いが叶うよう祈願します。

音羽の瀧

清水寺の敷地内に建つ神社。
京都地主(じしゅ)神社という、縁結びの神様です。
目を閉じて、片方の石からもう一方の石まで辿り着くことができたら恋が叶う、という恋占いの石は、ここにあります。
(※現在は社殿の修復工事のため見ることができません)

京都地主神社

清水寺の正門・仁王門と、隣にある西門。

仁王門
西門

ここから見える夕陽はとても美しいです!
ぜひ日没間近の時間に訪れてみてください。

西門から見た夕焼け

【清水寺】
〒605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294
https://www.kiyomizudera.or.jp/

今回は、紫式部のお墓、雲林院、上賀茂神社と下鴨神社、清水寺のご紹介をしました!
源氏物語や、そのほか平安時代の文学の世界に思いを馳せながら、京都観光を楽しんでみてはいかがでしょう?

次回は京都御所やその周辺のご紹介をしたいと思いますので、そちらもお楽しみに!


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