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欧州旅行記❹「アイ・アムステルダム」

 アムス・セントラル駅を出ると、街はむっとした潮風と、かもめの糞の臭いに満ちていた。たくさんの行き交う自転車は、見たこともない大きなカーゴやベビーカーを連結したものも多い。人々は垢抜けた格好で、確かにここが、世界で最も自由な街なのだと感じさせるのに足る雰囲気があった。
合法大麻と飾り窓は、街の名を落としている、と感じる人もいるだろうが、つまりは選択の自由を広げているだけに過ぎない。選ぶも選ばないも、ここでは自由なのだ。
アムスで軒を貸してくれる人を見付けられなかったから、安宿を取っていた。乗り合いバスの運転手に宿がある通りの名を告げると、彼は少し考えて、近くを通るから乗りな。と座席に向かって顎をしゃくった。会話の途中で、話しかける女性にぴしゃりと、今彼と話しているのが見えないのか?と彼が言うのを、よく覚えている。

 アムステルダムは船乗りの街だ、と思った。ヨーロッパ随一の港は、今でこそ水夫や海賊の姿などなくとも、その美しさと豪胆さがあちらこちらに隠れている。船旅疲れを売春婦の胸で癒し、薬や煙で癒し、金をばら撒いて街を潤す。金は回って、世界で最も美術館の多い街を作った。街中に運河を巡らし、船着き場を作ったアムスは、ぼんやり眺めていると今でも、セーラー服の襟を靡かせて颯爽と歩く水夫が現れそうだった。
特段女を買う気も、草を吸うつもりも無かったが、オランダ美術は見ようと考えていた。ゴッホ、フェルメール、レンブラント、ルーベンス。美術史を学ぶ時、彼らを輩出したこの国は欠かせない。だから、バスを降りてホテルにチェックインする時に、フロントにはもう一泊延長出来るか?と訪ねて、彼女のもちろん、の一言に安心しながら部屋に入った。

 ドミトリータイプの部屋は、既に四人の荷物でベッドが埋まり、私が入って余った一つも、じきに埋まった。向かいのベッドに座っていたジェイという男は、テキサスから来たらしい。寝そべって甘ったるい匂いのするウィードばかり吸っている、奇妙な男だった。そのうち、ウクライナ、ポーランドからそれぞれ来た男達も加わり、いつのまにやら始まった気怠い酒盛りに、夜が更けた。明朝、眠る彼らの間を忍足で抜け、スーパーでサラミ、チーズ、パンを買って戻ると、部屋は荷物を残して皆出掛けたようだった。

 アムステルダムの数日は、あっという間に過ぎた。出立前に、西洋美術史を大学で教えてくれていた講師に挨拶をした。彼が貸してくれたミュージアムカードで、幸いにもアムス中の美術館は無料だったから、足の向くままに片っ端から見て回った。名画そのものを写真で見たことはあっても、その絵の額縁の形や大きさを知るには、本物を見るしかない。牛乳を注ぐ女の、座布団を思わせる正方形の額縁や、レンブラントの巨大な夜警は新鮮味があった。だが、いくつもいくつもの美術館に出入りするたび、なんとなくそこで過ごす時間につまらなさも感じていた。ふっと見疲れて、名画の揃う美術館のベンチに腰を下ろすと、そのまま2時間ほど眠ってしまった。
ホテルに帰ると、何故か荷物が全て、エントランスに放り出されている。部屋には既に、新しい旅人が腰を据えていた。延泊を、と伝えて大丈夫だ、と言っただろうと抗議すると、従業員は冷たく知らん振りをした。仕方がない、荷物をまとめて出るしかない。ちょっと早くはなったが、今夜は寝台特急で、明日には既にベルリンだ。日の暮れ始めるアムスに追い出され、後ろ手に引くトランクは重かった。

アイ・アムステルダム。2014年2月18-22日。
#旅行記 #ヨーロッパ #オランダ #アムステルダム

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