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みちをあるく「旅行記」

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みちをあるく。 旅をしたい方へ、自分の足で歩きたい方へ。
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伊豆大島「文月は雨雲の中」

伊豆大島「文月は雨雲の中」

昨年の盆、瀬戸内海の小島、小豆島を訪れた。極めて無計画で発作的な旅だったが、未だにあの夏、足の裏を焼いたアスファルトや、じっとりとした静かな夜の海の匂いが心に染み付いて、旅に出ろ、今すぐ出ろ、と囁く。あの旅を終えて以降、声に耳を貸すといつのまにか、手の中に船や鉄道の切符が握りしめられていることが増えた。
私にとって旅の悪魔は、小さな島の砂浜を、独り歩く姿で現れる。彼はしばらく歩いて立ち止まり、サン

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秩父「春を追う 夏は迫っている」

秩父「春を追う 夏は迫っている」

 2021年のゴールデンウィーク、始まりから呑んでばかりいた。切れ目なく古い友人と会う機会があり、人熱に浮かされた夜が続いた。人と酒を交わすのは嫌いではないが、ふっと終バスを待つ街灯に、堪え切れない寂しさを感じることがある。
後半はぶらりと外に出ると決めていた。冬の終わりと春の陽気と夏の匂いが入り混じった土の匂いはどんなだろうか。
私の住む西武池袋線は、良い路線だ。海は遠いが、毎日揺られる路線の終

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奥多摩「夏は過ぎ去って」

奥多摩「夏は過ぎ去って」

 連休の中日、何もやる事がない。そこそこ遠くて、でも近い秩父の山でも見に行こうかとbooking.comを開いた。一件だけヒットした宿を調べると、奥多摩と書いてある。行った事がない場所に、急に気持ちが高まった。リュックサックに雨具とノート、着替えを放り込んで、翌日最寄り駅前からバスに飛び乗った。

今年の夏は随分暑かった。大阪にいたから東京は知らないが、短く、そして叩きつける様だった日射はもうない

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欧州旅行記⓫「東京 故郷」

欧州旅行記⓫「東京 故郷」

 2月、羽田から鎖を引きちぎる様に感じた離陸の快感は、3月、感じる間もなくいつのまにか空の上だった。マルペンサを飛び立ち、コペンハーゲンを経由し、私が鉄道で移動した距離の何倍もを、飛行機はあっと言う間に飛び越す。思えば持っていたのは、羽田-シャルルドゴール、マルペンサ-羽田の二枚のチケットと、一綴りのユーレイルパス・ブックだけだった。逃避行の様に足早な出立は、故郷を求める帰還で幕を下ろす。その間に

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欧州旅行記❿「あなたのミラノ」

欧州旅行記❿「あなたのミラノ」

 タラップを踏みホームへ降りると、薄汚れた駅舎は耳慣れぬ軽快な言葉で溢れている。いつものことだ。エスカレーターはない、長い登り階段に溜め息をついて、これもいつものように、重たいトランクと登り始めると、後ろから伸びる毛むくじゃらの腕が見えた。泥棒かと思って振り返ると、丸顔の男が、人懐こくウインクをして見せた。彼はそのまま、トランクのハンドルを握り、階段を登りきると、あたふたと礼を言う私に、またウイン

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欧州旅行記❾「チューリヒ、日々」

欧州旅行記❾「チューリヒ、日々」

 オーストリアを抜けた鉄道は、更に高度を上げる。電車の音だけが、ゆっくりと響いた。眠った頭を少し起こして、車窓を眺めて背筋が凍った。一面に澄んだ湖面が広がり、湖畔の森と灰色がかった霧を鮮明に映し出して、一瞬巨大な穴が、どこまでもどこまでも落ちていく様に見えた。
あの時感じた恐怖は、一体何だったのだろう。転落の恐怖、海外への恐怖。そんな当たり前の恐ろしさを半分に、説明の難しい、憧れへの恐怖があった。

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欧州旅行記❽「グラッィエ、グラーツ」

欧州旅行記❽「グラッィエ、グラーツ」

 ポーランド、チェコを抜けると、徐々に、冬から初春に向かう様に暖かくなり始めた。南に向かっているのだ。旅の間ほとんど晴天と言えるほどの晴れ間を見せなかった欧州の空も、心無しか青い様に感じる。それでもグラーツに到着した晩は、寒い雨が降っていた。

 その夜、cagatayという男が泊めてくれる。なんと読むのだろうか。彼は音楽の教員らしかった。彼の家のチャイムを鳴らすと、ゆっくりと写真通りの髭面の男が

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欧州旅行記❼「暗くクラクフ」

欧州旅行記❼「暗くクラクフ」

 クラクフ、そしてその西にオシフィエンツィム。耳慣れないポーランドの都市を、独語の名にした瞬間誰もが思い出す。アウシュヴィッツ。クラクフは暗く、寄る辺が無かった。

 プラハからおよそ半日高速鉄道に揺られ、カトヴィツエという街で乗り換える。クラクフの街に辿り着いたのは、既にとっぷりと暮れた夜だった。街灯の少ない夜の街には私が曳くトランクの音だけ響き、心底寂しげだった。唯一、朧に滲むカメラ屋の小さな

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欧州旅行記❻「はなうた プラハ」

欧州旅行記❻「はなうた プラハ」

 広大な蚤の市の、いつ終わるともしれぬ網の目の様な露天の小径で、がらくたを物色していると、鼻歌を歌いながらナイフを磨く店主らしき親父が声をかけてきた。

何を探してる?
いや、別に何を、って訳じゃないんだけど…
ふぅん。プラハには観光できたのか?それとも住んでるの?
観光です、ヨーロッパをぐるっと回ってます
お前学生だよな 日本人だろう 何を勉強してるんだい?
説明に困るんだよな、リベラルアーツ、

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欧州旅行記❺「ベルリン 鐘が鳴り」

欧州旅行記❺「ベルリン 鐘が鳴り」

 ベルリン行きの夜行電車は、乗車時刻になっても、一向に到着しない。一緒に待っていた女の子の似顔絵を描いて喜んでもらったりしていたが、結局その日、電車はこないままだった。何故遅れたのかオランダ語の説明に訳もわからぬまま、鉄道が用意したホテルにチェックインしたのは夜中の2時過ぎ、久しぶりの広々としたベッドは、非常識な4時のチェックアウトを寝過ごすのが怖くて使えず、最後の最後まで治りの悪いオランダなのだ

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欧州旅行記❹「アイ・アムステルダム」

欧州旅行記❹「アイ・アムステルダム」

 アムス・セントラル駅を出ると、街はむっとした潮風と、かもめの糞の臭いに満ちていた。たくさんの行き交う自転車は、見たこともない大きなカーゴやベビーカーを連結したものも多い。人々は垢抜けた格好で、確かにここが、世界で最も自由な街なのだと感じさせるのに足る雰囲気があった。
合法大麻と飾り窓は、街の名を落としている、と感じる人もいるだろうが、つまりは選択の自由を広げているだけに過ぎない。選ぶも選ばないも

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欧州旅行記❸「パズル・リドル・ブリュッセル」

欧州旅行記❸「パズル・リドル・ブリュッセル」

 フランスから電車は走り始め、ゆっくりと牧草地帯や森を抜ける。景色が変わるのと同じ様に、耳に入る言葉も変わっていく。例えば車内アナウンスや、シートの端々で交わされる言葉は、心做しかゆっくりと、聞き取りやすいものに変わった気がした。ベルギーは、上をオランダ、下をフランスに挟まれた、母国語が無い国だと、事前に読んだ本で知っていた。文化や習慣が、溶けて混ざり合う地。目に見えるはずもない国境を探しながら、

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欧州旅行記❷「パリはやっぱり」

欧州旅行記❷「パリはやっぱり」

 ヨーロッパと聞いて、大勢の人々が思い浮かべる街の一つは、間違いなくパリだろう。名だたる美術館を古都のあちこちに並べ、石畳に青い目、白い肌の美男美女が踵を鳴らすその街は美しい。だがしかし、私が迎えたパリの初夜は、唯ならぬ焦燥と疲労に塗れた、苦い記憶から始まる。
シャルル・ド・ゴール空港に飛行機が着いたのは、予定の時刻をとうに過ぎた夜半だった。その夜私は、民泊サイトで知り合ったベンという男の家に泊ま

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欧州旅行記❶「東京 逃避行」

欧州旅行記❶「東京 逃避行」

 ヨーロッパに行こう。そう決めて、ついに2014年の冬、思えば高かった東京-パリ、ミラノ-東京の旅券を買ったのは、つまるところ一枚のポスターに心を動かされたからに過ぎない。山手線かどこかに貼られていたそのポスターは、大きくパリ、ガルドゥノルを写していた。ガル(駅)ドゥ(の)ノル(北)。アーチ状に聳え立つ駅舎に、朝日が差し込むそのワンカットは、なぜか今でも、心を離さない。北の駅は美しかった。どうして

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