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浜辺でいろいろと拾った。

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雨晴海岸の宵 節目のない十年目

雨晴海岸の宵 節目のない十年目



 2011年秋、雨上がりの雨晴海岸の夕暮れ。

 車が一台も停まっていない海岸駐車場は、太陽の照り返しを受けて輝いていた。

 日本人にしては脚が不調和に長い本庄さんの背を追いながら、私は寿司屋に向かって足早に歩いていた。本庄さんは時々、そのゴルフ焼けした顔にて振り返り、私が付いてきていることを確認していた。

 その寿司屋は、注意しながら探さないと民家と間違えるような外見の建物であった。

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フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても    心は帰りたいと願い続ける       奪われたふるさとの記憶

フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても    心は帰りたいと願い続ける       奪われたふるさとの記憶

前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告を書いた。

中里さんが生まれ育った家は、福島第一原発から西に5キロ(道路沿い。直線距離で3キロ)にある。噴き出した放射性物質の雲(プルーム)の直撃を浴び、10年後の現在も立ち入りが禁止されている。いやそれどころか、双葉町全体が人口ゼロの無人地帯である。

 2021年8月13日に撮影した冒頭の写真でもわかる

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フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

 福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。

 福島第一原発が立地する双葉町の北隣に「浪江町」という街がある。そこの中心部に「サンプラザ」というショッピングセンターがあった。福島第一原発から8キロほどの距離だ。

 中里さんはその総務部長だった。

下は同社ホームページから。

 サンプラザがある浪江町中心部の強制避難が解除され、中に入れるようになったのは、201

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食えない音楽家。五枚の源泉徴収票の先の、体当たりの自由まで。

食えない音楽家。五枚の源泉徴収票の先の、体当たりの自由まで。

わたしの机には、5つの会社から届いた源泉徴収票が揺らめいていた。

さて、さて。

これは昨年、5つの会社で働かせてもらっていたという事を意味している。当たり前だけれど。(※これは2016年初頭の執筆記事。)

週7日なにかしら働いて、夜は演奏して、

帰宅するとレッスンの準備をして、

ひと月10万円程度。

「前田サンって何が趣味なのー?」

「音楽をやっています」

「あら、食べられないから

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