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#海外一人旅
❨174❩1972.2.22 火 晴 ペルー:砂漠を走る(Peru:Piura)
今朝も日の出と共に走り始めた。
腹の方は、まだダメ。
今朝も、ピーシャーだった。
40km家も何もない砂漠を走った。
かすむ程に道が延々と続き、暑さと疲れで、俺はもう走りたくないと思った。
疲れが来ている。
もう走るのはイヤだ!
のどが渇いてヒリヒリする。
風が強く、砂と共に横なぐりに吹いて来る。
進まない。頭に来る。
車は、俺をよけるようにして通り過ぎて行く。
途中、止っている車に乗せてく
❨187❩1972.3.6 月 曇 家族からの手紙と、マンコラに住む日本の人たち(Peru:Lima)
市内にある日本大使館へ行き、二通の手紙を受け取る。
けんじ・りえ・姉ちゃんから、そして、レイコさんから手紙がもらえた(エンバハーダ)。
嬉しいものだ。励みと慰めになった。
けんじが思ったより利口な文を書いていたので見直した。
それに日本の羽生家では、俺をちょっと一目置いて見ているようで、気持ちいい。
レイコさんは、ハワイでの写真を一緒に送ってくれた。
桑原さん、上田さんも入っており、懐かしく
❨223❩1972.4.11 火 晴 将来の事を考える/ポポ湖(Bolivia:Lago Poopó)
まっ青な空。雲は、一っかけらもない。
気持ちの良い天気。
朝飯を取らしてもらい、九時、町を出る。
皆んな親切な連中だったぜ。
さて、この後が大変。すごい砂利のデコボコ道。
3時迄休まず、6時間歩いて走って、一つの町に着いた。
なのにやっと45kmーーーアベマリヤ!
イヤンなる所だぜ。
地図にあるポポ湖は、殆どかれて、水がないようだった。広い所だ。
夕方寄った店で、チャル・パータまでの道程を
❨224❩1972.4.12 水 晴 夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )
昼、ウワリの町で一本ビールを飲んだ。
その後の苦しい事。
一時間程、河原でひっくりかえって動けず。
さびれた町があちこちに見られた。
砂にタイヤが埋まって走れない所が何箇所もあった。
薄暗くなり、腹が減って、こんな道を走る時程辛い事はない。
夜、やっとの思いで町に着く。
ここから5時間、夜汽車に乗る(13.5ペソ)。
ウイウニの駅が終点。
窓から見る空の星が、美れいだった。
夜汽車っての
❨226❩1972.4.14 金 晴 塩の砂漠/チリ:オヤグエ (Chile:Ollague)
寒い。水たまりには氷が張っている。
日中はものすごく日ざしが強い。
駅で知り合った、俺より一つ若い、奥さん持ちのロベルトの家に一日やっかいになる。
昼、11kmの所にあるイオウ採拓鉱まで自転車で行く。ひどい砂の道。
このOllagueは駅の町で、砂漠 (塩)と、いくつかの高い山に囲まれてなっている。
山の頂上には雪があり、そこから吹き下りて来る風が肌にしみる。
ここからアンタファガスタまで
❨232❩1972.4.20 木 晴 400kmの砂漠を乗り切る/アタカマ砂漠(チリ)
ちょっとツユがおりたな。寝袋がぬれていた。
5km下って、5km上って、という今日の道、かなりきつかった。 しかしやっと一つ、400kmの砂漠を乗り切った。夢中だった。
4日間砂漠の中、2ヶ所に貧弱なポサダ(休憩所) があっただけである。
今日3時、町に入った。
よく走ったぜ、今日の3時までに400kmだから、一日平均130kmの計算になる。
食った食った。肉と野菜に飢えていた。
ビール
❨256❩1972.5.14 日 雨 親切で愉快な男/アルゼンチン(Argentine)
冷たい雨が来た。
彼の家族と一緒に、車で50km送ってもらう。途中、彼の仕掛けたワナで、きつねがかかっているのを見た。
昼食を一緒にし、記念写真を撮り別れる。
全く愉快な男だった。それにあの子供がかわいかったネ。
あんな人間には、そう会えるもんじゃない。出来るなら、ずっと付き合いしたいなんて思ったりもした。
ホントに別れが惜しい今日だった。
また彼の様な人間に会えたらいい。
彼のおかげで、明
❨279❩1972.6.6 火 雨→曇 進歩という言葉は走って来た距離の中にだけある/アルゼンチン(Argentine)
懸命に走った後は、スガスガしい気分になる。
霧雨の中を短パンに赤いベレー帽、目立つのだろう、ほとんどの車が振り返る。
走る事に明け、走る事に暮れる毎日。
人間を、社会を、深く考える時はあまりない。
走っている時は想い出をたどり、未来を考える。夜は疲れて、ボンヤリあれこれ思い浮べるだけ。
進歩という言葉は、今の俺には、走って来た距離の中にだけある。
❨289❩1972.6.16 金 曇→雨 日記1冊目終了/アスンシオン5日目·パラグアイ(Asunción:Paraguay)
ブラボー・ブラジルのビザをもらった (280グアラニ)。
今日は、冷たい雨降り。
街の中の道は、川になってしまう。ひどいところだ。
30分の座禅と一時間の補強をする。
めまぐるしく土地が変わる
気候が変わる
人までも変わる
こんな毎日が続く
今まで・・・今も・・・これからも
問題はその中で 何を吸収し
何を見捨て行くかでは、ないだろうか?
遂に、この手記も終わってしまった。
九ヶ
❨294❩1972.6.21 水 曇 イグアスの滝/ブラジル(Foz do Iguasu:Brazil)
イグアスの滝
旅に出る迄、この名は知らなかった。
中米で会った日本人旅行者に聞いて、初めて興味を持った。
昨日はあれから、真下まで行った。
見た 見た!スゴイ
豪快というか雄大というか、自然の偉大さをここでも目の当たりに知らされた。
水の色は薄茶に濁っているが、それが遠くから見ると立ち昇る水煙とマッチしてスバラシ イ眺めである。
滝は二段になっており、二段目には、中程迄橋がかかっていた
❨307❩1972.7.4 火 晴 サンパウロ・イン:レイコさんを訪ねる/ブラジル(São Paulo:Brazil)
ステキな光が竹の間からき込んで来、雀の鳴き声で目をさます。
65km位の所で車に乗った。100km車に乗せてもらい、予定より一日早くサンパウロへ入った。
ややこしい所だ。
船で会ったレイコさんの家へ行こうとして、ポリに住所を聞くと、難しい所だと云い、通りがかりの車を止めて、運ちゃんに俺を連れて行くように世話してくれた。
ムイト・オブリガード(ありがとう)!
車から眺めていると、やっぱりやや
❨332❩1972.7.29 土 晴 過ぎて来た国を思い出す:SUMA23日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
山田へレコードを送った(26クルセイロ)。
これでやれやれ。
あと手紙を7、8通書いて終わり。出した手紙の中で、果たして何通返事が来るだろう。
当てにはしないが、沢山来るといい。
過ぎて来た国を思い出した。
ロサンゼルス=気候温和で太平ムードの気楽な町。
メキシコ=マリアッチを始め、ステキな音楽が聞けた。
グアテマラ=暑さにはコッテリまいった。
ホンジュラス=たった一日でさようなら。
エル·
❨395❩1972.9.30.土.曇→雨/広い草原、時折見られる粗末な農家、野生の牛、小さなバール、それだけ。(サンフランシスコ川~85km·ピニエロス/Joao Pinheiros:Brazil)
昨夜12時頃、雨が落ちて来た。
仕方なく、テントをひきずり出す。
目が冴え、バールへ行き、ビールを一本あける。
今朝はちょっと、体が重かった。
ビールのせいと思う。
6時30分、走りだす。
足が重く、弱い陽も気になった。
30kmくらいの所のポストで10:30、早い昼食にする。
ビールに飯、肉、スパゲッティ、トマト、ケジョンの盛合せ、7クルセイロだった。
その後2時間程休み、わざわざ暑くな