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クリスマスの祈り

12月20日水曜日

父が有給をとったらしいので
私と娘2人を連れて
母方の祖父のところに会いに行く予定だ

祖父のところへは
高速に乗って40〜50分ほど
下道だと1時間30分ほどかかる

最近ペーパードライバーを卒業した私は
まだ自分の運転で向かうのは怖かったので
父と4人で祖父に会いに行くのを楽しみにしていた

祖父は昨年から体調を崩しており
母や親族が一人暮らしの祖父の家へ
定期的に訪れて様子を見ていた

さて、
祖父に会うのだからと
前日に一眼のバッテリーを充電していたのだ

満タンになったバッテリーをカメラに装着し
リュックに入れる

子供たちには可愛い洋服を着せ

あとは父が迎えに来るのを待つだけである

父から電話が来た

祖父が亡くなったという知らせだった

え?

という言葉しか出なかった

元々病院に行く予定だったのだが
その道中、母の姉の車の中で
突然亡くなったらしい

とりあえず父だけが祖父の家に向かうとのことだ
母は既に向かっていたらしい

こういう時
案外人は冷静なものだ

夫、母、姉と連絡を取る

祖父の家の近くで働く夫は
仕事を切りあげ
誰よりも早く祖父の元へ向かってくれた

姉家族と合流し
先導してもらいながら
私は娘たちを連れて
自分の運転で
祖父の家へ向かう

こんなことになるなら
運転が怖いなんて言わず
祖父の家へ行けばよかったと
何度も頭をよぎる

同時に
祖父との思い出も蘇る

祖父は、祖母を10年以上前に亡くし
一人暮らしをしていた

昔ながらの男性でありながら
ご飯を作って来客に振舞ったり
自分で洗濯をしたりしたし

毎日早朝に打ちっぱなしに行き
北海道や静岡までラウンドに行くほどアクティブで
友達も多く
祖父の家に遊びに行けば
必ず誰か遊びに来ていたり
祖父が遊びに行っていたり

なんというか、抽象的だが

祖父は大丈夫

という気持ちがずっとあった


頭ではわかっていた

昨年入院してから
もうずっと体調が悪く
いつどうなってもおかしくなかったことも
次は元気に会える保証はなかったことも
祖父の命がもう長くなかったことも

信じたくなかっただけだ

祖父の葬儀が終わった12月24日

世間はクリスマスイブだった

葬儀が終わり、コンビニに寄る

そうか
今日はクリスマスイブかと思い出す

コンビニの照明が眩しくて
真っ黒の服を着た自分が
別世界から来たようなミスマッチさだった


おじいちゃん

小さい頃は苦手だった
訛りは強くて何を言っているのか分からないし
接し方は荒いし
おじいちゃんの家に行くのが嫌だった時期もある

しかし、年齢を重ねるごとに
祖父の私を見る目が優しいこと
帰り際、車の窓から手を出して握手する手が温かくて心地よいことに気づく

1番下の孫である私を
いつも心配し
果物を送ってきたり
会いに行けば美味しいご飯を食べさせてくれた
突然電話を寄越しては
「元気か?」くらいしか話さず
いつも30秒ほどで突然ブツっと切られる
もっと話したいのにといつも思っていた
かけ直してもっと話せば良かった

娘たちが生まれてから
娘が祖父を怖がる姿を見て
私もこうだったなと思い出した
祖父が娘たちと接する姿を見て
私もこんなふうに可愛がってもらっていたんだと気付く

会いに行こうとしていた日に亡くならなくてもいいじゃん

あと数時間だったよ

せめて会いたかった

最後に会った日
カメラを忘れて来た私に
次は持って来いっておじいちゃんが言うから
充電してリュックに詰めてたんだよ

結婚式来てもらえたしとか
ひ孫見せられたしとか
いくら良い方に考えたって
やっぱりもっとおじいちゃんと話したかった

でも
10年以上、おばあちゃんと離れていて
寂しかったよね
おばあちゃんが亡くなってから
どうやって生きていけば良いのか分からないと言っていたおじいちゃん

今頃、会えただろうか


孫がみんな結婚して
ひ孫がこんなに増えたんだぞーとか

おばあちゃんに得意げに教えていたりするのだろうか

駆け抜けるような人生を送ってきたおじいちゃん

どうか
おばあちゃんとゆったりした時間を過ごせていたら、と

祈るクリスマスを過ごしている

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