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生まれてきてくれて

生まれてきてくれてありがとう

よく聞く言葉だと思う


しかし、出産を経てからでは
その言葉の重みはまるで違うように思う

20歳の時
子宮内膜症だと診断された

幸い、投薬によってほぼ完治したと言われたが
24歳で結婚し、婦人科を受診したところ
妊娠しにくい体だということがわかった

詳しく言えば
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)というものだ

様々な症状があるが、私の場合は
生理周期が長い
無排卵月経(基礎体温を付けても高温期にならないことが多い)
というのが主な症状だった

多嚢胞性卵巣症候群は
妊娠しにくい、というだけで
妊娠できないわけではない

薬を使って排卵を誘発したり
定期的に通院してタイミングを指導してもらえば
十分に妊娠は可能である

とは言いつつ、自分事になると不安である
いわゆる普通の人よりは
妊娠しにくいわけであって
生理周期が長いということは
妊娠するチャンスが少ないということだ

これを機に、私は不妊治療専門のクリニックに通うことにした

そして、更に詳しく検査をしてみると
AMHという値が低いことがわかった

AMHとは卵巣内に残っている卵子の数を示す
それが低いということは
私の卵子は少ない、という事だ

数字だけ見れば、私のAMH値は
30代後半の平均程度しかなかった

つまり、妊娠できる体である時間が
私にはあまり残されていないということがわかったのだ

ひとつひとつはそこまで大きな問題ではなくても
検査をする度になにか良くないことが見つかる、ということが繰り返された

加えて、初めて排卵誘発を行い
結局無排卵になってしまうなど

私の妊活のスタートは
全く良い思い出がない

この時、私は25歳になっていた


まだまだ若いだろう


と言われることが多い年齢だが
私の卵巣は30代後半なのである

30歳までに妊娠できなかったら離婚しよう、と
夫に切り出した

夫が大丈夫だと言ってくれても

私のせいで夫は子供ができなかった
という事実を背負ったまま生活することは
私には耐えられないと思ったからだ

月に何度も通院し
毎朝基礎体温を測り
薬を飲み注射を打ち
食生活もできるだけ気をつけた

それでも毎月
当てつけのように来る生理に落ち込んだ

妊娠できたと喜んだのもつかの間

妊娠したからとはいえ
無事に出産するまでは油断出来ない

妊娠何週目になると流産のリスクが減る
とか
ここまで来たらもし生まれても何%かは生きられる
とか
推定体重が何gになれば安心だ
とか
そういう壁がいくつもある

小さなゴールとスタートの繰り返しだった

ここまで
だいぶネガティブなことを書いたが

今、生まれてまだ数日の第二子を腕に抱きながら思うことは
そういった辛かったことは
我が子を見ると
この子のためならもう一度やれと言われても出来てしまうだろうということだ

たくさんの困難を
私と一緒に乗り越えてくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう

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