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秦氏・賀茂氏「日吉大社」制覇!全国の日吉・日枝・山王の総本社は比叡山と神仏習合【滋賀】

全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。 国宝社殿として東西両本宮二殿、そして重要文化財として十七棟を持つ。かつては境内108社・境外108社を持つ一大拠点であった。その広がりの背景は、平安京の表鬼門として魔除・災難除を祈る社とされ、比叡山延暦寺と天台宗護法神として重宝されたからだろう。境内には神仏習合の名残がある。

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 読み方は「ひよしたいしゃ」だが、元々は「日吉社(ひえしゃ)」と呼ばれていた。『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあり、秦氏の京都・松尾大社と同じ神を祀る古社で二十二社でもある。通称「山王権現」と呼ばれる。

変更履歴
2021/12/22 初版

▼HP

▼アクセス

滋賀県大津市坂本5丁目1-1

▼祭神・本尊と脇時

西本宮:大山咋神
東本宮:大己貴神


▼見どころ

 「ヒヨシ」と書いて「ヒエ」と読みます、なぜかと言えば「比叡(比叡山 延暦寺)」と所縁があるからだとか。。という言葉遊び的なことが伝えられますが、確かに、日吉大社系の鳥居は鳥居上に山がある独特の形式で、鳥居ですぐわかりやすい神社です。「ヒヨシ(日吉)」=「ヒエ(日吉=比叡)」+鳥居の「山」=比叡山??

日吉大社ポイント

  • 天台宗開祖の最澄の生誕地

  • 比叡山延暦寺とはきわめて縁が深い

  • 延暦寺の僧侶が高齢になった際に山から降りて隠居するための里坊が周辺にある

  • 全国に3800社ほどある日吉・日枝・山王神社の総本宮

  • 一般的には狛犬が鎮座するべき場所、神使いは「サル」

  • 京都裏鬼門に位置するので、平安京遷都以降は「都の魔除け」「災難除け」とされる

  • 西本宮と東本宮のエリアの2社制

  • 秦氏と賀茂氏と大神氏の匂いが残る

  • 紅葉の名所

  • 境内には多くの摂社・末社があり、祀られている神々を総称して「日吉大神」

  • 神仏習合の地。西本宮の大己貴神は釈迦如来、東本宮の大山咋神は薬師如来である

 では、参拝です。

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 猿を神使いとし「神猿(まさる)」とする。これも「勝る(まさる)」と掛けていそう!?

 では、ここから真面目に。西本宮と東本宮を中心とすることから、仏像では言えば二尊方式のところと言えようか。
 『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見で、これは、日吉社の東本宮の祭神・大山咋神を指していることになる。
 平安京遷都により、日吉社は京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として国から崇敬されるようになる。同時に、延暦寺と神仏習合し、山王権現と呼ばれるようになった。
 織田信長の比叡山焼き討ちで焼失、復活するが、神仏分離令が出ると率先して仏教色を一掃し、延暦寺から独立したそうな。

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室町時代から既に飼われていたようで、大人一人が一年で食べられる米の量が支払われていたそうな(古門書より)。

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西本宮近くにある磐座には五大不動明王の1つ大威徳明王とした「大威徳石」があった。

五大明王とは?
仏像では大日如来含めて五智如来がある。この後智如来はある条件になると変身しコワモテの明王になる。これが不動明王である。神道では神様は和魂と荒魂という2つも要素を持つ。ここが日本独特で、あらゆる宗教を飲み込み、要素による変化(変身)するところが面白い。あらゆるものを自分たちに合った形で吸収するのが日本人なんだと思う。

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▽西本宮(本殿@国宝、拝殿@重文):大己貴神

 668年に大津京鎮護のため奈良・大神神社の祭神である「大物主神」を大己貴神として勧請。

大威徳石あたりからの写真かと。

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まずは迫力のある楼門である。四隅には神猿が守っている!ここ注目!!また、蟇股(かえるまた)にも三匹のマサルさんがいる。

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境内では次々と重文の拝殿などに上がり、御祈祷を受ける人がいる。本当に独特の雰囲気である。

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 西本宮拝殿@重文で本殿は国宝である。御祈祷を受けてもここの上には登れない。御祈祷時は神官が本殿に上がり祝詞をあげるようだ。

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国宝左のご神木。

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西本宮の本堂左から国宝の本堂背後を歩くのが参拝中になっている。

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▽大宮竈殿社

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「奥津彦神」「奥津姫神」は、大山咋神の兄神・姉神とされており、日吉大社の三つの竈殿社で共通の祭神。

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後ろに包丁塚ですが、「包丁」の「包」が初めて見る字で旧字というやつかな?

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▽宇佐宮@重文

遠くから日吉造の存在感を発している社で、摂社・末社ながら舞殿も持つことから重要な神社と思う。祭神は宗像三神の1柱で長女「田心姫神」で、旧称:聖真子とあった。

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神社の由緒では創建から675年までは西本宮に「大己貴神」と共に祀られていたそうな。で、社殿は「宇佐宮」なので、大分・宇佐神宮と繋げると「応神天皇」「神功皇后」「比売大神」なのでが、「比売大神=宗像三女・田心姫神」ということですかね。

宇佐神宮公式HP引用より比売大神の説明
海北の道中の主として筑前(福岡)の宗像大社や宮地嶽神社、安芸(広島)の厳島神社などにも祀られており、学問・芸術の上達から財運や交通安全(航海の安全)など幅広くご守護をされています。

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▽氣比宮、宇佐竈殿社

 氣比神宮を摂社・末社に持ってくるとは!そして、宇佐宮にも「奥津彦神」「奥津姫神」を祀る食事係?を置いている。

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 と、思っていたが、そもそも仲哀天皇の妻が「神功皇后」で子が「応神天皇」ですね。ちゃんと意味のある配置ですね。個人的には「武内宿禰」もあれば、すごく良いのだが。

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▽宇佐若宮

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御祭神「聖女」・・・??補足で「下照姫」とある。出雲王国へ譲るよう派遣した「天之菩卑能命(アメノホヒ)」の後に派遣された「天若日子」の妻なのだが。記紀では、天若日子が亡くなり下照姫は号泣したシーンで、下照姫の兄・阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)としている。賀茂氏つながり???

ということで宇佐氏ゾーンの次は白山信仰ゾーンへ!?

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▽白山姫神社@重文

早速、水につながりがあると思われる白山ゾーンでは滝が現れる。そして摂社ながらも舞殿を持ち、重文の本殿を持つ。

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本殿左に磐座かな。

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そうそう!狛犬が社によって違うんですよね。この先の東宮は完全に楼門を向いているし。

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祭神は菊理姫神(ククリヒメ)で、現在の本殿は1598年建立で、三間社流造になっている。白山信仰総本宮・白山比咩神社から858年に比叡山延暦寺・相応和尚によって勧請されたそうな。

▽剱宮社

おお~比叡山延暦寺と繋がりがあるのに、織田信長祀る?と思ったら天孫降臨・ニニギだった・・。白山市・金剱宮を勧請したものだそうです。

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ということで、前回はじっくり参拝できなかった白山に行くか~と思うのであった。

▽小白山社

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こちらも白山から勧請したようで祭神は西本宮と同じ祭神。別名オオクニヌシですね。

▽八坂社、北野社

ここは説明不要かと思うので略。

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▽救済地蔵

東本宮へ!きになる建物発見。行ってみると「地蔵」が。。ここだけ神仏習合が残っている。

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石仏のお地蔵さまでした。

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▽西本宮→東本宮「恵比寿社」

お地蔵さんの次はエビス様で、祭神はオオクニヌシの長男坊「事代主(コトシロヌシ)」だった。エビス様はコトシロヌシと蛭子(ヒルコ)のいずれかなので、神社のエビスの楽しみどころの一つかも。

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▽三宮・牛尾宮遙拝所

大神神社、松尾大社、上賀茂・下鴨神社、伏見稲荷大社など古社は山を神様とするところが多く、ここも八王子山の山頂に「金大巌(こがねのおおいわ)」がある。その階段両脇に遙拝所がある。

「金大巌(こがねのおおいわ)」は牛尾宮・三宮の間にある大岩で、大山咋神が東本宮に祀られる以前に宿っていたとされる磐座で、日吉大社の始まりとのこと。そこに社を両脇に置いた。いずれ毎回、行ってられない!と麓に社が立ったのだろう。

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三宮の祭神は「鴨玉依姫神」の荒魂で、大山咋神の妃神と記されている。まさかの賀茂氏と秦氏の繋がりを伏見稲荷大社ぶりに見つけた。

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牛尾宮の祭神は東本宮「大山咋神」の荒魂となっている。

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ということで和魂には世界平和を!個人的なお願いは荒魂へ!さあ~登りましょう!私は今日も登らない!?

▽東本宮@国宝:大山咋神

徒歩10分だが、摂社・末社を回っているのでたぶん20分は掛かっているかと。。いざ、東本宮へ!

↑楼門@重文

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楼門をくぐると西本宮とは違う風景である。
西本宮は拝殿・本殿のみが構えているが、東本宮は本殿と摂社・末社が並んおり、どこか寺の雰囲気を感じてしまう。

↑樹下宮@重文、樹下若宮

 正面は本殿の舞殿・拝殿ではなくここの拝殿である。つまり、摂社の本殿・拝殿が本殿参道を挟んで配置されている。本殿は三間流造の檜皮葺で、1595年に建てられたことが墨書で分かっている。

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 祭神は東本宮祭神の妃「鴨玉依姫命」で、賀茂社・賀茂別雷命の母親なので「鴨」の文字が入っているようだ。つまりは、下鴨神社の祭神ですね。
 日吉大社と松尾大社の神様が同名で同神とすると、賀茂氏と秦氏は、物部氏と蘇我氏のように仲良しなのかな。そう戦国時代に同盟の証に娘を嫁がすのを大河ドラマで見るが、昔からそうなのかもね。

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 床下は霊水の井戸があるらしい。。樹下宮の足元には、社殿に添って溝があるのは湧水を通しているのかな。

 ちなみに、ファンタジーだが本来の東本宮はこちらではないか説がある。端的に言うと、この社が奥宮を向いているからということらしい。山の上に荒魂、麓に和魂を丁重に祀ることで、安寧を得たと信じていたのかも。

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若宮は東本宮祭神の息子「玉依彦神(タマヨリヒコ)」という珍しい神様を祀る。

↑東本宮 拝殿@重文、本殿@国宝

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東本宮の祭神は「大山咋神」で松尾大社と同じですね。

古事記上巻
此の神は近淡海国ちかつおうみのくにの日枝山ひえのやまに坐まします。また葛野かづのの松尾に坐す、鳴鏑なりかぶらを用ゐる神ぞ

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東本宮本殿は織田信長の焼き討ちにあったため、1595年に再建されたことがわかっている。焼かれたものの、平安時代以来の様式「日吉造」で建てられており国宝。

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本殿左。

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▽新物忌神社、大物忌神社

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 新物忌神社の祭神は東本宮の母「天知迦流水姫神(アマチカルミズヒメ)」で、物忌神社の祭神は東本宮の父「大年神」である。
 物忌神社は本殿裏の高いところにあることから、父親はえらい!ということかも。これは出雲大社もそうですね、本殿裏には妻側の父・スサノオを祀っているので。

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なお、2021年10月に早尾神社の神様「スサノオ」が避難されていた!?どういうわけかは後述します。

▽稲荷社

本当に稲荷社はどこでもありますよね。あっでもここでは秦氏との繋がりが強い神様なので、伏見稲荷大社系があってもおかしくないか。

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↑東本宮境内 本殿左側

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ここにも食物係がいましたね。そしてラストはサルタヒコ!

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東本宮---------- 終了 -----------

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▽東本宮楼門出てまっすぐ降りる

↑須賀社

出雲大社の奥宮説もある島根・須我神社から分霊したかはわからないが、スサノオですね。ただ、別名「悪王子」って書いているので、京都・八坂神社の摂社・末社「悪王子神社」から分霊かも。八坂神社の和魂は西本宮近くで、荒魂は東本宮に祀ったのかも。

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↑岩瀧社

個人的には長谷寺繋がりだったら面白いのに~と思ったが宗像三神のようです。ただし、長女がいない!!そう長女は別の社でいたので、残りをここに祀ったようだ。

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↑猿の霊石

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なんか紙で説明書きが。ああ~猿石ね!と見たが、どうみても猿に見えない。スルーして振り返ると、、

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↑氏永社、氏神社

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ああ~過去、いや昔の神職を祀っているな~ここは見なくていいやと思いながらも、せっかくだから「氏神社」を覗くと。

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 ああああ~加茂氏・賀茂氏の氏神だ~。。やっぱ水を司る賀茂氏だ。。。
すごいなこの参拝順。。最後の最後のオチ。って、ほかの人は見向きもせず、スルーしていく・・。

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京都・秦氏と賀茂氏と深いつながりのある神社なんだと思う。

▼セットで行くところ(旅行記)

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