30歳になった まさか 結婚して 子供が2人いるなんて 少し前の自分からは想像も出来なかった 別に30歳になったからと言って 特に何かが変わる訳ではないが 夫が結婚式を…
父が還暦を迎えた 父が30歳の時に産まれた私は 来月30歳になる 私と父は仲が良い方だと思う 小さい時から何かと2人でデートしていたし 高校生、大学生になっても ご飯に…
次女が1歳になり ハイハイしてつかまり立ちをして なんとなくママと言えるようになった そんな成長は喜ばしくも少し寂しい 不妊治療をしていた時は まさか自分が2児の…
我が家の次女が 数日後に初めての誕生日を迎える 1年前はというと 長女の時は緊急帝王切開で わけのわからないまま手術になったので 予定帝王切開で 前日からの入院 長…
祖父の夢を見た 昨年末に亡くなった祖父は いつものように リビングの緑色のソファーに座っていた 一昨年の夏、 心肺停止状態になり 病院に運ばれた祖父は 一命を取り留…
突然だが 私は感情があまり外に出ていないらしい だいたい 冷静だね 落ち着いてるね と言われることが多いし、なんなら 冷たいね と言われることすらある 高校の卒業…
12月20日水曜日 父が有給をとったらしいので 私と娘2人を連れて 母方の祖父のところに会いに行く予定だ 祖父のところへは 高速に乗って40〜50分ほど 下道だと1時間30分ほ…
5年 夫と結婚して5年経った 5年前は独身だった私 元号は平成だった とてももう思い出せない 結婚式の写真に写る私と スッピンでボサボサの髪の毛で 毎日子供を追いか…
昨晩 長女はなかなか寝付けなかったようだ 仕事から帰宅した夫が抱っこする 私は次女に添い寝していた そのうち、次女がぐずり始める 私は次女を抱き上げる まだ6kg…
中学2年生の秋 私は学校に行けなくなった そうなる少し前のことだ 給食を片付けようとする私に友人が もう食べないの? と言った 視線を落とすと そこには配膳され…
生まれてきてくれてありがとう よく聞く言葉だと思う しかし、出産を経てからでは その言葉の重みはまるで違うように思う 20歳の時 子宮内膜症だと診断された 幸い、投…
第2子を出産して初めに思ったことが このタイトルになっている 2人目を妊娠したとわかった時 娘に寂しい思いをさせることになるのではないか つわりが来たらどうやって世…
当たり前だが 私の娘は人間である 突然何を言い出すのかと思うだろうが これを考えると不思議なのだ つい2年前 この世に誕生した娘 泣く、飲む、寝る しかできなかった…
私は左利きだ 最近はさほど珍しくない 昔付き合っていた彼も左利きだったし 体育のバトミントンダブルスでは 全員が左利きだった、なんてこともある まあ、そんな話は置…
3月31日 娘は保育園を退園した 去年の4月に入園したので 通ったのはたったの1年だった しかし、1年前には 私から離れることすら考えられなかった娘が いつからか、私…
waka_note928
2024年8月11日 00:44
2024年7月30日 12:30
30歳になったまさか結婚して子供が2人いるなんて少し前の自分からは想像も出来なかった別に30歳になったからと言って特に何かが変わる訳ではないが夫が結婚式をした式場でのディナーをプレゼントしてくれたウエディングドレスを着て歩いた式場を娘を抱っこし手を繋いで歩いて少し初心に帰る母が亡くなった祖母が私が小学生の時にくれた手紙を見つけた何才の誕生日にもらったのか
2024年6月27日 01:14
父が還暦を迎えた父が30歳の時に産まれた私は来月30歳になる私と父は仲が良い方だと思う小さい時から何かと2人でデートしていたし高校生、大学生になってもご飯に行ったり共通の趣味である野球について話したり一緒に球場に行ったことも何度かある父は優しいが口下手で真面目な話や大事な話は基本的には母を通じてやり取りしていたし私が決めたことには賛成してくれるような人だったので父
2024年5月28日 22:56
次女が1歳になりハイハイしてつかまり立ちをしてなんとなくママと言えるようになったそんな成長は喜ばしくも少し寂しい不妊治療をしていた時はまさか自分が2児の母になれるなんて思っていなかった奇跡を2回も経験できて幸せだと思う我が家は3人目を作る予定はないので次女の成長は私の子育ての終わりを意味するもう、妊娠出産はもちろん首が座る前の抱っこ授乳の後のゲップテープ
2024年5月17日 03:36
我が家の次女が数日後に初めての誕生日を迎える1年前はというと長女の時は緊急帝王切開でわけのわからないまま手術になったので予定帝王切開で前日からの入院長女と初めて離れて眠る夜も明日、お腹を切るということも不安で怖くて仕方なかった記憶がある手術は朝の9時から自分で歩いて手術室に向かうのは結構勇気が必要だった痛いと聞いていた麻酔は思ったよりも痛くなかったが
2024年3月17日 01:44
祖父の夢を見た昨年末に亡くなった祖父はいつものようにリビングの緑色のソファーに座っていた一昨年の夏、心肺停止状態になり病院に運ばれた祖父は一命を取り留めそこから1年半生きた「おじいちゃんは1回死んだようなもんだ」と笑っていた夢の中で祖父に話しかける「おじいちゃんさあ1回死んで生き返ったんだからもう1回生き返っちゃえばいいじゃん」祖父は笑っていた「無理
2024年2月26日 01:41
突然だが私は感情があまり外に出ていないらしいだいたい冷静だね落ち着いてるねと言われることが多いし、なんなら冷たいねと言われることすらある高校の卒業式、クラスで泣いていなかった女の子は私だけだったいや、もちろん悲しかったのだでも、後から「わかちゃんだけ泣いてなかったけど嬉しかったの、、?」と言われたことがあった祖母が亡くなった時も私は泣かなかった薄情者だと
2023年12月25日 16:01
12月20日水曜日父が有給をとったらしいので私と娘2人を連れて母方の祖父のところに会いに行く予定だ祖父のところへは高速に乗って40〜50分ほど下道だと1時間30分ほどかかる最近ペーパードライバーを卒業した私はまだ自分の運転で向かうのは怖かったので父と4人で祖父に会いに行くのを楽しみにしていた祖父は昨年から体調を崩しており母や親族が一人暮らしの祖父の家へ定期的に訪れて
2023年12月13日 22:14
5年夫と結婚して5年経った5年前は独身だった私元号は平成だったとてももう思い出せない結婚式の写真に写る私とスッピンでボサボサの髪の毛で毎日子供を追いかけ回している私は外見も中身も別人である自分が1番だった好きな時間に寝て起きて好きなものを食べて好きな時に好きな人と過ごし自分のことだけを考えてものを買う子供が寝てからしか寝れない子供が起きたら起きなければ
2023年10月12日 00:29
昨晩長女はなかなか寝付けなかったようだ仕事から帰宅した夫が抱っこする私は次女に添い寝していたそのうち、次女がぐずり始める私は次女を抱き上げるまだ6kgほどしかない小さな小さな次女抱っこすると落ち着いたようですぐ眠りに落ちたそのすぐ近くで長女は夫の抱っこを拒否しポツンと座っていたどうしたの?寝れないの?と小声で話しかける長女は大きくてまん丸な目を
2023年8月6日 01:32
中学2年生の秋私は学校に行けなくなったそうなる少し前のことだ給食を片付けようとする私に友人がもう食べないの?と言った視線を落とすとそこには配膳された時とほとんど量が変わらないままの給食があったそこで初めてご飯が食べられなくなってると自覚したなので、いつからそうなっていたのか自分ではわからない自覚してしまってからはあっという間に具合が悪くなった夜、
2023年5月24日 22:04
生まれてきてくれてありがとうよく聞く言葉だと思うしかし、出産を経てからではその言葉の重みはまるで違うように思う20歳の時子宮内膜症だと診断された幸い、投薬によってほぼ完治したと言われたが24歳で結婚し、婦人科を受診したところ妊娠しにくい体だということがわかった詳しく言えば多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)というものだ様々な症状があるが、私の場合は生理周期が長い無排
2023年5月22日 01:24
第2子を出産して初めに思ったことがこのタイトルになっている2人目を妊娠したとわかった時娘に寂しい思いをさせることになるのではないかつわりが来たらどうやって世話をしようかいつまで抱っこしていられるのかと考えるのは今年3歳になる娘のことばかりだったもちろん、妊娠したことを後悔した訳では無いしかし、娘と過しながら仕事もこなし妊娠前と何も変わらない生活を送ることは思っていた
2023年5月10日 01:08
当たり前だが私の娘は人間である突然何を言い出すのかと思うだろうがこれを考えると不思議なのだつい2年前この世に誕生した娘泣く、飲む、寝るしかできなかった娘最近では自分の意思を伝えたり人の気持ちに寄り添う姿が見られるそう、この子にも感情があってなにか我慢していることがあって人を選んで甘えたり外に行きたいと訴えたりしているのだ子育てをしているとなにかとルーティ
2023年4月29日 22:47
私は左利きだ最近はさほど珍しくない昔付き合っていた彼も左利きだったし体育のバトミントンダブルスでは全員が左利きだった、なんてこともあるまあ、そんな話は置いておく左利きは遺伝するか、と言われたら確率は上がるけど遺伝するといい切れるような数字ではないらしい私の娘は、今のところ右利きのようだそんな娘は、最近私の口癖を真似したり同じような仕草を見せることがある頬杖をつ
2023年3月31日 19:48
3月31日娘は保育園を退園した去年の4月に入園したので通ったのはたったの1年だったしかし、1年前には私から離れることすら考えられなかった娘がいつからか、私の手を自分で離して教室に入るようになっていた「ママ」しか言えなかった娘がたくさんおしゃべりするようになった入園するときは引きずるようにして持っていたリュックも今では軽々と持って見せる自分でご飯が食べられるようにな