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【小説】会社の近くに住む 2-17

 うまくいかないところはなかなか見つからなくて、途中ネットで似たような処理についての記事について調べて、なんとなくわかったような気がして作業に戻ったけれど、やっぱりうまくいかなくて、もう三十分くらいいじくってやっとうまくいった。やれやれと思いながらヘッドホンを外して、立ち上がってタバコを手に取ると、佐藤さんが帰り支度をしていた。
「お疲れっす」と声をかけると、「帰りますっ」と大げさな身振りをつけて応えてくれる。何となく歩みをゆるめて一緒にフロアを出た。
 佐藤さんはフロアを出る前に自分の島の明かりを消した。俺の事業部のエリアでは、俺のいる島の明かりだけになった。隣のグループはみんな帰ってしまっているから、オフィスの東側に暗いゾーンが広がっている中で俺の島だけが白くなっていた。
 エレベーターの前まで来て、降りるボタンを押してから、佐藤さんはため息をついた。
 エレベーターを降りて、喫煙所に向かった。佐藤さんも俺に付き合ってタバコを吸ってくれる。
 佐藤さんは、タバコを音を立てて吐き出してから、「忙しいっすか?」と聞いてきた。
「いや、そうでもないすけどね。スケジュール的には余裕なんで」
「中三っすか?」
 吉井さんが担当している中央三井系の不動産会社のことを中央三井と呼ぶ人と中三と呼ぶ人がいるけれど、佐藤さんは中三派だった。
「あぁ、そっちはほぼ吉井さんだけで回ってるんで、俺は全然」
「へぇ」
「昔は大変でしたけど、今は落ち着いてるし、安岡さんがやってたぶんも吉井さん一人でやれちゃってる感じですよ。データ出しがいっぱいあるし、帳票もどんどん増えてくから、たくさん電話来ますけど、それも吉井さんだけで問題なくできてますし」
「吉井さん、やりますねぇ」
 佐藤さんは少し意外そうな顔をしていた。吉井さんのイメージというのもあるのだろうけれど、俺がおんぶにだっこでやっている感じだと思っていたのかもしれない。
「そうなんすよね。安岡さんいなくなるから俺も大変になるかなと思ってたけど、全然でしたね。新規の機能とか作るなら俺の方でやろうかなとは思ってるんですけど、それも一回あっただけで、それ以降何も出てこないから」
「看板屋さんはどうっすか?」
「あっちも特に問題なくって感じっすね。問題なくはないけど、要望はあんまりないというか。来年度からの仕訳の切り方の変更とか今やってますけど」
「ふーん」
「勤怠も問題なく動いてる感じですね」
「そうっすか。打刻ですよね?」
「そうですね」
「普通なら普通にいくんですよ」
「そうっすね。普通でいいなら普通にやってすむんですけどね」
 佐藤さんは、そういえばと言って、先月言ったレストランと今月行く予定の中華料理屋の話を始めた。佐藤さんは夫婦で月に一回高いレストランに食事に行くらしくて、前はセルリアンタワーの中華料理に行った話をしていた。俺も食べるのが好きだから、たまに喫煙所で一緒になると、「なんか最近うまいもん食いました?」と聞かれたりする。おすすめのオリーブオイルを教えてもらったりしたこともあって、それ以来輸入食料品店に行ったときとかに棚を見てみたりするけれど、ウニオというメーカーのものはいつまでたっても見かけることがなかった。
 佐藤さんにしても、奥さんもいるのにけっこう遅くまで残っていることが多い。仕事がさばききれなくてそんな時間になっているのか、もしくは残業代のために遅くまで残っているのかもしれないけれど、佐藤さんも残業しているときにあまり手を動かしていない感じでもない。残業しているぶん、手をかけて仕事をしているという感じなのだろう。勤怠管理系のサービスでは、平社員の中では佐藤さんが一番よくシステムを触っているし、わかってもいるのだろう。林田さんにしても、自分がいるグループの中ではそういう役割だし、俺にしても羽田さんのグループの中ではそうなのだ。残業代のために残業しているのだとしても、自分ができない場合誰かに助けてもらえない立場の人たちが、他の人たちより仕事をたくさん抱えて最後まで残っているということなのだろう。
 佐藤さんがタバコを消して、俺もタバコを消した。
「じゃあ、お疲れっす」と言って、佐藤さんは駅の方に歩きだして、俺はビルの中に戻っていった。
 エレベーターを上がって、IDキーをかざしてフロアの中に入ると、タバコを吸いに行く前よりも暗くなっていた。明かりがついているのは俺の島とそこから島を五つ六つくらい先にいったところの二人が座っている島だけになっていた。
 人がいない島の中で、自分の席だけが筆記用具やキーボードの位置だったり、椅子が中途半端な位置に下がっていたり、いかにも作業中という感じに静止していた。
 席に着くと横長のフロアを端から端までを見渡す感じになる。俺以外に残っている二人は片方のモニターを一緒にのぞき込んで固まっていた。その二人の手前と二人の奥に、それぞれ五十以上ずつの空席が並んでいた。
 帰るときにはパソコンの電源を落として帰らないといけないし、残っている二人も喋っているわけではないからしんとしている。
 なんとなくヘッドホンはしないままでキーボードに触れて、画面をスタンバイから復帰させる。パスコードを入力するキーボードの音がフロアに少し響いている感じがする。
 さっきできたデータ検索のプログラムに問題がなさそうか、ソースコードをざっと確認していく。正しい算出結果になっているのか、元のデータを書き換えて、それが正しく反映されるかチェックしてみる。このプログラムで集計されたデータを帳票出力する画面を作って、その画面からCSV形式でデータ出力できるようにしないといけない。
 同じようなキーボードの音が繰り返し響いていた。ALTキーとTABキーに左手を置いて、右手でマウスに触れている。左手で画面を切り替えて、右手でスクロールする。マウスはロジクールのG700を使っているけれど、高速スクロールできるホイールだから速く回せば一秒二千行くらいスクロールする。もう使い慣れているから、長いソースコードを見たいところまで一気に移動させられて、そのスクロールの速さとそれがぴたっと止まる動きが指にも視覚的にも気持ちがいい。



(続き)


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