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欧州旅行記❼「暗くクラクフ」

 クラクフ、そしてその西にオシフィエンツィム。耳慣れないポーランドの都市を、独語の名にした瞬間誰もが思い出す。アウシュヴィッツ。クラクフは暗く、寄る辺が無かった。

 プラハからおよそ半日高速鉄道に揺られ、カトヴィツエという街で乗り換える。クラクフの街に辿り着いたのは、既にとっぷりと暮れた夜だった。街灯の少ない夜の街には私が曳くトランクの音だけ響き、心底寂しげだった。唯一、朧に滲むカメラ屋の小さなキャノンのネオンが、こんな所でも日本が戦える、という勇気をくれたのを覚えている。
この街までの鉄道は、事前に用意したユーレイルパスには該当しない。安くない追加料金を払ってまでここに来たのは、むしろここまで来たのに、素通りしたでは済まされない負の重みがあったからだ。二十世紀の墓標。空に持ち上げた紙に、超質量の重石を乗せると、平面がたわんでその周囲を引きつけながら沈み込む。この旅におけるアウシュヴィッツは、そんな圧倒的な重力を持って、私を深く旅の奥底へと、沈め込んだ。

 私は確かに、アウシュヴィッツの展示品や、保存された建築物を、余さず眺めてきた。だが、何を見てきたのか、何を話すべきか、今でも答えが出ないままだ。目にするもの全てに、擦りつけられた泥の様にべったりと、絶望や孤独や、恐怖が貼り付いている。ガス室の暗がりで、言いようのない生臭さを感じ、急に嗚咽が込み上げ、目が潤んだ。

ベルリンで見たイーストサイドギャラリーなど。ブランデンブルグゲートなど。比較の対象にはならない。広島と長崎に落とされた原爆すら仕方なく思えるほど、そこでは奪い、殺し、痛めつけ引き裂き蹂躙していた。最も驚いたのは、それが義務や任務や幾ばくかでも情混じりに行われた行為だったのではなく、ただただ快楽で行われている、と感じた時だ。人は、繋がりや情愛が無ければ、こうも他人に対して残虐になれるのだ。
何千人ものユダヤ人を焼いた灰を、流し込んで隠滅したという澱んだ池のほとりで、暫くの間水面に浮かぶ汚れた薔薇を見つめていた。喉奥に握った黒い泥を、これでもかと突き込まれた様に、嗚咽は込み上がってきた。頭上を長く長く、飛行機雲が通り過ぎた。

 カルロがいなければ、私はいつまでも、深い旅の底に沈んだままだったろう。クラクフに帰るバスの車中で声をかけてきた彼は、イタリア人だった。私と同じ様に、随分と心痛した様子だったが、持ち前の気性が明るいのだろう、話すうちに哲学や生き方の話は弾み、その夜は彼と、幾本かのビール瓶を転がした。私がユキ、と名乗り、snowという意味だ、と伝えるとならばneveと呼ぼうと彼は言った。イタリア語で雪という意味だ、そう告げて彼は瓶を高く掲げた。
旅の最中、我々は盲滅法に闇の中を突き進む。時折、振り下ろされた槌が金床で跳ね上げる火花の様に、ぶつかり合い、眩い火花を散らす。カルロは私にとって、暗いクラクフで輝く火花だった。彼にとっても私が火花であった事を、心の底から祈っている。

暗くクラクフ。2014年2月26-28日。

#旅行記 #ヨーロッパ #ポーランド #クラクフ #オシフィエンツィム #アウシュヴィッツ

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