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『個人の利益vs社会の利益の闘争の仲裁』正しく生き、政治参加する国民はどのようにしたら生まれるのか?

🔶今回の目的は『人間はどうやったら善(社会的に有用)に振る舞うようになる』のかに対し『内的な秩序化=内発的な規範獲得』について考えます。

・『外的な秩序化』(パワーゲームによる外発的な秩序化)は別に書きます。


✅[前提の進化心理学的視点]

人間の肉体は狩猟採取時代用に作られており、現代社会用の肉体ではない。
日本に稲作の技術が伝わったのは約3,000年前の極最近で、従って定住性がある中規模な社会の経験が約3,000年前、現代の高度かつ大規模な社会なんて数百年しかやっていない。

・人類は600万年、ずっと定住生活でもない狩猟採集生活だった
・進化的ミスマッチな肉体で現代社会を生きている。
(逆にミスマッチな肉体でこれほど対応できてる人間ってすごいですね笑)

✅[現代社会と肉体のミスマッチ]

人間の問題は狩猟採取時代の肉体で、現代社会を暮らしていることから引き起こされる。
現代の問題という問題ほぼ全ては、この肉体のミスマッチによって引き起こされていると言っていい。 
・現代社会に肉体が適していない、肉体は短期的な利益や身の回りのことだけを考えるように作られおり、そこから進化が追いついていない。
(もし現代社会にピッタリな肉体なら問題が起きないでしょうからね)

⇒つまり肉体を無視して「こういう社会にしたい」と理性で制度(システム)構築した結果、
肉体にそぐわない社会になり「肉体が反発」するので個人は不幸になり社会システムも上手く機能しない。
・身体性の無視

✅『個人の利益vs社会の利益の闘争』

本来的に「狩猟採取用=私利私欲また自分の身の回りのためにだけ」に作られた肉体なので、
現代社会に要求される善や正しさ、知らない他者のための社会性、知らない他者のための政治活動は『不自然な行動』である。
・非社会的な、私利私欲の行動は個人の立場からすれば自然で当たり前のこと。

そりゃ問題が多発する。
個人が社会から要求される、社会的な正しさ(善や正しさ、知らない他者のための社会性)は、
肉体にそぐわない「不自然な行動」であり、自己を潰し無理をする行動であるのだから、上手く行かないのは当たり前である。

🔶「私利私欲また自分の身の回りのためにだけ」に作られた肉体vs社会のための利益、社会的な正しさや善
⇒人間社会の諸問題はこの『個人の利益vs社会の利益の闘争』によって引き起こされている。

〇従って個人の利益と社会の利益の一致(妥協点や調和)をさせなければ、
 人間(個人の肉体)が作る社会(全体)の秩序を保つことができない。

※強権により個人を潰せば秩序化は可能だがそんなの皆嫌でしょうから、
個人の利益や自由と社会の利益両者をバランスさせるにはということで
自由主義や民主主義、平和的手段を尊重した形で社会を秩序化する方法を探します。

✅[目指すべき社会側からの要求のレベル]

先ずどれくらい国民の社会性のレベル(社会的な国民を望むのか)想定します。
高望みはしません今回目指す国民の社会性のレベルは
『長期的な視野を持ち、自分で学び良識を持ち、最低限政治にちゃんと参加してくれる』国民を目指します。

これが最低限の社会側からの要求(社会側の利益)であり、ここをクリアしないと国家が崩壊してしまうので、この最低限ラインのクリアを目指します。

🔶予備知識〈歴史的な哲学や権力者の失敗〉

哲学者やお偉方は100点(つまり社会側の全要求を国民に押し付けること)を目指して歴史的に失敗してきました。
 
そりゃそうですよね、100点の国民=社会のために生きる国民を作る=奴隷ですから、個人性を無視していますし
肉体に対し不自然極まりない行動を要求するので反発がでます。上手く行くわけありません。

⇒「社会のために正しくいきろ(/・ω・)/」という要求は個人の利益を無視し、人間という生物を理解しない社会側の要求の押し付けであり、
それで「なんで皆正しく行動しないんだ!(´;ω;`)」とスネているのが現代までの歴史です(笑)

・哲学や倫理は「○○がこんなに正しいんだ!だから守るのが正義なんだ!」と頑張って国民に押し付けましたが、
人間の肉体や個人の利益を無視して、社会の利益を押し付けているので反発が起きるのは自明。

🔸今回目指すのは赤点(社会崩壊)回避です、先ずは30点を目指します。(100点を目指して歴史的に失敗してきましたからね)
社会側の要求を我慢してもらうとしても30点分だけ、そしてなるべく我慢させない自然な形で、国民自らの内発性で30点取ることを目指します。

✅《人間の自然な形で正しい行動、政治参加、秩序化》

「社会的な行動をする」ということは基本的に短期の自己利益を損失する。人間が短期の自己利益に逆らって行動するのは不自然であり難しい。
元々長期的な視野を持って政治参加という行為が肉体的に不自然な行動。

更に政治腐敗で国民は精神状態的に「主観として助けられたことないし、政治には虐められるし(´;ω;`)」状態で社会に支えられている感覚を持てない。
・現在国民は社会に虐待されて『敵意の返報性(敵意を向けられると敵意で返したくなる心理)』がバリバリに働いている状態。

このような環境により⇒社会を守る必要性を感じない(感覚がない)=政治に無関心になるのは当然。
・国家が何もしないどころか苦しめている状況で、国民の恩返しに期待はできない。自己中の人間が増えるのは自然なこと。
従って別の手段が必要。

🔶《精神論vs物質的条件》

国家が何もしていないどころか虐待している状態で、更に不自然な行動である政治参加を、恩返しは義務だと言って国民に要求するのは、無理があるどころか『不道徳な要求』であり、
何より自然じゃない人間の肉体の構造に反したことは長続きしない。
・つま先立ちで立ち続けることができないように、不自然はいつか無理がでて失敗する。
⇒自らやりたいと願い、ポジティブな感情で内発的な『利己心』でやれるようにならないと続かない

🔸厳しいことを言えば精神論で「みんなで意識を変えよう、正しいことをしよう」と永遠に言い続けるだけでは世の中良くはならない。
・正論は良識を持った人を動かすために作られたモノである。
・間違いを正せるのは、正そうという気がある人だけ。

確かにマックス・ヴェーバーの言うように精神から行動に動く場合もあるが『現状日本国民に政治を変えようという精神がない』のでこれは当てはまらない。
※どちらの要素も人間の行動に影響するが今回の条件では物質的条件が有効である。

政治を変えるには投票率50%では25%の国民の意識が変わる必要がある、現状意識が変わっている国民は推定3%程度であることから、今までの正しいことを言う精神論的やり方ではどうにもならないことを証明している。

⇒つまり今政治に関心がない国民には『政治に関心が出るような物質的諸条件(環境的諸条件)の変化が必要』
・現状の日本国民の状態では、環境が変化が起こらないと意識が変わることは無い。

※戦争や経済不況など外的要因によって環境が変化し国民の意識が変わることもあるが、それは『運』であり、どうにも操作できない(受動的なこと)なので、能動的に行動できることで『政治参加してもらうためにはどのような環境が必要か?』を模索する。

✅[今回の理論/実践編]

🔸ある国民において理論が実現されるのは、その理論が国民の欲求を実現している場合である。
・人間の肉体に自然にするにはなるべく自己利益=社会的利益になるような構造でなければならない。
・彼らに正しく生きたり、政治参加すると自己利益があると思わせる状況が必要。
・政治活動=自己利益(メリット、ポジティブなこと)でないと行動に移らない。

🔶[①個人と社会の利益を一致させることによる自然な秩序化]

〈社会的に正しいの定義〉
・正しく生きる=社会的に有用に生きると定義できるなら
個人が利己的に行動した結果、結果的に正しく生きている状況=個人の利益と社会の利益が重なる状況(構造)を作る。
・結果的な行動が社会に有用=個人の行動が社会的に正しい,秩序がある状態
・正しい人間にさせるという従来の哲学や倫理の考え方(精神論)ではなく、利己的に生きたら結果的に社会に有用で正しかったを目指す。

私利私欲に動く肉体の性質を変えられない問題(しょうがないこと)と理解した上で、
利己的(理性的)な選択で、社会的に有用な目的が選ばれ行動するなら
「社会的に有用=善」であるので結果的に秩序があり、正しく生きていると言える。

🔶[②個人が社会的に有用な目的をもつ『きっかけ』]

民主主義社会で秩序を生むには、個人が社会的に有用(正しい)な行動をしてもらう必要がある。
そのために、個人に社会的に有用な行動をするための、『目的意識』を持ってもらう必要がある。
→その目的意識を生むには『きっかけ』(環境の変化)が必要になる。
 その一つのきっかけとして「家族」を例にして説明する。

※「家族」を例にしたのは考え方の説明に適切だからであり、別の「きっかけ」でもいいと思います。

家族を守るなどの『個人的な手触りのある=利己的な目的意識』からの有用性(利益)で、例えば家族を支えている社会や文化を守る必要性を、
有用性(利益)として見出してもらえば=社会的有用な行動(正しい)に繋がる。(利己的な自分の家族のための社会を守るという行動が、結果的に社会を守っている)
 
「家族を守る」という目的意識を与えることで「家族を支えている社会を守る」必要性を強制的に与え、
社会を守ること=しっくりくる(感覚的にも理解できる)自己利益と一致した状態にする。

※絶対に家族を守るでなければならないという訳ではなく①政策として可能である②実現可能性があり③手触り感がある個人的目的の範囲から考えると、家族政策がとりあえずベターだと考える。

・他の友人のために生きるや、正義のために生きたい、弱者救済に生きる、ニーチェ主義や宗教などの「それぞれの目的」を否定したり悪いというわけじゃなく、一般的な国民には「手触り感がなく」難しいと判断した。


🔶補足説明:なぜ目的意識として家族を選んだか:利点①②③

①思考をする必要性を与えれる+行動理由にもなる+ポリコレ的に強い。
〈意識的な思考が始まるには〉
劣等状態に気付いた時、無意識に「立ち止まりが発生」し、状況を優位状態に変えるために思考が始まる。
例:不快(劣等状態)→快(優位状態)に
  弱い(劣等状態)を→強い(優位状態)に 
・逆説的に「劣等状態に気づかせないと」思考が始まらないことが分かる。

〈思考するには「思考する必要性」キッカケが必要〉
「これはマズいな(劣等状態)」と必要性を感じないと思考が始まらない。
・現実の劣等状態(現実のヤバい状態)を精神で劣等状態(ヤバいと思って)を感じ「立ち止まり」を発生させないと意識的な思考が発生しない。

家族などの大切なものを持つことによって、無くさないようにする危機意識を高め、「これはマズいな(劣等状態)=感情的きっかけ」を感じやすくする。
→自己の危機意識の範囲を広げる(守るべき範囲を増やす)ことで思考しやすい(思考する必要性を感じやすい)状態にする。

🔸真剣になれる守りたいものがあるから、それを無くさないために自分の行動や考えを自己反省する(損失回避バイアス)。
大切なものが無い人は考えたり勉強なんかする必要がないからしない。
必要がない人は本や知識をどれだけ渡しても学ばない。
・劣等状況に気づいてない場合(思考してない人に)いくら知識を与えても思考しない。

学ばないし情報も入れないから危険に気づかない。失敗をしないよう思慮深く行動することもなく私利私欲に生き。
理由もなく大変な政治参加などの行動はしない。
・無くしたくない大切なものが損失回避バイアスから思考する人間を作る。

〈行動理由になりやすい〉
理論で決定はできない感情で決定する。(こっちの理論の方が正しいと最終的に価値判断を下すのは感情の機能)
従って、人間の行動を最終的に決定するのは感情であり、強い感情がないと政治参加(行動)してくれない。

どれだけ理屈(正しさ)を教えても感情がないと行動に繋がらない。
→従って出来る限り人間が強い感情を抱く対象であることが相応しい。
・「家族のためなら」という感情が行動を決定し人を動かす。

②目的からの有用性で社会を必要とする目的の方が相応しい。
「家族を守るという目的」を達成するには、家族を支えている社会や文化を守る必要性(有用性)が出る=社会的な行動や政治参加する理由になりやすい。
・共同体の支えを必要するので共同体の必要性を意識しやすい。

③一般的に可能である。マジョリティができることであるのが相応しい。
・正義のために生きる、規範のために生きるなどはマジョリティには難しい。

✅[まとめ]

①私達の体はほぼ狩猟採集生活用にできている。

②身体性を無視して社会構築しすぎ、つま先立ちは続かない→だからなるべく肉体にそった自然な形へ

③、①②を考慮して個人の利益と社会の利益が一致する形へ

④精神論では難しく物質的条件、環境の変化がなければ国民は動かないことが分かった。

⑤個人と社会の利益を一致させることによる自然な秩序化をするためには、なにかしら環境の変化による「きっかけ」が必要である。

今回は、理論というより考え方の視点になればいいなと思います。
人間を動かすにはどのようなことが必要なのか、その一つの視点としての『内的な秩序化=内発的な規範獲得』(内発的に秩序を持ってもらう方法)の考え方として使ってほしいです。

🔸人間は合理的な存在ではなく、いつだって感情、本能、衝動に突き動かされ自分の行動を正当化するために合理性を装っている。
・だから人間が深く関わる経済学や社会学などは、決して合理的な学問であってはいけない
社会学としての正しさは絶対的真理ではなくその有用性である。つまり有用だと思うとこだけ使ってください

この理論は粗削りですが、日本社会、国家がどのような方向に向かって進むことが個人を尊重しながら社会も尊重しすることなるのか、
『個人の利益vs社会の利益の闘争』の仲裁のために、どうやれば個人を内発的に主体的に秩序化できるのか、考えるのに役に立つと思ったので書きました。
リベラルと保守の『現実的な妥協点としての目標』としても使える思います。

🔸最初に書きましたが『外的な秩序化』(パワーゲームによる外発的な秩序化)は別に書きます。
内発的にしてもらうだけでは社会は回りませんからね、残酷なパワーゲームも必要とします。
・「内的な秩序化」は中~長期用の国家戦略であるので、短期~長期で実践できる「外的な秩序化」も早めに書きます。
両方必要であり、今回はその片方である「内発的な部分」の考え方と捉えてください。(この理論が正しいではなく、あくまで考え方)

🔶今回のは国家の中~長期的な方向性のことなので実践活用しにくいと思います。
短期的にどうやれば政治参加してもらえるのか、人の動かし方や心理や社会構造分析など別の記事もありますのでどうぞ。

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