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欧州旅行記❻「はなうた プラハ」

 広大な蚤の市の、いつ終わるともしれぬ網の目の様な露天の小径で、がらくたを物色していると、鼻歌を歌いながらナイフを磨く店主らしき親父が声をかけてきた。

何を探してる?
いや、別に何を、って訳じゃないんだけど…
ふぅん。プラハには観光できたのか?それとも住んでるの?
観光です、ヨーロッパをぐるっと回ってます
お前学生だよな 日本人だろう 何を勉強してるんだい?
説明に困るんだよな、リベラルアーツ、って言うんですけど…
知ってるよ、俺はなんでも知ってる なんでもやるってことだろう?専攻はあるのかい?
それが無くって、困ってるんです
いけないね、全然駄目だ 今しか見てないんだろ?そんな生き方が一番駄目だ
そうかな、いつ死ぬかも分からないのに?
ああ、だってそれじゃ、動物と変わらない 寝て食って、殺されない様に気を付けてるだけ 将来なんか考えずにね お前は動物と一緒なのかい?
一日一日、最上に生きてるだけじゃ、駄目ってこと?
そんな生き方じゃ、責任が持ててない お前は、結婚して、子供作って、自分の生き方を設計しながら、子供の生き方も設計しなきゃ駄目なんだよ それが責任、ってもんだ
うーん、なるほど
お前分かってるか?5年後の事をデザインしながら生きなきゃ、駄目なんだよ
うーん、そうだね
分かってる?
うん…
頑張りなさいよ、お前の最善を尽くせ。デクイ、さようなら
うん、デクイ、さよなら

彼の言うことは、今でも分かったのか分かってないのか分からない。英語とチェコ語と、驚いた事に下手くそな日本語まで操り、確かに私の過去も現在も未来も、見通していそうな凄味があった。親父の歌う鼻歌は、まだ耳に残る。

 西欧、南欧、北欧、東欧。そこに一つ、中欧を足して、西欧にはなれない彼らは、それでも貧しさから抜け出そうとする。チェコには確かに、親父の鼻歌に重なる、西欧とは違う人間味があった。思い出せば確かに、チェコの色味は暖かい。彼らには、赤色がとてもよく似合った。確かに街は下水臭かったが、一晩泊めてくれた女性は、終始にこにこしながら久しぶりの暖かい食事をご馳走してくれた。
ぼんやり教会広場のベンチに座り、屋台で買った油っぽいかき揚げの様なものを食べていると、向かいに座った丸々とした老婆と目が合った。彼女もにっこりと笑い、鞄を探って、銀紙に包まれたチョコレートを私に握らせた。

 プラハに滞在したのは、クラクフ、そしてオシフィエンツィムへ向かう中継地点が必要だったからだ。そして、ベルリンとクラクフを結ぶ暗い道中の、息継ぎの場所でもあった。
ホテルで、隣のベッドに寝ていた香港人が、まだ使えるかもしれないから、とプラハ城の観光券をくれた。残念ながらその券は一度しか使えず、観光名所は見損なったが、時折鐘が鳴り響き、衛兵が銃を肩に担ぎ、規則的に軍靴を響かせながら通り過ぎる光景は、飽きずに眺められた。
お前分かってるか?5年後をデザインしながら生きなきゃ、駄目なんだよ。
もうじき、7年経つ。今でも、5年後と言わず来年のこともデザイン出来ていない。それでもまた会えば親父は、どうせ鼻歌を歌いながら、まあがんばれよ。デクイ。と言うのだろう。

はなうた、プラハ。2014年2月25-26日、28-3月3日。

#旅行記 #ヨーロッパ #チェコ #プラハ

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