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埋まらないピースのせいで失うもの



自分のなかで最低限これだけは手に入れたいものがある。

その最低限これだけは…

というピースが埋まらない限り傷ついていくだろうし、
周りから避けられてしまう要因にもなる。

いや、自分が周りの接点を壊してしまうことにもなる。
それは羨望や嫉妬が入り交じった結果なのかもしれない。

でもそれを手に入れるには、本当に難しいことである。
簡単に手に入れている人も多くいるけれど、僕には本当に難しい。

たくさん妥協をしながら仕方ないと諦めて受け入れたものもある。
でも、どんなに妥協しても得られないものがあった。

いや、妥協できてないと言われることの方が多いけど、
自分にとってはたくさん諦めた上でのことなのに。

自分の周りには、手に入れていない人がいないという点だったり、
自分の思いを自分の外側だけで判断していたりするから

余計苦しくなっているのは1つの答えであるけど、
自分が比較せずに自分も同じだと思えればもっといいのにと思う。

埋まらないピースは、誰でもある心のなかの穴とも言える。

そこさえ埋まれば、そこさえ塞がれば、そう思いながら生きている。

大概の人であれば、代替え物や妥協の先に得られるものが多数ある。
しかし、たくさん奪われた人にとっては代替えも妥協でさえも埋まらないものである。

本来は持っているはずの基礎的なものや一番欲しいもの、求め求められたことで「こんなものか・・・」となっていきながら別のもので埋まっていく。

でも、何もなかった人、そもそも得られなかった人、何もかもがない人にとっては、代替え物や妥協なんていうものは、余計傷を広げることに繋がる。

自分にとっての埋まらないピースは、たくさんのものがある。
それはもう大きな穴と言ってもいいだろう。

それでも、これは諦めよう、これはこうしようとできることはしている。
ただ、僕の一番大切にしたいもの、一番欲しいものは手に入らない。

どうして自分だけなのだろうと思えば思うほど離れていくし
そのことを周りに訴えていけば避けられてしまう。

多分、必死なことが伝わるのかもしれない。

でも必要だから求めてしまう。

多くの当たり前に、

当たり前のようにピースを持ち合わせている人にとっては

得られないことへの問題と理解が及ばないことへと不愉快さが距離を遠ざけるのかもしれない。

一つずつ時間をかけて叶えばいいのに

どんどんどんどん深みにハマっているように思う。

もしもみんなが自分のこととして認識して、手を差し伸べ合えていたら変わったのかな

もしも自分があのときもっと普通であったらこんなことにはなってなかったのだろう。

いくら考えても後の祭りであるし、今から頑張ってどこまで行けるだろうか。

できることはするつもりである。でも・・・。

埋まらないピースが僕の心をかき乱す。人生を、生活を、夢を。
その呪縛を解くには、埋まらないピースが必要という矛盾なのだ。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。