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欧州旅行記❶「東京 逃避行」

 ヨーロッパに行こう。そう決めて、ついに2014年の冬、思えば高かった東京-パリ、ミラノ-東京の旅券を買ったのは、つまるところ一枚のポスターに心を動かされたからに過ぎない。山手線かどこかに貼られていたそのポスターは、大きくパリ、ガルドゥノルを写していた。ガル(駅)ドゥ(の)ノル(北)。アーチ状に聳え立つ駅舎に、朝日が差し込むそのワンカットは、なぜか今でも、心を離さない。北の駅は美しかった。どうしても見たくなった。
東京の出立は逃避行の様だった。両親からは徹底して反対を受けた。理由もなしに行くな、勉強も終わっていないのに。その頃、原宿の工房に通って、靴作りに励んでいた。余計なことに時間を使うのは心が痛んだが、それでも止まろうとは思わなかった。近所の古道具屋で、サムソナイトのオイスターという、重くて使いにくいトランクを買い、がらがら運んだのを覚えている。

 出立は、ひどい災難続きだった。原因となったのは数日続いた大雪で、まずユーレイルパス、青春18切符の様なものがフライトの朝まで届かない。さらになぜか銀行から引き下ろした旅行資金が見つからず、部屋中をかき回して探したが、結局泣く泣く諦めざる負えなかった。再度かき集めた資金は、最初の半分にもならなかった。ユーレイルパスを受け取りに、フライトの朝、ヤマトの配送所へタクシーで向かい、車内で携帯まで落としたことに気付いたのは、羽田行きの電車の中だった。
電車の中で泣き崩れたくなったのを、よく覚えている。もうどうにでもなれ、と自棄っぱちの私は、ぼんやりと、京急に揺られていた。

 出立を腐したのが大雪なら、再出発の機会を与えてくれたのも大雪だった。羽田に着くと、フライトは完全に停止している。カウンターには長蛇の列が出来ていた。受付の女性から明日のパリ直航便を、と言われた時初めて、助かったことを実感した。その足で帰り、タクシーから携帯を受け取り、荷物をまとめ直した。金は見つからなかったが、緩んだ気持ちに喝を入れる様な、そんな出来事だった様にも思う。
旅をすることに、スリルばかり求める人もいる。予定を立てず、危ないことに首を突っ込み、自国で叶えられない体験を探す。私も予定を立てたことはないが、旅自体は穏便なもので構わない。当たり前の現地の暮らしを、静かに見たいだけだ。ただしそれは、彼らにとって当たり前でも、私にとっては当たり前ではない。あの時、弛緩したゴムの様な気持ちだった私に、あの災難続きの出立は幸運だった。あれがあったから、死なずに済んだんじゃないかと、本気で思ったりもする。

 飛行機が走り始め、ふっと滑走路から浮き上がり、急上昇する瞬間が好きだ。あの瞬間だけ、国内のしがらみや言葉や、習慣から解き放たれた様に感じる、ジェットエンジンの轟音の中で、いつもイヤホンで聴くのは、クラムボンの「ララバイサラバイ」だ。

"ひとりでいかなきゃだめなんだ
ひとりにならなきゃだめなんだ"

"もういくよ ここまでこれたんだ
もういくよ ここからどこまでも"

"君の町がね 遠く遠くなってく
ここで会えたのも ありがとう"

 東京、逃避行。2014年2月10日。
#旅行記 #ヨーロッパ

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